ふと重力が速いのに気づく・・・
重力は、9.8m/s2乗であることは、学生時代に物理の自然落下現象にて学んだことであるが、その9.8m/s2乗が、最近、やけに速いように思えてならないのである。
若き頃は、垂直ジャンプは人並み以上に高く跳び、例えは古いが、牛若丸が欄干にスッと跳び上がるようにピョンピョン跳んでいた。
先ほど、アキレス腱をゆっくりと伸ばし、足腰の筋肉をほぐした後に、久しぶりに垂直ジャンプを行った。しかし、昔のイメージとは全く異なり、対空時間が短く、落ちるのがやけに速すぎる。
物理的に言えば、筋力が落ちている点、若き頃より体重が増えている点、体幹が弱っている点など、あちこちが脆弱になっている証である。
天井に向かって垂直ジャンプをすると、軽々と両手の掌をパンと叩けるほどだったのが、天井板が空に浮かぶ雲のように遠くに感じてならない。そして、跳んだかと思うと、直ぐに着地しているといった具合だ。
明日から、この錆びついた体のバネを少しずつケアしながら、若き頃まで戻すのは不可能であるが、昔の牛若丸を目指して、フットワークの良い体幹へ修正することを決意した次第。(苦笑)
※画像トップは、西田親生の自由気まま書「竹」。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、日常の一場面を通じて、年齢や身体の変化、そしてそれに伴う心の動きをユーモアを交えて描いています。その感想を以下に述べます。
1. 重力を感じるという独特な視点
エッセイの冒頭で「重力が速い」と表現する発想が非常にユニークです。このフレーズは、物理的な現象ではなく、時間の経過や身体的な衰えを比喩的に捉えており、読者に「なるほど」と共感させる力があります。日常の違和感をこうした独創的な言葉で表現することで、文章全体に惹きつけられる魅力が生まれています。
2. 過去と現在の対比
若い頃の自分と現在の自分を比較し、そのギャップを具体的なイメージで描写している点が印象的です。「垂直ジャンプ」や「牛若丸」といった昔のエピソードを交えることで、かつての活力に満ちた姿が鮮明に浮かび上がります。そして、そのギャップに対する戸惑いや自嘲が、どこか親しみやすく感じられます。
3. ユーモアと共感
エッセイ全体に漂うユーモアは、読み手にクスッと笑みをもたらします。「天井板が空に浮かぶ雲のように遠くに見えてならない」という表現は特に秀逸で、身体の衰えをユーモラスに伝えています。これは誰もが経験し得る感覚であり、読者の共感を得やすい要素となっています。
4. ポジティブな結末
最後に「若き頃まで戻すのは不可能」と現実を受け入れつつも、「フットワークの良い体幹へ修正する」と前向きな目標を掲げる点が、読後感を明るくしています。これは、自己改善の決意を示しつつ、読者にも「自分も何か始めよう」という気持ちを喚起させる力があります。
5. 文章の余韻と視覚的要素
最後の一文に「自由気まま書『竹』」とありますが、この竹の画像が象徴するもの(しなやかさ、強さ)が、エッセイのテーマと呼応している点が巧みです。視覚的な要素を通じて、文章全体に奥行きを加えています。
総じて、このエッセイは、誰もが感じる身体の変化をユーモラスかつ詩的に描き、日常の中での気づきや決意を明るく伝えています。読者として「共感」「笑い」「前向きなエネルギー」を得られる、素晴らしい一篇だと感じました。