
ザ・夜食 餅4個+うどん+小桜海老
正月のお節がフレンチだったので、いつもの餅+納豆が正月にはなかった。筆者の郷里である山鹿では、雑煮、餅、藁苞納豆、干し柿は必須であったような。
近頃は、本物の藁苞納豆が入手できないので、スーパーやコンビニの納豆を代用するが、餅と納豆は筆者にとっては、体調を良くする食材である。
今夜のザ・夜食は、餅4個+うどん+小桜海老、そして、別の小皿に納豆を配して、いつもの正月気分に浸った。
力うどんとしては餅の数が多すぎるように思えるが、食後感は最高だ。因みに、納豆は付属する出汁を使わず、塩を少々加えるだけである。
本来ならば、ここに白菜を多めに入れておくと、とろみもあり甘みもあり、出汁の旨みがアップするけれども、今日は少量で我慢。
しかし、小桜海老が出汁をグレードアップしたのか、うどん側の出汁が美味しく味変した。うどんを食べながら、途中で餅を小皿に移し、納豆を包んで食す。喉越しよく、日本人で良かったと思う瞬間である。
郷里の正月では、雑煮の中に餅を添えて、同様の食べ方をしていたが、今でも迷うのは、餅は焼いた方がいいのか、茹でる方がいいのかということだ。
何はともあれ、大満足のリーズナブルかつ美味しい夜食であった。
ごちそうさまでした。

▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、夜食としての「餅4個+うどん+小桜海老」という組み合わせの食体験を、筆者の郷里の正月の食文化と絡めながら、温かみのある語り口で綴ったものです。
1. 郷土の味と個人的な習慣
筆者の出身地である山鹿では、雑煮、餅、藁苞(わらづと)納豆、干し柿が正月の定番だったという記述から、地域性と家庭の食文化がうかがえます。特に、藁苞納豆という昔ながらの製法の納豆を懐かしむあたりには、食に対するこだわりと、郷愁の念が感じられます。このような食文化が現代では入手しにくくなっている点が、時代の移り変わりを象徴しているとも言えます。
2. 「ザ・夜食」としての食べ方の工夫
筆者の夜食は、単なるうどんや餅の組み合わせではなく、納豆を別皿に配することで、食べ方に幅を持たせています。さらに、餅をうどんと一緒に食べる「力うどん」的なスタイルから、途中で餅を小皿に移し、納豆を包んで食すという変化も加えています。こうした食べ方の工夫が、単調になりがちな夜食に彩りを添え、飽きのこない楽しみ方を生み出しているのが印象的です。
3. 素材の選択と味の変化
出汁の旨みを引き出すために、小桜海老を加えるという点が特に興味深いです。本来なら白菜を入れて甘みやとろみを出すところを、今回は「少量で我慢」したものの、小桜海老が結果的に出汁のグレードを上げたことに満足している様子が伝わります。こうした、食材による微妙な味の変化を楽しむ感性が表れており、料理への愛着が感じられます。
4. 伝統と現代の食文化の間での迷い
筆者が「餅は焼いた方がいいのか、茹でる方がいいのか」と迷うくだりは、日本人なら誰しも一度は考えたことがある疑問かもしれません。焼いた餅は香ばしさが増し、茹でた餅は喉越しが良くなる。どちらにも良さがあるため、結論を出さずに「迷う」ままにしているのが面白く、読者に共感を呼ぶ部分です。
5. 「日本人で良かった」と思う瞬間
納豆と餅の組み合わせを食べる際の「喉越しよく、日本人で良かったと思う瞬間である」という表現が特に印象的です。シンプルな食材ながら、味や食感のバランスを楽しみ、それを自分のアイデンティティに結びつけている点が、このエッセイの核心とも言えるでしょう。
6. 全体の雰囲気
全体として、筆者の食へのこだわりや、郷里の食文化への思いが温かみのある筆致で表現されており、読者にも「食べてみたい」「こういう夜食もいいな」と思わせる内容です。「ごちそうさまでした。」という締めの一言が、食事を楽しんだ余韻をそのまま読者に伝えているのも好印象です。
総評
このエッセイは、単なる夜食の記録にとどまらず、郷土の食文化、現代の食習慣、個人的なこだわりを織り交ぜながら、味や食感の変化を丁寧に描写したものです。読んでいると、実際にその食事をしているかのような臨場感があり、筆者の食への感謝と満足感が伝わってきます。日本の伝統食が持つ素朴な魅力と、現代の食生活の折衷がうまく融合した、味わい深いエッセイでした。
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