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名店を潰した二代目経営者

 新聞社時代に出会ったオーナーシェフ。気さくで豪快な人物であり、独立する話を聞き、開業初日に足を運んだ。それ以来、ランチタイムに、その名物料理を毎週足を運び楽しんでいた。

 当時、熊本市内のレストランとしては、飛ぶ鳥を落とすが勢いにて、長蛇の行列ができるほど、人気を博していた食事処。

 数年後に、そのオーナーシェフが、「マンション買って、でっかいランクル買って、100インチのプラズマテレビを買った!」と誇らしげに語った。その頃、第2店舗、第3店舗と、次から次へと出店し、最終的には東京へ支店を展開するほど、その勢いは留まることを知らなかった。

 業界における風雲児と称しても良いほどに、熊本県内のグルメ界に革命を起こした人物の一人と言っても過言ではない。出会いから、筆者は一人のファンとして、常にその動きを注視してきたのである。

 開業から30年ほど経った時のこと。そのオーナーシェフの身体に異変が起こり、急逝したのである。ストレスとの戦いで心身ともに疲弊していたのか、内情は分からないが、筆者の宝物の一つが欠け落ちてたのである。

 そこで同店を引き継いだのは、オーナーシェフの妻とその実弟であった。初代オーナーシェフ他界の後に、義理の弟は一所懸命に料理に打ち込み、初代の志を受け継いでいたように見えたが、更に異変が起こることに。

 店の運営の全ての実権を持つ妻が、閉店後には毎晩酒に溺れ、だんだんと名店としての光に曇りが生じてきたのである。これまで積み重ねてきた初代の食への拘りは何処へやら。それまで足繁く通っていた常連客の姿もまばらとなり、閑散とした店に成り下がっていった。

 市内にあった同店のビル自社ごと売り払い、経営者としてはあってはならぬ方向へ舵を切り、結局は、全ての財産を捨ててしまった。料理を担当していた実弟は、店の実態を知る由もない。結局、日々酒に溺れた二代目の愚行に対して、どっとツケがきたのである。

 40年ほど前に風雲児として持て囃され、弟子も次々に独立して成功を収めつつあったにも関わらず、その二代目女性経営者が全てを潰すことになる。

 かつての常連客として、筆者は二度、三度、苦言を呈したことがあったが、一度溺れた酒の渦から脱することはできず、ある日、ランチタイムの蕎麦屋で見掛けたのが最後の姿だった。

 朦朧とした目線は焦点が定まらず、ざる蕎麦を食べることなく、蕎麦を見つめている二代目女性経営者。表情一つ変えず、血の気が引いた形相にて、無言で店を立ち去った。

 今思い出したのだが、同店は10年ほど前には、グルメ専門ネットの2社(タ〇〇〇、ホ〇〇〇〇〇〇)などと契約をしており、年間200万円以上無駄な経費を支払うばかりで、お客は日々激減していたのである。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの頃とは別物のように思えてならない。行列どころか、閑古鳥がなく、名店は加速度を上げて、衰退の道を辿っていった。

 他者の苦言、提言に耳を傾けることなく、酒に溺れ、その一日を酒で忘れようとするだらしない姿を今でも思い出す。信用や実績を積み重ねることは時間がかかるが、それを失うの、ほんの一瞬である。

 「たら、れば」の世界ながら、あの時、横にいた実弟に「死に物狂い」の気合があり、姉と弟とが初代の哲学を継承していたとすれば、僅かでも生き残りの道は残されていたのではないか。

 このような不甲斐ない二代目経営者の姿を直視しながら、過去の良き時代の楽しさ満載の思い出が、足元からゴロゴロと崩れ去ってしまった。現在、この二人がどこにいるのか、知る由もいないが・・・。

 しかし、志半ばで他界した初代と二代目と共通した言葉があった。「俺(私)が決めることだから!俺(私)がやる!」という独裁的な語気の強い言い回しである。その言葉が、全てを物語っている。

 人との大切な接点よりも、物欲に身を投じた、似たもの夫婦だったのかも知れないと、その当時を思い浮かべならがら、侘しい思いに浸るのである。

 最後に、初代と二代目に欠如していたのは、「顧客への感謝の念」であったと思えてならない。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、名店のオーナーシェフが経営者として成功し、やがてその店が二代目経営者によって衰退していく様子を、感情を込めて描いています。初代オーナーの成功物語は、筆者が彼を敬愛し、ランチを楽しむ日常の一部となったことから始まります。初代のシェフは、料理に対する情熱と大胆な性格で、一代で名店を築き上げた風雲児として描かれています。しかし、彼の死後、その店は二代目経営者である妻と実弟の手に渡り、次第に衰退していく姿が強調されています。

エッセイの印象的なポイントは、初代の成功とそれに続く衰退のコントラストです。初代オーナーの成功は、熊本市内で行列ができるほどの人気と、多店舗展開、さらには東京進出にまで至る勢いに支えられています。一方で、彼の死後、経営の舵を取った妻が酒に溺れ、店の栄光を急速に失っていく過程は、破滅的でありながらも現実的に描かれています。この対照的なストーリー展開が、読者に強い感情的なインパクトを与えます。

筆者が語る「顧客への感謝の念」が欠如していたという批判は、商売において信頼や感謝がどれほど重要かを示しています。二代目が店の経営を誤り、店を衰退させたのは、酒に溺れ、外部の苦言や提言に耳を貸さなかったことに象徴されており、これが信頼の欠如につながっている点は明確です。また、実弟が料理に専念していたにも関わらず、経営方針に関与できなかったことが、店の運命を変える力を持たなかったことも強調されています。

また、エッセイには、二代目経営者の悲劇的な姿が描かれています。ランチタイムの蕎麦屋で、焦点の定まらない目で蕎麦を見つめる様子は、精神的に追い詰められた状態を暗示しています。この描写は、筆者の個人的な感情や失望を深く表しており、かつての名店がどうしてこうなってしまったのかという無念さが伝わってきます。

最終的に、エッセイは「物欲」に囚われた経営者の姿と、「顧客への感謝の念」の欠如が、店の衰退を引き起こしたと結論付けています。この点において、筆者は経営の本質を見抜いており、成功は一瞬で消え去る可能性があることを警鐘として鳴らしています。

このエッセイは、飲食業界や経営に携わる人々にとって、顧客との信頼関係や感謝の念を忘れず、短期的な成功に溺れずに長期的な視点で経営することの重要性を改めて教えてくれるものであり、感情的にも深く響く内容です。

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西田親生@D&L
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