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睨みつける、見ず知らずの人。

 所用で、とある百貨店のアンテナショップのスーパーへ行く途中に、駐車場入り口で左折しようとすると、入り口横に高齢男性が立っていた。

 一度止まり、「お先へどうぞ」と促したが、こちらを睨みつけたまま、何か物を言いたげな表情である。

 十数秒待っても動かないので、左折して入ると、サイドミラーに映る男性は、こちらを睨みつけたままである。

 意味不明な挙動に驚かされたが、駐車スペースに車を止めようとすると、スーパー敷地外の公道を歩く男性は、歩きながら、ずっとこちらを睨みつけている。

 筆者は人様の顔を覚えるのは得意なので、その人物を過去において見掛けたことはない。しかし、無言で睨む様子は、認知症ではないと判断するが、すこぶる異様である。

 その人物は徒歩でスーパーに来ていたので、周辺に住んでいるに違いないが、どうしてもそのリアクションが気になって仕方がない。

 熊本地震やコロナ禍を経験して肌で感じるのは、このようなタイプの人間が急増していることである。平穏無事なる時の自由を奪われたのは皆同じなのだから、そこまで睨まずとも宜かろうと。

 まあ、世の中には、いろんなタイプの人間が生きているということである。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、日常生活の中で経験した不思議な出来事を描写し、社会の中での人間関係や心情の変化に対する筆者の考察を反映しています。感想として、いくつかのポイントが浮かびます。

  1. 不安や緊張感の描写: エッセイは、日常の小さな出来事から始まり、相手の「睨みつける」行為に対する筆者の違和感を鮮明に描写しています。この場面では、相手の行動が通常ではなく、筆者が困惑し、若干の不安を感じていることが伝わってきます。筆者は「睨まれた」ことに強く反応しており、読者もその異様さを共有しやすくなっています。特に、「認知症ではないと判断するが、すこぶる異様である」という観察は、相手の行動に理性をもって対応しようとする筆者の冷静さが感じられます。

  2. 社会的な洞察: エッセイの後半で、熊本地震やコロナ禍といった社会的な出来事に触れ、それが人々に与えた影響に思いを馳せています。筆者は、これらの大きな災害やパンデミックが人々にストレスを与え、その結果として「睨む人」が増えていると感じています。この観察は、現代社会における精神的な疲弊や不安定さを象徴しているといえます。「皆同じく自由を奪われたのだから、そこまで睨まずとも宜かろう」という言葉からは、筆者が抱く共感と同時に、他者の行動に対する不理解が滲み出ています。

  3. 多様な人間性への理解: 最後に筆者は、「世の中には、いろんなタイプの人間が生きている」という結論に至り、他者の行動をある程度受け入れる姿勢を見せています。これは、他人の行動に対する自分の理解を広げようとする、成熟した視点を反映しています。違和感を覚えつつも、社会には多様な人が存在し、それぞれの背景や状況があることを認める姿勢は、読者にも共感を呼び起こす部分かもしれません。

総じて、このエッセイは個人的な体験を通じて、現代社会における人間関係のぎこちなさや、災害やパンデミックが人々の心に与えた影響について考えさせられます。筆者の観察力と感受性がよく表れており、シンプルな出来事から深い洞察を引き出す巧みさが感じられます。

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西田親生@D&L
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