「働く」について考える
『この世にたやすい仕事はない』津村記久子
を読了。
新卒から長く勤めた職場をバーンアウトし、
その後紹介所で紹介された仕事をポツポツと続けていくというお話。
・怪しい人物を見張るために監視カメラの映像をチェックする仕事
・バスのアナウンスを考える仕事
・おかきの袋裏(豆知識とかが書いてあるやつ)を作成する仕事
・路地裏をまわり、ポスターを貼る仕事
・森林公園の中の小屋に通い詰める仕事
かなり変わったセレクトだが、
実生活の中で想像できそうできない微妙なところをついてくるセレクトだなと思った。
それぞれの職場で主人公が自分の長所をいかしながら貢献していくのだが、
決して目に見えてやる気に満ち溢れているという姿勢ではなく、
かといって惰性で働いているわけでもなく...
代わりが誰でもいると言えばそれまでなのだが、自分なりに工夫をしてでも忠実に仕事をしている感じが好感をもてた。
以前、「仕事」とは何か「働く」とは何かについてを何かの著書で読んだが、
働くということは誰かや何かのために動くことというような答えがあった。
そこに報酬が乗っかってくるわけなのだが。
「働く」ということは考えても考えてもキリがないくらい論題が尽きない。
それはやはり生活に直結していることだからで、いかなる論題を前にしても正解はひとつではない。
この小説では、これまでの仕事に対して感情が行方不明になってしまった主人公が束の間の休息(といっても働いているのだが)を味わったという話に感じる。
仕事 to 仕事なんだけど、疲れたら休んでもいい離れてもいいと示してくれているように感じるのは気のせいだろうか。
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