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素晴らしき方々へ新年のご挨拶 2025

 生憎のどんよりとした空模様で、時折、小雨が降るひんやりとした元旦を迎えたようである。

 写真は過去に撮影したもので、熊本県山鹿市にある「一目神社」(ヒトツメジンジャ)の鳥居と、奥に見える拝殿を捉えたものである。ここは筆者の郷里にある小さな神社で、山鹿市に残る昔話にも登場する。小学校6年生まで過ごした故郷であり、筆者の記憶に深く刻まれている場所である。

 地域の方々が大切に守っておられるに違いないが、ふと立ち寄るたびに、この古びた小さな神社から日本人の神に対する信仰心が見え隠れする。ここには湧水があり、手水屋の水を汲みに来る人も少なからずいる。周囲は水田が広がり、自然に埋もれた人里離れた神社として静かに存在している。

 年末のテレビ番組を見なくなって、何十年も経ったように思う。子供の頃は紅白がメインであり、レコード大賞にも耳を傾けていた。しかし、いつの日か興味が薄れ、年末年始の過ごし方は昔とは全く異なるものになった。

 区切り(ケジメ)をつけることは重要であるが、世の中の年末商戦やイベントに関連づけられた商業活動には、やや食傷気味となっている。流行や集団心理に安易に流される人間にはなりたくなく、国民性を利用した右へ倣えの商戦には少々疑問を抱かざるを得ない。

 それらは扇動や洗脳に近いものを感じるが、このような空気感を作り出しているのは、一体誰なのであろうか。周囲と同じことをしなければ異端児扱いするような風潮もあるが、それでは個々のユニークさが失われてしまう。もちろん共存共栄は理想であるものの、平均的に塗り潰されてきた歴史を振り返ると、納得のいかない点が多々あることに気づかされる。

 宗教においても似たような構図が見られる。何かにつけ献金の仕組みがあり、年末年始や行事のたびに、根拠の定かでない願いを賽銭箱に託す慣習がある。しかも宗教は税対象ではなく、庶民の信仰心を上手く利用して寄付を集め、新たな社を建て替えたり屋根を葺き替えたりしている。仏教、神道、その他さまざまな宗教が共存する日本において、我々は見えざる手によるマインドコントロールを受けてはいないかと自問自答することもある。

 そもそも太古から息づく宗教とは何か。それは個々人の宗教観や宗教心によって左右され、信じるか否かは全く自由である。ただ、人は精神的に脆弱な面も併せ持つだけに、何が心の支えとなるのかが鍵である。

 筆者の場合、神や仏は筆者自身の心の核として存在している。そこには姿を持たぬ神と、笑顔の両親や親族の仏の姿が思い浮かぶ。よって、巨大な社や拝殿、仏像のような人工物に神仏が宿るとは考え辛い。

 結局のところ、今を生きるための心の支えこそ何よりも大切である。筆者なりの結論を言えば、目の前の大切な人々こそが最大の心の支えであり、まさに神を凌駕する存在なのではないかと考える次第。

 二礼二拍手一礼の作法では、「願い」ではなく「御礼」を伝えるべきと聞いたことがある。自然災害や疫病に苦しんだ庶民を救う、あるいは心の支えとなる意義がそこに包含されているのだろう。何はともあれ、生きている筆者にとって最も重要なのは、周囲の近しい方々であることに変わりはない。

 「神を信じろ!」と言われ、仮に、その存在を認めるのであれば、今そばにいる大切な人々こそが神からの最高の贈り物なのだろうと思わざるを得ない。

 嘗ては「今年こそは云々」と、所信表明のように抱負を並べたこともあるが、今にして思えば、実に気恥ずかしい限りである。よって「今年こそは」ではなく、今年も過去と同様に、素晴らしい方々との接点を大切に維持継続していきたいと宣言する次第である。

 因みに、今年の10月1日で、若くして起業してから35周年を迎えることになる。振り返ってみれば「あっという間」であるが、一言でいえば「人生いろいろ」がもっともしっくりくるのではないかと感じている。


▼ChatGPT-o1による感想(5秒で回答あり)


以下のエッセイには、新年に寄せる挨拶や信仰・宗教観への思い、そして筆者自身の人生観や人間関係に対する姿勢など、多くの要素が散りばめられています。以下では内容を段階的に整理・分析しながら、詳しく感想を述べてみます。


1. 郷里の神社がもたらすノスタルジー

エッセイ冒頭で登場する「一目神社」は、筆者が幼少期を過ごした熊本県山鹿市にあり、筆者にとっては思い出が深く刻まれた故郷の象徴として描かれています。小さいながらも古い神社が、地域の人々に大切に守られ、拝殿の奥からは日本人の神に対する信仰心が垣間見えるというくだりは、郷土の信仰や文化の持つ素朴さを象徴しているように感じられます。

  • ノスタルジーの喚起
    郷里の風景をふと想起したとき、誰しもが懐かしさや安心感を覚えるものですが、その小さな神社を通して、自分自身の原点や人生観を再確認しているようなニュアンスが感じられます。

  • 守り継がれる文化
    手水屋の湧水を汲みに訪れる地域の方々の姿は、日本人が長年育んできた“神社との付き合い方”を象徴しています。大々的な観光地化と異なり、長い年月をかけて人々の暮らしに溶け込んできた信仰習慣があるからこそ、神社が静かに存在を保っているのでしょう。


2. 年末年始の変容と「右へ倣え」の風潮への疑問

筆者は年末のテレビ番組(紅白やレコード大賞など)を見なくなって何十年も経ったと述べています。これは個人の嗜好の変化というだけでなく、大衆文化への距離感や、大量消費社会に組み込まれた年末年始の“お祭り騒ぎ”への違和感にもつながっているようです。

  • 商業主義・大量消費社会への食傷
    年末年始に繰り広げられる大々的なキャンペーンやイベントは、筆者にとっては「扇動や洗脳に近いもの」を感じさせるほどに、商業ベースで盛り上がる空気を生み出していると指摘しています。
    その一方で、それらに乗っかるのが“普通”という刷り込みが、国民性を巧みに利用しているのではないかと疑念を呈している点が興味深いです。

  • 「平均化」と「個の尊厳」
    「周囲と同じことをしなければ異端児扱い」という風潮は、昔から日本社会に根強くあるものであり、それがある種の圧力となって「個のユニークさを失う」原因になるとも言えます。エッセイではこの点を冷静に見つめながら、自らの思想や行動を“安易に流されること”に警鐘を鳴らしていると感じます。


3. 宗教観と“見えざるマインドコントロール”への問い

このエッセイの核心の一つとして、宗教への視点が挙げられます。日本特有の多宗教共存の中で、神道や仏教をはじめとする宗教行事や寄付システムが、昔から当たり前のように浸透していると指摘しています。

  • 根拠の定かでない“願い”と献金
    宗教行事や大きな神社仏閣の再建費、拝殿の葺き替え費用などが、庶民の信仰心をもとに成り立っていることを「うまく利用されているのではないか」と問いかけています。この見方はきわめて批判的ですが、“祈願”や“お賽銭”に対して、なぜ人々は疑問を抱かないのかを考えさせる点は大変示唆的です。

  • 人の脆弱さと宗教の存在意義
    一方で、精神的なよりどころをどこに置くかは、個々人によって大きく異なります。筆者は「神や仏は心の核として存在している」としつつも、それを「巨大な拝殿や仏像と同一視はしない」と明言します。すなわち、大規模な建造物や組織としての宗教ではなく、自分自身の内面にこそ信じる対象があるという考え方です。これは日本に古くからある“内面的な神仏観”とも重なり合う部分があるでしょう。


4. “今を生きるための心の支え”と“周囲の人々”の存在

エッセイの終盤では、筆者が真正面から「神とは何か」「仏とは何か」を論じるよりも、「今、自分を支えてくれる最も身近な存在」こそが神仏を超えるものだ、という結論を打ち出しています。

  • 神仏を凌駕するものとしての「人」
    「神を信じろ!」と言われたとして、もしその神を認めるならば、最も大切な人々が神からの最高の贈り物ではないのかという考え方は、非常に人間中心的で温かみがあります。いわゆる“神への祈り”ではなく、目の前の家族や仲間、友人といった生身の人々にこそ敬意を払うという姿勢です。

  • 感謝の重要性
    エッセイでは「二礼二拍手一礼」の作法で伝えるのは「願い」ではなく「御礼」だと強調しています。この姿勢は、自分にとって大切な存在や状況に対して、常に“感謝”を忘れないという日本の伝統的な教えにも通じる部分です。こうした感謝の念を抱くことで、人々との関係性がより深く豊かになり、人生の質が上がるという示唆が込められていると感じます。


5. 新たな年を迎えるうえでの所信と人生の積み重ね

最後に、筆者が「今年こそは」と抱負を並べ立てるのではなく、「今年も素晴らしい方々との接点を大切に」という言い方で結んでいる点が印象的です。また、10月1日で起業から35周年を迎えるという事実が、筆者のこれまでの積み重ねを示しています。

  • “今年こそは”から“今年も”へ
    新年の決意表明で「今年こそは○○をやる」というフレーズはよく耳にしますが、筆者はそれよりも、今まで大切にしてきたものを“継続”することが何より大事と捉えています。決意表明を声高に宣言するより、長い人生で培った価値観や人とのつながりを大事にしたいというメッセージは、穏やかでいて説得力があります。

  • 人生いろいろ
    「あっという間」の35年は決して平たんな道のりではなく、いろいろな出来事があったことを示唆します。“人生いろいろ”というシンプルでありながら含蓄のあるフレーズに、筆者が歩んできた喜怒哀楽や、そこから得た学びが凝縮されているようです。


まとめ:個を大切にしつつ、周囲の人との関係性を再認識するエッセイ

このエッセイは、年末年始の世間の浮き足立った雰囲気に疑問を呈しながらも、結局は「身近にいる人々への感謝」が何よりも大切だと訴えかけています。人間関係の尊さや、一人ひとりがもつ信仰心の多様性、そして人生の節目を迎えるにあたっての回顧と展望がバランスよくまとめられており、読後には静かな共感と希望が残ります。

特に印象深いのは、大きな神社や宗教組織を介さずとも、“自分の内面”や“身近な人”こそが最も大切な拠り所になるという姿勢です。新年の抱負とともに、日々の暮らしのなかで無意識に流されてはいないかを見直すきっかけを与えてくれる、示唆に富んだ内容だといえます。新年のスタートにあたり、個々人が何に重きを置いて生きていくのかを改めて考えさせられる、そんなエッセイとして受け止めました。

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西田親生@D&L
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