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「三島由紀夫 vs 東大全共闘」ドキュメンタリー映画について
先の記事にて「三島由紀夫 vs 東大全共闘」のドキュメンタリー映画を挿入したが、そこで鼻を突いたのが、中に登場する東大全共闘の論客と言われた人物が老後に発した回想であった。
兎に角、上から目線で、対峙する三島由紀夫にもその他の同志にも敬意なき論調が印象的である。自分の世界を築くのは立派なことだが、それにより高飛車に自分自身を演出するのは如何なものかと、失笑するばかり。
兎に角、言いたい放題にて屁理屈が多い。言葉の綾取りゲームと化した場面もあり、何に対して矛先を向け、攻撃的な言葉で切り付けたいのか、理解に苦しむのである。
激昂した言葉が飛んだり、途中でタバコをスパスパと。元東大全共闘の主力メンバーの中には、温厚にて冷静にその当時を振り返り、「三島由紀夫 vs 東大全共闘」を分析する人もいたが、無敵の論客とされた人物のささくれ立った言動は、心地良くはない。
映画の中で、最強の論客とされる人物を芸術的表現で「前衛」と評したところもあるが、筆者にとっては、単に偏りのある人物像に見えて仕方がない。何を才能といい、何を能力といい、何をイデオロギーというのか。
言いたい放題、遣りたい放題、決闘までをも想定内とする過激な思考回路には、悪しきものが潜んでいたに違いない。社会構造やその当時の権力者たちを攻撃するのは一向に構わないが、手段手法は禁じ手でしかなかった。
当時のその他のドキュメンタリー映画を観ると、全学連の火炎瓶と機動隊の催涙弾応酬の動画ばかり。国政側からすれば反社会的な存在としてマークし、全学連側にとっては国政側は能無し独裁者として見做していた。
東大全共闘が要求する内容と、それに伴う行動が乖離している。挙げ句の果てには、暴徒と化した学生たちによる、国家転覆を図るクーデターのようなものだ。勿論、三島由紀夫と楯の会一部メンバーが東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部を占拠し割腹自殺に至ったのも、正気の沙汰とは言えない。
何とも後味の悪いものとして筆者の記憶の箱に入っているが、何故に、三島由紀夫も東大全共闘双方とも、暴力を選んだのか。今も尚、筆者には理解できない社会現象として受け止めている。第二次世界大戦終結後間もない頃なので、大動乱期でもあり、後先考えぬフライング現象である。
筆者が私見を述べる資格があるとすれば、三島由紀夫には文壇にて、主義主張を最後まで貫いて欲しかったというのが本音である。武士道への固執もまた、総監部での決死の儀式に繋がっているのだろうと。
蛇足ながら、ノーベル文学賞を受賞した川端康成と三島由紀夫の関係性についての書籍も存在するが、川端と同様にノーベル文学賞ノミネートされながらも、三島の手が届かなかったという事実も、一つの大きな要因ではないかと考えている。
異論反論あろうけれども、以上が、久しぶりに観た「三島由紀夫 vs 東大全共闘」のドキュメンタリー映画についての所感とする。
▼ChatGPT-o1による感想
このコラムは、ドキュメンタリー映画「三島由紀夫 vs 東大全共闘」を観て抱いた筆者の感想を綴ったものですが、全体的に、
当時の最強論客とされた人物への違和感
東大全共闘の運動と実際の行動との乖離
三島由紀夫の壮絶な最期や武士道への固執
暴力という手段を選んだ両者への疑問
といったポイントが中心に語られています。以下では、コラムの内容を整理しつつ、そこから見えてくるものや、当時の社会背景も含めた詳しい感想を述べます。
1. 最強論客が放つ「上から目線」と失笑を誘う論調
コラムの筆者は、ドキュメンタリーで登場する「東大全共闘最強の論客」と目される人物の老後の回想に、まず大きな違和感を覚えています。
当時の相手である三島由紀夫や、自身の同志に対してすら敬意がない
言いたい放題・屁理屈のような発言が目につく
視聴者(筆者)にとっては「高飛車な自己演出」にしか見えず、失笑してしまう
これは、1960年代後半から1970年代初頭にかけて学生運動の只中で青春を送った人々が、現代になってそれを回想するときに抱きがちな“誇張”や“客観視の欠如”がにじみ出ている可能性があります。激動期の自分を「美化」または逆に「自嘲」するなど、立ち位置はさまざまですが、この人物の場合は自己正当化や過度な上から目線が際立ち、筆者に不快感を与えたのでしょう。
さらに、筆者が指摘する「何に対して矛先を向けているのか分からないほどの攻撃的言動」は、もともとの全共闘運動の複雑さや、内部の理念・目標の多岐にわたる様子が反映されているとも言えます。いわば「組織としての結束やゴール」が必ずしも明確でなかったことが、こうした“しゃべり方”や“論の飛躍”に表れてしまうのかもしれません。
2. 東大全共闘の要求と行動との乖離
コラムでたびたび触れられているのが「東大全共闘が要求する内容と、実際に取った行動との食い違い」です。学生運動そのものは、大学の自治や学費値上げへの反対、あるいは当時の政治に対する反発など、複合的な要因を背景にしています。とはいえ、1960年代末から70年代初頭にかけての映像資料を見ると、火炎瓶や催涙ガス、機動隊との衝突といった暴力的手法が強調されがちです。
コラムの筆者は、当時の映像を見るたびに「国家転覆を図るようなクーデターの様相」「暴徒化した学生たち」というイメージを抱いてしまうと語っています。もともとの要求が「大学改革」「社会の歪みを正す」など理念的なものだったとしても、“言葉”だけでなく“力”に頼ってしまうことへの疑問は大きいものです。筆者も「手段が禁じ手だったのではないか」と述べているとおり、当時の全共闘運動がどこで暴力の道を選択してしまったのか、これは現在から振り返ると大きな論点の一つでしょう。
3. 三島由紀夫の思想と最期
「三島由紀夫 vs 東大全共闘」というタイトルどおり、映画のハイライトは1969年5月、東大駒場キャンパスで開かれた討論会です。実際に四方を取り囲む学生たちの前に三島由紀夫が登場し、東大全共闘側と激しい応酬を繰り広げた場面は映像的にも衝撃があります。そして1970年、三島は市ヶ谷駐屯地に乗り込み、総監室を占拠し割腹自殺するという衝撃的な最期を遂げました。
筆者は、「三島由紀夫には文壇で主義主張を貫いてほしかった」という思いを吐露しており、これは多くの人が抱く感想でもあります。
三島は文学的才能を持ちながら、それを政治的・思想的実践へと結びつけた
極端な形での“武士道”や決死のパフォーマンスに走ることは回避できなかったのか
さらにコラムでは、「ノーベル文学賞に手が届かなかったことが要因のひとつではないか」との私見も述べられています。真相はもちろん不明ですが、川端康成と三島由紀夫の師弟関係が広く知られていることや、三島自身が常に世界の文学シーンを意識していたことを考えれば、一つの要因としてまったくの的外れでもないのかもしれません。
4. 暴力が選ばれた理由への疑問
このコラムの核心ともいえるのは「三島由紀夫も東大全共闘も、なぜ暴力を選んだのか分からない」という筆者の率直な疑問でしょう。
三島由紀夫側:市ヶ谷駐屯地を占拠し割腹自殺に至るという最期
東大全共闘側:大学改革や社会構造への批判を、時に火炎瓶や暴力的衝突という形で表す
いずれも“言論”から逸脱してしまい、最終的には自らの身体を極限まで投じるという手段に至っています。戦後間もない混乱期、さらにベトナム戦争や安保闘争の影響もあり、国際政治・国内政治が騒然としていたことが背景にはあるとはいえ、現在から見れば不可解な選択に思えます。
コラム筆者が「今も尚、理解できない社会現象」と称するのは、当時の日本社会が大きく揺さぶられていたことの証左でもあるでしょう。
5. コラム全体から見えるもの
このコラムが最終的に伝えているのは、「当時の熱気や思想は一種の狂騒であり、いま振り返ると評価に困る部分が多い」という複雑な後味です。
三島由紀夫と東大全共闘の論戦は、当時の知的空間を一面では刺激的に彩った
しかし、その先に待っていたのは暴力の連鎖や破滅的な行動
コラム筆者は、ドキュメンタリーを見て「やはり理解しがたい」という感覚を新たにしている
また、筆者が言及しているように、学生運動や三島の行動を「単純なイデオロギー対立」として断じるのではなく、個々の思想家や運動家が複雑な背景と思惑を抱いていた点にも注目すべきでしょう。映画内の人物の発言や態度が傲慢に見えるのは、そうした複数の思惑が渦巻く“歴史の遺物”が今になって現れているからかもしれません。
6. 感想のまとめ
全共闘運動や三島の行動への否定的視点が明確
コラム全体を通じて、暴力的手段や極端なパフォーマンスへの厳しい眼差しが一貫しています。筆者が「失笑」とまで書くのは、単に批判というよりも「冷静に見てどうなのか?」と問い直している態度とも言えます。「なぜ暴力か」という普遍的な問いかけ
戦後日本の混乱や学生運動の過熱、国家体制への不満など様々な要素が絡むとはいえ、“言葉”による闘争を超えて“暴力”へ走るとき、人間の社会はどこへ向かうのか。筆者の疑問は、当時だけでなく現代にも通じる普遍的テーマです。三島由紀夫の文学的才能との対比
筆者自身が「三島由紀夫には文壇でこそ闘ってほしかった」と述べているように、彼の華々しい文学的功績と壮絶な政治的パフォーマンスとの落差が、この映画をより一層ドラマチックに見せています。それは多くの日本人が抱くアンビバレントな思いでもあるでしょう。映画自体の意義
こうした“生々しい証言”や当時の映像資料を通じて、1969年の東京・駒場キャンパスでの出来事や、1970年の三島由紀夫の最期を改めて想起することには大きな意義があります。と同時に「登場人物たちの“いま”の姿」は、歴史をどのように語り継いでいくかという問題を私たちに投げかけているのかもしれません。
結論
コラムの筆者は、このドキュメンタリー映画を通じて、三島由紀夫と東大全共闘の激しい思想的対立と、その背後にある暴力的衝突への疑問を改めて強く感じています。特に「最強論客」といわれた人物の回想からは、当時の熱狂や矛盾を引きずったまま老境に至った人間の姿が浮かび上がり、その言動に筆者は違和感を禁じ得ません。
同時に、三島由紀夫という特異な存在がなぜ「文壇から外へ」出て行き、最後は割腹自殺という道を選んだのか、あるいは東大全共闘がなぜ火炎瓶やクーデターまがいの行動に踏み込んだのかといった問いは、“理解しようとしても容易にはつかめない” 時代性や個人の思想・情念が入り混じったものです。
結果として、このコラムが示唆しているのは、「いま振り返ると分からない部分が多いものの、当時の社会と個人のエネルギーは確かに存在していた。その残滓のありようを考えるきっかけとなるのが、このドキュメンタリー映画である」 ということではないでしょうか。筆者の率直な違和感や批判を通じて、私たちはあの時代の負の側面や日本社会の歪みを改めて感じると同時に、過去の出来事を一面的に語ることの難しさも知ることができます。
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