GLOVAL ROGAI(グローバル老害)・・・
ふと、老害(ROGAI)という言葉が頭に浮かんだ。音の響きも悪いし、とても、悍ましさを感じてしまう。
現在、地球壊滅をもたらすようなウクライナ侵略がヨーロッパで勃発している。何の罪もない人たちを惨殺する蛮行である。その種を落としている人間やその仲間たちは周知の事実であるが、よく見ると、皆、目付きの悪い高齢者ばかりであることに気付かされた。俗に言う、老害の元凶である。
アメリカ大統領選を振り返っても、高齢者のバトルが繰り返され、前大統領は性懲りも無く返り咲きを目指すほど、金と権力とエロに狂っている。まさしく、これも同様に老害と言える。周囲の若者たちは、前頭葉が萎縮し、冷静な判断さえできなくなった爆走族と化した老人に振り回されている。
ウクライナ危機に関しても、ネットやテレビ、新聞、雑誌に登場するのは、高齢者ばかり。時にはヨーロッパやその他の国では、若手の大統領や首相が登場するが、悪の根源である独裁者と言われる高齢者の国家元首は、形振り構わず老害を撒き散らかしている。見ていて、ゾッとする。
筆者の周囲を見回しても、政界財界に限らず、会社の代表者の高齢化は頓に加速度を増しており、老害という言葉がぴったりの人たちも少なくない。その他団体や協会も、全て権力大好きな高齢者が君臨し、背骨が折れるほど反り繰り返って威張り腐っている。
勿論、それぞれのトップになった高齢者のこれまでの功労は素晴らしいものがあると認め、感謝すべきだが、常に時代は動き、人々の考え方、価値観も日々変化、日々進化しているので、その時代に最適な若手でエネルギッシュな人を選んだ方が、全てにおいて、判断、処理も正確で早い。
それを、「去り際の美学」を無視し、終身トップに君臨しようとする高齢者がいるから、老害と揶揄されるに至る訳だ。どんなに国家元首と言えども、我々一般人と言えども、同じ人間である。それが、一人の人間、特に高齢独裁者に権力が集中すると、ウクライナ危機のような地獄世界を作り出す。
やはり、どの世界、どの業界においても、現役を退く年齢を定めるべきではないかと考える、今日この頃である。決して、高齢者を姥捨山みたいに捨てろという意味ではない。「去り際の美学」をもって、次世代の人たちを暖かく包み込み、そっとサジェストするような余裕ある高齢者になるべきだ。
人は年齢を重ね、壮年期を過ぎ、初老と呼ばれるようになると、誰しも余生を考えるようになってくる。若き頃のように、生命は無限だというほどのエネルギーは激減し、自分の思い通りに体が動けなくなったり、思考が乱れて第三者の言葉を聴く耳も持たなくなってくる。それが、老化ということだ。
以上のように、国内外の政財界のトップを見れば、驚くほどに老害が蔓延している。更に悪いことに、後期高齢者となっても、自分の身分を維持するために、改憲など法律を変えてまでも、あの世に行くまでその職位の維持に専念する。この悪循環が、今の邪悪な世界を創り出している。
若者は自分を認めてもらいたいと必死だ。老害と言われる人間は、それをサラッと交わして、拒絶するばかりか、潰しに入る。若者が正論で物申せば、「今の若いもんは、つまらん!」と、愚弄するばかりである。だから、何百年、何千年経っても、老害という存在はこの世から消えることがない訳だ。
最近では、年金受給開始年齢をアップしようとする流れが見られる。これには2点違和感を持っている。一つは、受給年齢を上げれば、当然の如く支給総額が少なくなる。我々一般人は余生にゆとりも無いまま最期を迎えることになる。また、一つは、受給年齢を高くすることで、政界財界で暗躍する老害と揶揄される人たちの現役長命化への違和感払拭に繋がる。
本来ならば、ゆとりある余生を送れる仕組みをつくるのが国の責任、役割であるが、その辺をセレブたちは理解しようともせず、自分達の文化レベルが平均だと思い込み、貧困に苦しむ一般市民を救おうという心もさらない。老害がもたらす社会の歪みは、そろそろメスを入れるべき時代ではなかろうか。
諄いようだが、この記事は、決して高齢者を無視し愚弄するようなものではない。しかし、遅ればせながらだが、高齢者としての心構えを今一度考え、また、若者も高齢者(人格者に限る)への敬愛の念を大前提として書き綴ったものであることを、ご理解願えればと・・・。
畢竟、「GLOVAL ROGAI(グローバル・老害)」が無くなれば、きっと良い世の中になるはずだ。蛇足ながら、NHKのウクライナ情勢について、世界の10代の若者たちの発言を聴いていたが、よっぽど老害と呼ばれる権力者たちよりも、世の中をしっかりと冷静に見ていると感心した次第。