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「恥」は上塗りするものではない。
以下は個人的な体験談である。自戒を込めての話だが、人は「恥」は上塗りするものではないと考える次第。
「恥」をかく感覚は、その瞬間に気づくこともあり、時には、後から気づくこともあり、また、気づかないこともある。
「恥」をかいてしまえば、一般的には同じ過ちを繰り返さぬように用心することが一般的な考え方である。相手に失礼な言動をした場合、迅速に誤解を解き、相手に不快感を与えたことに対して謝罪することが望ましい。
しかし、中には自分の「恥」に気づかぬ人もいる。周囲からの助言を受けて、自分の失敗を理解することで、同じ過ちを繰り返さないよう心掛ける必要である。
ところが、一部の人は自分の「恥」を認めず、同様の過ちを繰り返し、その上に新たな「恥」を重ねてしまうのだ。それは、歪んだプライドや意固地な性格が要因であるように思えてならない。
大人になっても、悪しき学生時代の先輩後輩の上下関係を継承し、他者との適切な距離感や自分の立ち位置を理解せず、上から目線で物事を捉える傾向があるように思えてならない。
「恥」の上塗りを続けることがもたらす問題は、想定外に深刻である。他者に対しての非礼な言動に対する反省や改善がなければ、信頼は次第に薄れていくばかり。
また、自らの職位や立場を強調し、「恥」の上塗りを続ければ、同僚や部下との関係が悪化し、外部からの信頼も失墜することになりかねない。
以下は、具体例としてホテル経営者のケース(実録)を時系列に挙げてみることに。
顧客に対して公然の場で暴言を吐く。
語彙力の不足から「一線を画す」を「一線を引く」と言う。
上司から問題視され、最敬礼で謝罪する。
上司が謝罪文を読み上げる。
失言に対する謝罪文を夜間に顧客自宅ポストに届ける。
同僚や部下に対して小言を言うようになる。
管掌を一時剥奪される。
業務を怠り、公休を優先する。
社外の重要文書を放置する。
重大な問題を隠蔽し、他者に責任を転嫁する。
社内で外部の顧客を悪者に仕立て上げる。
顧客に対して「根拠なき条件」を突きつける。
上司が退任し、その人物がトップになる。
顧客との関係断絶のために民事裁判を起こす。
虚偽訴状で判決は下らず、「恥」をかく。
顧客の握手を拒否し、失態を認めず。
裁判結審後に再び公然の場で失言する。
和解が成立しても逸脱し、再び「恥」をかく。
顧客から和解条件の違反指摘を受け沈黙する。
謝罪もなく現在に至る。
この実例から明らかなように、このような行動は何としても避けるべきである。経営者であれば尚更のこと。
その人物が誠実であれば、初めから難癖をつけず、失言などないはずだ。弁護士を三人も雇って不要な裁判を起こし、仰々しい訴状を提起しても、その意固地さは認められることはない。
無駄な行動が自分の会社に損害を与えれば、株主や社外取締役から「特別背任」で問題視される可能性も出てくる。最終的に、「恥」は上塗りするものではなく、改善への努力が必要である。
畢竟、客観的に自分の行動を見つめ直し、常に向上心を持つことが必要ではなかろうかと危惧するばかりとなる。
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![西田親生@D&L](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170773069/profile_ebb12aae73eba0be5d22e0d87167224a.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)