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スパゲティがパスタになったあの時間

いつからみんなスパゲティのことをパスタって言うようになったんだろう。 

昔はパスタなんて誰も呼んでなくて、
スパゲティは、ナポリタン、ミートソース、ハンバーグ弁当の下に敷かれた白い麺の3種類しかないみたいな時代があったと思うんだけど。
それは自分の記憶違いだろうか。

          ◆

カフェで働いてみたかった。
大学で上京し、一人暮らしも落ち着いた頃、近所でバイト先を探した。
見つかったのは、イタリアンカフェ。
食事も、お茶もでき、テラス席ではペットも連れてこられるアットホームなお店だ。
木目調のインテリアで、店内ではいつも80年代の洋楽がかかっている。
マスターは一見強面だが、ペット好きで優しそうな人だ。
私はこのカフェでホールを担当させてもらうことになった。

アラビアータ
ペペロンチーノ
ボンゴレビアンコ
絶望ソース

兵庫の片田舎で育った私には、馴染みのない響きのメニューばかりで面食らう。
ていうか、最後の何?

マスターに聞いたら、絶望ソースは10種類以上の具材をみじん切りにして数時間煮込む、工程がつらすぎるソースらしい。
なるほど、自分なら野菜を刻んでる時点で諦めそうである。  

スタッフにはチュニジア人の男性がいて、キッチンを担当していた。
チュニジア人が日本でイタリアン作ってるってインターナショナルが過ぎる。
なんだか面白いので勤務時間が同じ時はよく話すようになった。

チュニジアはアフリカの北部にあり、イタリアにもほど近い。だからイタリアの文化には馴染みがあること、将来はシェフになりたいこと、付き合っている日本人の彼女はそれに反対していること、あとはチュニジアの朝ごはんなんかを教えてくれた。

チュニジアの朝ごはんは、フランスパンにニンニクの切り口をこすりつけて、オリーブオイルをたらしたものをトーストするんだそう。やってみたら簡単なのにすごく美味しい。
日本ならニンニクは刻むかすりおろすかして使いきりそうだけど、こすりつけて終わりっていうカジュアルさが新鮮で異文化を感じる。

お店では、1日バイトすると賄いをいただけた。
目立って余った材料がない日は、チュニジア人がリクエストを聞いてくれる。
私がペペロンチーノをオーダーしたら、
「オー!イチバン、ムズカシイネ!」
と言われた。

ペペロンチーノの材料は、オリーブオイル、ニンニク、唐辛子、塩と至ってシンプルなんだけど、難しいらしい。

何が難しいのかピンと来なかったけど、自分で作るとよくわかる。だいたい塩加減で失敗するし、麺が多いとオイルと絡まずくっついて残念な仕上がりになってしまう。

シンプルなものほど難しい。

人生の哲学みたいなものを教えてもらった。

ある日、お店の前に綺麗な女の人が現れた。
住宅街のアットホームなお店に、似つかわしくない全身ブランド品を身にまとった女性。
お店の外で誰かを待っている。
聞いたらチュニジア人の彼女だった。

ふと、
シェフを目指しているんだけど、彼女は反対してる‥いう言葉を思い出した。

それから数日して、チュニジア人はお店に来なくなった。

          ◆

話し相手を失い寂しかったが、ぺぺロンチーノがきっかけで私は料理が楽しくなっていた。

賄いで食べた料理が美味しくてもっと食べたいので、家で真似して作ってみる。

シーザーサラダは、マヨネーズとアンチョビとニンニクを混ぜれば市販のドレッシングより美味しかったし、明太子と生クリームを混ぜるとそれっぽいパスタソースになる。

それまで料理をほとんどしてこなかった私は、スカスカのスポンジが初めて水を吸うようにレシピを覚えていった。

新しい料理との出会いは、旅行で新しい土地を訪れた時のような新鮮さと高揚感がある。

気づいたら、私はスパゲティのことをパスタって言うようになっていた。
調べたら、パスタはスパゲティよりも広義らしい。
スパゲティが断面が円形の細長い麺だけを指すのに対し、パスタは、スパゲティの他、マカロニ、ペンネも含んだ総称とのこと。
ちなみに、日本人がパスタと言い始めたのはバブル期だそうだ。好景気は食文化も言葉も変えてすごい。
知ってるスパゲティが以前の3種類超えたから、自分はパスタと呼んでもいいということにした。

          ◆

1年ほど前、LINEが届いた。
お店の近くに住む友人からだった。
バイトしてたあの店が閉店したこと知った。

マスターは、元気にしているだろうか。

あのチュニジア人は今もどこかでペペロンチーノを作っているだろうか。

あの空間が懐かしい。

最後まで、絶望ソースの作り方はマスター出来なかったけど、
わたしが家で作るパスタはあの店がベースでずっと変わらない。

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