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想いに耽ること24時間・・・覚醒したこと

 がむしゃらになれない人は、何も手にすることはできない。貪欲でも、我儘でも構わない。礼節を弁え、順序をしっかりと考える人で、大成した人は数多い。

 やや自虐的になるが、筆者の場合は、がむしゃら、勘なし(熊本弁)、人並外れた絶対的集中力など自負するものがある。しかし、他者批評の「頭の中が散らかっている」ことにより、順序に問題があるというのが自己評価である。

 目標達成のためには、他者のことなど気にすることはない。何としてでも達成するために、がむしゃらで、我儘で、ボーガンの矢のように真っ直ぐ突き進む必要がある。そこで格好つけて体裁を重んじ、他者の目を気にしている人は、目標達成グループに参加する資格はない。

 言行不一致、虚偽満載、演技、口先三寸、根暗などのオンパレードの人は、4kmほど先の水平線や地平線の向こうに遠ざかっていて欲しい。そのような負の要因を持ち込む人が一人でもいれば、成就への道に支障をきたすので、要注意である。

 筆者は、本日、寝て起きてはまた寝てまた起きる中で、熟考に熟考を重ねた一日であった。性格的には見掛けによらず遠慮気味なところもあり、逆に、順序を度外視して一気に進んだ履歴も多々ある。よって、遅ればせながらではあるが、「頭の中の整理整頓」を行い、次のステップに突き進もうかと。

 今の筆者にとっては、「信頼できる人々」の存在が、一番の「宝物」である。老若男女関係なく、胸筋開いてコミュニケーションを交わすような「信頼できる人々」の存在は実に有難い。欲を言えば、こらから先、100年でも200年でも最良の関係にて、人生を謳歌したいと考える。

 そこで大切なことは、日頃から周囲の「信頼できる人々」との接点を何よりも大切にすることである。

 さて、今一度、お尻の導火線に火をつけて、がむしゃらに、勘なしに、我儘に、勿論、礼節を弁えて、邁進したいと考えるに至ったのである。これが、「覚醒」というものなのだろうか。

 最後に、我が半生において「人脈」を一切使わず、痩せ我慢しながら過ごしてきたが、これからは「人脈」を辿りつつ、近未来に向けて最高の鋼のレールを敷ければと。

 もう、遠慮することはない。もう、過剰に気を遣うことはないと己に言い聞かせつつ、筆を置くことにする。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、筆者が自己の内省を深め、覚醒とも言える境地に至った心情を率直に綴ったものである。その内容には、自己の価値観や生き方に対する強い信念が込められており、一貫した情熱と覚悟が感じられる。

1. 「がむしゃら」の美学

筆者は「がむしゃらであること」が成功に不可欠であると述べる。貪欲さや我儘さを否定せず、むしろ肯定的に捉えている点が印象的である。ただし、そこには礼節や順序が不可欠であり、単なる無謀な突進ではなく、筋の通った努力が必要であるという主張が読み取れる。この考え方は、ある種の「突破力」を持つ人間が共通して持っている特性にも通じるものがある。

2. 自己評価と他者からの視点

筆者は自身を「がむしゃらで勘なし、人並外れた集中力を持つ」と分析しつつ、他者から「頭の中が散らかっている」と評価されることについて触れている。この部分は非常に興味深く、自己の長所と短所を冷静に見極めながらも、それを乗り越えようとする意志が感じられる。特に、「頭の中の整理整頓」を今後の課題とする点は、内省の結果として導き出された結論であり、自己成長への意欲が表れている。

3. 「負の要因」の排除

筆者は目標達成を妨げる要因として、「言行不一致」「虚偽」「演技」「口先三寸」「根暗」などを挙げ、それらが成就への道を阻むと警鐘を鳴らしている。この部分には、筆者の信念に合わない人々への厳しい視線が含まれている。しかし、それは単なる批判ではなく、自らの環境をより良くするための意思表明であり、前進するための指針として述べられている。

4. 「信頼できる人々」との関係

「信頼できる人々」の存在が筆者にとっての「宝物」であると述べられている。この表現には、単に仕事や利益を共有する関係ではなく、心を開き、誠実な交流ができる相手との結びつきを重視する姿勢が感じられる。特に、「100年でも200年でも最良の関係を」との願望には、筆者の人間関係への誠実さと長期的な視点が見て取れる。

5. 覚醒の瞬間

「お尻の導火線に火をつけて」という表現が示すように、筆者はここで新たな決意を固めている。それは単なる精神論ではなく、具体的に行動に移していくための「覚醒」の瞬間であり、自己の生き方をより能動的に変えていこうとする意志が伝わってくる。この部分はエッセイの核心であり、読者にとっても刺激的な部分となるだろう。

6. 人脈と未来への展望

最後の部分では、筆者がこれまで「人脈を一切使わず」生きてきたことに触れつつ、今後は人脈を活用しながら最良の道を切り開いていく決意が語られている。この変化は、単なる環境適応ではなく、筆者自身が培ってきた信念を基盤としながらも、より柔軟に未来を切り拓くための戦略的な転換と言える。

総評

このエッセイは、筆者の生き様と価値観が率直に表現された力強い文章であり、その内省の深さと決意の固さが伝わってくる。特に、「覚醒」の瞬間を迎えた筆者が、これまでの自己を見つめ直し、次のステップへと踏み出そうとする姿勢が印象的である。読者にとっても、「自分自身の生き方を問い直す」きっかけとなるような示唆に富んだ内容であり、共感を呼ぶ部分も多い。

これからの筆者の歩みがどのようなものになるのか、さらに楽しみになる一篇であった。

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西田親生@D&L
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