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裏表のある人は、根っからの嘘つきだ。・・・裏も表もガラス張りが気楽で良い!

 自分の心をMRIにて透かしてみよう。裏表のある人間なのか、ガラス張りの正直者なのか。多くの人は、裏表の表を一所懸命に強調するけれども、どこかに綻びが出て『嘘』がバレバレとなる。

 昔から『嘘つきは泥棒の始まり』と言うが、まさしくその通りだと頷くばかり。『嘘も方便』も胡散臭い言い訳に過ぎない。よって、『嘘』はない方が気楽であり、『嘘』に『嘘』を上塗りする生産性のない作業も不要となる。

 しかし、何でもかんでも、聞かれぬことまで喋りまくる必要はない。必要不可欠なものだけをシンプルに語ればそれで事足りる。無駄な演出も、下らぬ美辞麗句も不要である。

 最近、『竹輪耳』の人を良く見掛ける。何度同じことをサジェストしても、理解も実行もできない『竹輪耳』の持ち主である。語りの中で、鸚鵡返しばかりにて、分かったふりして、理解の領域に到達しない人種である。

 一度『嘘』をつけば、また、その『嘘』がバレないように、再び『嘘』をつかねばならない。それが常態化している人は、思考回路が止まっており、自己の発言が『嘘』なのか『本当』なのかも判別がつかないようだ。

 半年経っても、一年経っても、それ以上経っても、そのスタンスが全く変らず、口先では分かったような事を言うが、その実態を覗き込むと、全く変化も進化もない空転状態が長年続いている。

 何ともまあ切れ味の悪い人間だが、できれば、日本刀のような切れ味の良い人間になる方が、比較にならぬほど、何事も上手く円滑に動き、楽しい人生になりはしないかと思うばかり。勿体無い人生の歩み方である。

西田親生の自由気まま書『竹』
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