闇夜の小道は暗くて怖いが、広大な野原の道はアップダウン&ワインディングで面白い!
心が闇に包まれる人は、ネガティブに考えすぎている場合が多い。くよくよ考えても、自分は変わらず、周囲も変わらない。
誰も救いの手を差し伸べてくれないのなら、自力で這い上がらなければならない。ただ、自分が思っているほど、どん底に落とされているものではない。
奈落の底に落ちているというのは、思い込みであり、決して、そこまで落ちる必要もない。落ちている自分の姿は実態ではなく、幻想に過ぎないのである。
だから、上述の『這い上がらなけらなならない』という言葉は適切とは言えくなる。考え方の切り口をちょっと変えるだけで、その『闇夜の小道』からピョンと横飛びで『広大な野原』にワープすることができるはずだ。
「え?何で今まで自虐的になってしまい、自分自身を奈落の底まで突き落としていたんだろう!?」と、ふと気づく人もいる。思い込み激しいというか、狭い世界に身を置くから、自分の背中も見えなくなってしまう。
人は、失態を激しく叱責されると、どんどんと自分を追い込んでしまい、『闇夜の小道』を彷徨ってしまう。その原因も分からぬまま、小道がどんどんと狭くなり、行き止まりとなり、そこでしゃがみ込むのだ。
その行き止まりでじっと我慢していると、段々と足元が泥濘み、底なし沼に足を突っ込んだ状態で、足首から膝、膝から太もも、腰、そして胸、肩まで沈んでしまう。諄いようだが、これもまた、幻想に過ぎない。
『闇夜の小道』に迷い込んだ原因が分かれば、その闇夜から脱出するのは思いの外簡単である。原因さえ分かればの話。まだ原因が分からねば、焦らず急がず、迷子となった自分の履歴をリワインドし、原因を手繰って行けば良い。思い出したくなくても、勇気をもって辿り着かねばならない。
そこで、信頼できる人との心安らぐ会話をしていると、『広大な野原』へ横飛びするための『鍵』が天から落ちてくる。その時、ベクトルの切り替え装置にある鍵穴に、その『鍵』を突っ込み回せば、全身が『闇の小道』から『広大な野原』へ瞬時にワープする。
自律神経失調症になったり、鬱的状態になったりする人も少なからず、日本では五人に一人は、一生の内に何らかの精神疾患に罹るのだから、他人事ではない。しかし、この数値は先進諸国の中では少ないようで、もっと深刻な国では三人に一人が一度は病んだことがあると言う。
私見ながら、『自覚』があるか否かで、精神疾患の軽度、中度、重度が計り知れる。或る精神科医の言葉の中で印象的だったのが、「鬱が酷くなると、例えば観念連合型の思考障害に陥ったりしますが、そうなると、社会復帰が困難になりがちです。」と。
自らの背中を客観視することは重要なことであると思う反面、そこで、ネガティブ要因ばかりで埋め尽くしてしまうと、出口が見えない、標題のような『暗闇の小道』に入り込んでしまう。
これより、100点満点を目指さず、60点を目指す。一つの失態の●を、拡大解釈にてその他全ての◯をも●で塗り潰さぬことである。一つ失敗したからと言っても、死ぬことはない。また、その他の可能性◯の方が数千倍、数万倍あるのだから、全く凹む必要はない訳だ。
日本人らしいというか、日本らしい人の評価というか。一度、会社を万歳させた者は、二度と復帰できぬと決めつける世界が日本である。そのような社会的な悪き慣習が、人々の心へ影響を与える要因の一つになっている可能性も無きにしも非ず。
精神論ばかりで戦前、戦中、戦後を直走ってきた日本人だが、そろそろ、日本の伝統文化や精神文化の素晴らしさはしっかりと受け継ぎ、悪き慣習なり考え方は、さっさと捨て去る必要がありはしないか。