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起業家の矜持・・・「武士は食わねど高楊枝」の教訓
自己診断をすると、筆者は社会人となり、新聞社を経て若くして起業したが、「武士は食わねど高楊枝」を貫く典型的な愚か者の一人であると思う。
起業と一言で言っても、紆余曲折、波乱万丈の毎日である。日々、見えざる仮想敵国との闘いであり、先手必勝で事業を展開する筆者にとっては、まさに戦場の最前線に立っているようなもので、一息つくことも許されなかった。
現在でもそうだが、どんなに苦しい局面であろうとも、顔色一つ変えず、冷静沈着なポーカーフェイスで対応しているのが悪癖であると思っている。
「武士は食わねど高楊枝」とは、武士の魂のようで格好良さそうだが、裏を返せば、痩せ我慢、偏ったプライド、負けず嫌いの裏返しでしかない。
しかし、新聞社時代は雇われの立場であり、親方日の丸のバックボーンが頑強であるが故に、起業して独立した環境とは真逆で、天と地の差がある。
そこで、難問奇問が飛び込んできても、予期せぬ状況下に置かれても、理不尽な人物や会社の不義理に遭っても、著作権侵害などの事件に巻き込まれても、冷静さを保ち、常にしっかりと対応すべきが経営者であると自らに言い聞かせつつ、実は心はズタズタに引き裂かれてしまうのである。
起業して33年と8ヶ月が経過するが、「武士は食わねど高楊枝」ほど馬鹿らしいものはないと、遅ればせながら考えるようになった。
他者に対して弱みを見せぬことが美徳である訳がなく、格好いいものでもない。ただ、怖いのは、「武士は食わねど高楊枝」を長年続けていると、周囲の知人友人のほとんどは、「あいつは余裕綽々で人生を謳歌している」と揶揄する人間が多くなっていく。
これが「武士は食わねど高楊枝」の副作用であり、精神的なダメージを更に強め、内臓を抉られるような気持ちになってしまうのである。
特に、ベンチャーとして起業した人間には、目先に続くレールは敷かれているものではなく、優良企業の二代目、三代目とは全く異なる環境下で闘い続けなければならない。
「武士は食わねど高楊枝」を続けてきた人間が、三十年の区切りとして気付かされたことは、ビジネス領域では「金の切れ目が縁の切れ目」ということである。
マネーフローが大河のような時期には、知人友人が急増する。しかし、その大河が小川になると、ほとんどの知人友人として近寄ってきた人間は目の前からいなくなる。これが世の中であり、現実である。
これから起業して新たな世界に挑戦しようとしている若い方々に一言サジェストするならば、「武士は食わねど高楊枝」は死語として受け止め、決して手本にすべきものではない。
更に、どんなにマネーフローが順調であっても、お人好しになり、周囲の知人友人として近寄ってきた人たちへ施しをする必要がないことを、確と申し伝えておきたい。
人間というものは、長く生きていると、目の前に笑顔で膝を突き合わせて語り合える信頼できる人というのは、わずか一握りであることをご理解願えればと。
痛い時は痛い、辛い時は辛い、悲しい時は悲しい、嬉しい時はすこぶる嬉しいと、常に裸の自分を維持することが、人間らしく、本当に勇気ある行動でありはしないかと思うばかり。
神輿を担ぐ人間に、ろくな人間はいない。
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▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイ「起業家の矜持・・・『武士は食わねど高楊枝』の教訓」は、起業家の経験と反省を通じて、現実のビジネスの厳しさと、それに対する姿勢についての洞察を提供しています。以下に、エッセイに対する詳しい感想を述べます。
1. 自己診断と自己認識
筆者は自らを「武士は食わねど高楊枝」を貫く愚か者と評しています。この表現は、日本の武士道における誇り高い態度を意味しますが、同時に過度のプライドや見栄の象徴でもあります。筆者は、自身の態度が見た目は格好良いものの、実際には多くの問題を内包していることを認識しています。この自己認識の深さと正直さは、読者に共感を呼び起こします。
2. 起業の厳しさ
起業の過程を「紆余曲折、波乱万丈」と表現し、毎日が見えない敵との戦いであるとしています。この戦場のメタファーは、ビジネスの世界が予測不可能であり、常に競争が激しいことを強調しています。また、新聞社時代と起業後の環境の違いを対比することで、独立したビジネスの厳しさと孤独を浮き彫りにしています。
3. ポーカーフェイスのリスク
どんなに苦しい局面でも冷静沈着なポーカーフェイスで対応することを悪癖と述べています。これは、外見と内面のギャップが引き起こす精神的なストレスを強調しています。表面的には強がって見せることが美徳ではなく、逆に精神的なダメージを強める要因となることを指摘しています。
4. 「武士は食わねど高楊枝」の教訓
長年この姿勢を続けることの弊害として、周囲の人々が誤解し、筆者を「余裕綽々で人生を謳歌している」と見なすようになると述べています。これが、実際には精神的なダメージを強める副作用であるとしています。この点は、ビジネスにおける見栄やプライドのリスクを明確に示しています。
5. ビジネスの現実と人間関係
「金の切れ目が縁の切れ目」という現実を経験した筆者は、金銭的に余裕がある時には多くの友人が集まるが、逆に困難な時にはほとんどの人が離れていくと述べています。これはビジネスにおける人間関係の現実を鋭く描写しており、読者に深い洞察を提供しています。
6. 若い起業家へのメッセージ
これから起業を目指す若者に対して、「武士は食わねど高楊枝」を手本にしないようにとアドバイスしています。また、どんなにマネーフローが順調でも、周囲の知人友人に対して過度な施しをしないように注意を促しています。このアドバイスは実践的であり、若い起業家にとって非常に有益です。
7. 人間らしい姿勢の重要性
最終的には、痛みや辛さ、喜びなどを率直に表現することの重要性を強調しています。これは、人間らしさを保つことが、本当に勇気ある行動であると結論付けています。このメッセージは、ビジネスの世界だけでなく、日常生活においても普遍的な価値を持つものです。
総評
このエッセイは、起業家としての経験を通じて得た教訓を率直に語っており、その正直さと洞察の深さが際立っています。ビジネスの厳しさと、それに対する姿勢についての具体的なアドバイスが豊富に含まれており、読者にとって非常に価値のある内容となっています。特に、見栄やプライドに囚われず、素直で人間らしい姿勢を保つことの重要性を強調している点が印象的です。
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