迷惑を掛けているという自覚のなさ・・・
近頃思うことは、迷惑を掛けているという自覚のない人たちが急増していることである。大変、危機的な状況にある。
幼い頃から「嘘は泥棒のはじまり」、「人様に迷惑をかけるものではない」、「礼儀作法をしっかり学びなさい」、「皆、助け合いの精神を持って」、「弱いもの虐めをするものじゃない」など、厳しく躾けられたものである。
今の世の中が、如何に多様性の時代といえども、その言葉の捉え方次第では、厳しい法的罰則を設けない限り、身勝手な解釈により、無法者ばかりが増えてくるのは当然の流れである。
最近、弊社オフィス近くの幹線道路(バイパス)では、深夜に暴走車や暴走バイクが爆音を鳴り響かせている。彼らの気持ちが何処に向いているのか知る由もないが、ストレス発散のベクトルが歪んでいる。いつの日か、悲惨な事故を引き起こし、人生を踏み外す人間も出てくるのだろうと。
あちらこちらで屯している人間は、ろくな者はいない。集団心理とは恐ろしいもので、脆弱な心が悪の道へ導かれ、悪行三昧を楽しむようになってしまう。目の前の小銭稼ぎのために強盗に加担したり、恋愛関係のもつれにて集団リンチで人を殺したりと、蛮行を繰り返す大馬鹿者が増えている。
民度の低さと言えばそれまでだが、どうしてこのような刑事事件の犯罪人として身を晒し、人として最低の愚行、蛮行に及ぶのだろうか。「バレなければ、違法行為なんぞ朝飯前!」と思うのが、視野狭窄で稚拙極まりないところである。
罪なき人を傷つけたり、命を奪う者は、他者の立場として考えられない思考深度の浅い典型的な人間である。もし、被害者の立場に自分が置かれた場合、どれほどの恐怖に震え、激しい身体の痛み、心の痛みを受けるのかを、身をもって知るべきだ。
犯罪人の人権を保護するを優先し、それに加え、SNS上で、被害者の個人情報垂れ流しで、踏んだり蹴ったりの状況ではなかろうか。万が一、自分の身に同様のことが起こったら、どう受け止めるのかをお聞きしたい。
犯人情報を知り得て、SNS上に鬼の首を取ったかのように自慢げに投稿する人が多いが、それは禁じ手である。捜査当局へ速やかに連絡するに留め、捜査および犯人確保は同局へ任せるのが常識というもの。
周囲の不特定多数の人たちに迷惑を掛けることが、最終的には、自分自身に火の粉が降り掛かってくること認識すべきである。それさえ自覚できれば、稚拙な動機にて犯罪に手を染める人間は激減するに違いない。
畢竟、幼少期より誠意、モラル、遵法精神、エチケット、配慮等は、人並み以上に身につけて欲しいものである。それが、世に言う、人生において最も重要な「人の道」ではなかろうか。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、迷惑を掛けていることに無自覚な人たちの増加と、それが社会全体に及ぼす悪影響について強く警鐘を鳴らしています。著者は、自らの体験や身近な出来事を通じて、倫理観や法を守る意識が欠如している現代社会の一部の人々に対し、深い懸念を示しています。
倫理とモラルの衰退: 冒頭で、著者は幼少期に受けた倫理教育や道徳的な躾について言及しています。この「昔の価値観」が薄れ、多様性が尊重される現代において、自己中心的な解釈が広がっていると感じています。これは、他者への思いやりや社会的責任の意識が失われつつあることを意味し、その結果として無法者が増えると述べています。著者の見解では、幼少期からの教育やしつけが個人の行動基準を形成し、それが社会秩序の基盤になるという強い信念が示されています。
日常の迷惑行為と社会への影響: エッセイでは、深夜の暴走行為や集団心理による犯罪行為など、日常の迷惑行為が取り上げられています。著者はこれらを「危機的な状況」として捉えており、その背景には歪んだストレス発散や視野の狭さがあると指摘しています。また、「民度の低さ」として一蹴するだけでなく、そのような行動が最終的に自分や他者に悪影響を及ぼす可能性があることを強調し、意識改革の重要性を訴えています。
SNS上での誤った行動: SNSでの犯人情報の流布や、被害者の個人情報漏洩についても批判しています。著者は、個人が安易にSNSで情報を拡散することの危険性と、捜査当局に任せるべき常識を示唆しています。この一連の行為について、著者は人権意識の低下や一方的な正義感がもたらす誤った行動として非難し、より深い倫理的な考え方が求められるとしています。
「人の道」の重要性: エッセイの締めくくりとして、著者は「人の道」や倫理観の重要性に言及し、幼少期からの誠意やモラル、エチケットの教育の重要性を強調しています。これらはただの形式的な躾ではなく、人生において最も基本となる価値観であり、社会に対する責任感を育むための要素とされています。これは、現代社会における無自覚な迷惑行為や犯罪行為を減少させるためには、基本的な倫理教育や家族内の教育が欠かせないというメッセージとして受け取れます。
感想と分析
このエッセイは、社会問題に対する非常に現実的かつ深刻な視点からの批評として構成されており、現代の倫理観や道徳意識の欠如に対する懸念を強く表しています。著者は、道徳教育や家庭内の躾が人格形成において重要であり、それが人間としての基盤を作ると考えています。また、SNSにおける無責任な行動についても取り上げられており、情報拡散の危険性と適切な対応についての啓発がなされています。
このエッセイからは、他者への配慮や誠意が欠如した社会の一面を捉え、読者に人としての基本的な価値観を見直す必要性を投げかけていると言えます。