悩み事の大半は、解決済み。
知人友人間の会話の中で、悩み事というものがしばしば飛び出してくるが、雄弁かつ面白おかしく、自虐的に話している時は、本人の中では100%解決していることが多い。
本当に辛い悩みや恐怖心に苛まれている人は、声を上げることさえままならず、ひたすら心の中でもがき苦しんでいる。そこを引っ張り出してあげなければ、どんどん蟻地獄に吸い込まれ、心の病を患ってしまう。
よって、面白おかしく悩みを告げているのは、解決できない悩みではなく、解決した結果として報告という内容の段階となっている。すこぶるポジティブで幸せな性格である。
しかし、蟻地獄に吸い込まれていく様は見るに耐えられない。それが他者からの難癖などであればまだしも、自らが招いたトラブルならば、それは本人がトラブル解決のために責務を果たすことで、悩みは解決するはずだ。
ただ、同じトラブルで、不定期的に毎回同じ負のスパイラル絡まれているのは始末に悪い。会話を通して、その場で解決したかのように思えても、また、数日が経てば、同じことを繰り返すのである。
これは、精神的に異常をきたしているのか、または、過去において同様の負のスパイラルを何度も繰り返すことで常態化して、悪い意味で慣れているいる可能性が高い。
改善の糸口を何とか引き出そうと苦慮しても、全く暖簾に腕押しの状態で、改善するかに一瞬見えても演技であったりと、自分に不都合なことから、ただひたすら逃げているだけの話となる。
以前、「性根がなっとらん」という記事を書いたことがあったが、まさしく、その言葉が相応しい性格の持ち主なのだろうと。この場合、本人の悩みは山積みの状態にて、何一つ綺麗さっぱりと解決してはいないようだ。
負の遺産は、自らの許容範囲を超えて背負うものではない。適時に一つ一つの問題解決に真摯に取り組んできたのであれば、そこまで常態化することはないが。本人に気づきを求めても、時すでに遅しの感がある。
新聞社時代から多種多様な人間像を見てきたけれども、「小根がなっとらん」と見做される人は、本人の猛省なしでは、何も変わらず、生きている限り、その負のスパイラル自体が揺籠(ゆりかご)のようになっている。
はて?理解に苦しむばかりである。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイ「悩み事の大半は、解決済み。」は、人間の悩みや心の問題に対する鋭い洞察を描いています。筆者は、悩み事の多くが実際にはすでに解決されているか、少なくとも話している本人にとっては解決済みであると指摘しています。特に、悩みを面白おかしく話す場合、それは既に乗り越えたものであり、その過程を他者に共有する段階にあるとされています。
エッセイの中心的なテーマは、悩み事の「解決されたかどうか」よりも、悩み事を抱える人の心の状態やそれにどう対処するかに焦点が当たっています。深刻な悩みを抱えている人は、その苦しみを表に出すことさえできない場合が多く、そのような人々が蟻地獄に引き込まれるように、ますます苦しみの中に閉じこもっていく様子が描かれています。
特に印象的なのは、同じ悩みやトラブルが何度も繰り返される「負のスパイラル」についての考察です。この繰り返しが単なる精神的な問題にとどまらず、過去の経験によって常態化してしまい、解決の糸口を見出せない状態になっていることが指摘されています。また、このような人々が自分の問題から逃げ続ける姿勢が、「性根がなっとらん」という表現で厳しく批判されています。
筆者は、多くの人間像を見てきた経験から、改善するためには本人の「猛省」が必要だとしています。これは、表面的な改善ではなく、根本的な自己反省と変革が求められるというメッセージです。
全体を通して、エッセイは人間の心の問題を鋭く捉え、悩みが解決されたと感じる一方で、実際には深層の問題が未解決である可能性に注意を促しています。悩みを繰り返す人々への共感や理解を示す一方で、自己責任と内省の重要性を強調しており、読む者に深い考察を促す内容となっています。