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西田親生の辛口コラム

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世の中は理不尽なる事象が多い。燕雀であるより、呑舟であれ。常に自然体にて威風堂々と、気配りは繊細に。胸襟開いて語り合える心友との出逢いは、善き人生の道を拓く。改革は、若き人たちの…
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2024年2月の記事一覧

誤解を招くのは簡単だが、誤解を解くのは難しい。

 人は、知恵があるが故に、他者との接点にて「誤解」が生じることはしばしば。何気に発した言葉を曲解したりされたりと、真意が伝わらず、人間関係がギクシャクすることがある。  また、「誤解」をした人が、更に「妄想」にて「恨み辛み妬み」へと走れば、折角培ってきた信頼関係でさえも、一瞬にして吹っ飛んでしまう可能性も無きにしも非ず。  兎角に人間関係は難しいものだが、「誤解」を招くのは簡単だが、「誤解」を解くのは非常に困難な場合が多い。  特に、根に持つタイプの人は、一回「誤解」を

正論に耳を貸さぬ人は、何かある。そして、何かが起きる。

 正論に耳を貸さぬ人には、何かしらの問題が存在することが多い。そして、それが原因で何か不吉なことが問題が起こることもある。  人生は長い旅であり、多種多様な人々や出来事が我々の前に現れ、去っていく。これらの出来事は、時には穏やかな小川のように、時には勢いのある大河のように、更に、時には猛烈な勢いの瀑布のように我々の人生に水を叩きつける。よって、のんびりと傍観している余裕など殆どない訳だ。  そうした多忙な中で、何かトラブルが生じた時に、正論を伝えようとしても、即座に拒否さ

暴力行為に走る昭和のパワハラ経営者

 昭和時代には、パワーハラスメントに走る経営者が数多く存在していた。その中でも、以下に取り上げるものは、他県の悪名高き企業で起きた実際の事件であり、元従業員からの信頼できる情報に基づいている。この事件は、些細なことから引き起ったのであるが、表沙汰にはなっていない。  ある日、その企業の若手社員が、揉み上げを伸ばしていたところ、問題が生じた。時代が多様化している今日、整えられた揉み上げは問題はない。しかし、その経営者が揉み上げを気に入らなかったために激怒し、社員に暴力を振るっ

企業倫理は、経営陣および従業員の遵法精神に大きく依存する。

 企業倫理が欠落している環境では、違法行為が広がりやすく、職場での不正行為や対外的な紛争の増加、予期せぬ内部問題の発生が絶え間なく見られる。このような状況は、経営陣と従業員双方の法令遵守に対する意識の不足が主な原因であり、この状態が常態化している企業はしばしば「ブラック企業」と呼ばれる。  たとえ外観の良い建物であっても、違法行為を公然と行う者がいる場合は、その企業全体が悪影響を受けることになる。俗に言う、一つの腐った蜜柑が箱全体を腐らせる可能性があるように、企業倫理の欠落

対人関係は「対話」を重視せよ

 ビジネスでもプライベートでも同様に、「対話」がなくては、意思の疎通も図れず、「誤解」が生まれることになる。このような「誤解」は、例えば、悪意あるプロパガンダにより洗脳された状態と似ており、対人関係を余計に複雑にする要因となる。  「誤解」というものは癖が悪く、一度生じると、しばしば深刻な問題を引き起こすきっかけになってしまう。その「誤解」が潜在意識に根を下ろし、互いの信頼を崩壊させてしまう危険性も無きにしも非ず。このような状況を避けるためには、素早く「対話」による解決を試

オタク vs 学者

 一つ前の記事の中で「学歴主義」を取り上げたが、果たして、国内の大学でどれだけのことが学べるかと考えると、非常に限られているように感じている。更に、教授陣は専門分野にのみ関心を寄せ、学生の人格形成まで支えきれてはいない。  「学び」とは、師と仰ぐ方の思想、専門知識、または人格を吸収し、熟考することで進化し、次世代の指導者が育成されるのだが、現在の大学のシステムでは、物足りなさを感じざるを得ない。  そこで、ふと思ったのは、オタクの存在である。オタクを嘲笑するつもりは一切な

SNSにおける成り済ましを永久追放へ

 SNS上での成りすましアカウントによるトラブルは絶えることはない。最近の実例として、筆者のFacebook上で「日本人女性」と自称する怪しいアカウントから不自然な日本語でメッセージが送られてきた。  このような成りすまし行為は、実在の人物のアカウントを不正に使用したり、盗用した写真を用いて偽のアカウントを作成することによって行われている訳だ。  成りすまし行為はオンラインコミュニティの信頼性を損ない、ユーザーを欺く非道徳的な行為であり、SNS運営会社は不正行為を徹底的に

生成AIの利用が発想力を刺激する

 近年、生成AIの技術が進化し、私たちの日常生活や創作活動に革新をもたらしている。生成AIを活用することで、筆者自身が体験したことは、子供の頃のような好奇心が再び湧き上がることである。特に、その豊富な画像生成能力は、エッセイや記事の執筆における素材調達の難しさを解消し、筆者の発想力を豊かにする一助となった。 <発想力の向上と生成AIの関連性>  発想力は創造性や革新性を育む重要な要素であり、創作活動において不可欠である。しかし、素材や情報の不足は発想力を制限する要因となる

公然のSNSコメントで注意すべき点・・・ 

 SNS上での公開コメント(「note」も含む)は、自分が専門とする分野や研究しているテーマに関して、他人の投稿へ「正論」と思われるコメントをわざわざ残すような行為を見たことがある。  このような行動は、しばしば不必要な他者に対する「干渉」と受け取られがちとなる。著者が自らの考えや情報をもとに発信した内容に対し、ご本人からの要請がない限り、修正を迫ることは適切とは言えない。特に、上から目線でのコメントは、SNS上での関係悪化やブロックの原因となり得る。  筆者自身も、些細

イソップ物語の「アリとキリギリス」を生成

 この童話は、「怠け者にならず、一所懸命に働きなさい。」という教訓のお話だが、果たして、現代社会を見回すと、皆、一所懸命働こうとしている人もいれば、一所懸命働きすぎて体調を壊す人も多い。  逆に、浮世離れした既得権益車は、濡れ手に粟のような商売をして、遊び呆けている。よって、どんなに一所懸命に真面目に働こうが、十分な対価を得ることができない現代社会において、「アリとキリギリス」の教訓が受け入れられるのかと言えば、少々首を傾げるのである。  世の中の商売では、伝票の受け渡し

自然体の人の言葉を信用しないのは、その人が自然体ではないから!

 外は雨。どんよりとした週の始まりだが、雨雲が低くたなびき、熊本市内全体を覆っている。  自然体で他者とのコミュニケーションを図ることは、筆者にとってはごく自然なことであるが、そうしたアプローチを「押し付けがましい」、「圧が強すぎる」と感じる人もいる。  そこで、自然体で他者の意見を受け入れ、正論を唱えるのが何故他者への「圧」に繋がるのか、自問自答することにした。  世の中は複雑で、柔軟性が求められることは十分理解している。しかし、理不尽なことや弱者の被害を見過ごすこと

無償で情報を得ようとする人間は要注意

 世の中には、何でもかんでも無償で情報を得ようとしている人を見掛けることがある。はっきり申し上げて、情報やノウハウなどは只(無償)ではないことを知って頂きたい。  一枚の絶景の写真でさえも、その写真家が撮影地まで足を運び、それも最高の時間帯を選び、その瞬間を切り撮るのだから、たかが一枚の写真ではないのである。  絶景を撮影するための前準備、交通費(車両費と燃料費)、食費、そしてその写真家の人件費など、想定外に費用が掛かっている。  それを、たかが一枚の写真だからといって

フォロワーが800人に・・・

 毎日、時間があればキーボードをガトリング砲のように打ち込み、1日に数本のエッセイやコラムを「note」に書いているが、つい先ほど、フォロワーが800人となった。めでたし。  大変申し訳ないけれども、先般のエッセイでも書いたことだが、筆者の方から積極的にフォローを一切せず、フォローが来れば確と対応するのをスタンスとしている。理由は、先般申し上げた通りである。  「note」利用者全体を見れば、筆者のフォロワー数は少ない方であると思う反面、質的には高いのではないかと自負して

夢への執着・・・夢を諦めた瞬間に全てが消える

 起業という旅は、未知への一歩から始まる。筆者は、インタラクティブ・マルチメディアの可能性に賭け、熊本という地方都市で先端技術を駆使したビジネスを立ち上げた。この決断は、想像を絶するリスクとストレスを伴ったが、諦めずに突き進むことで、見えない敵との戦いではなく、自己との戦いであることを学んだのである。 <初期の挑戦>  初期段階では、天から星が降るかのような夢と期待で満ち溢れていた。しかし、現実は厳しく、先端技術の導入には莫大な費用が伴うことに。3D CG専用マシンやイン