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ワルい子の意味
もうすぐ月に1度の読書会。
本好きと公言しておいてなんだが、
去年の年末から全然本を読んでいない。
正確には、雑誌などはみている。
字が羅列している本をみていない。
去年の年末から活字を読む気になれないのだが、それが現在進行形なのである。
(今回長いな)
読書会に持っていく本は幼少期に読んでいた絵本にしようと、
再度読み直した。
そこで気になる文章が。
『ママがわたしのことワルい子だって。』
このセリフは『ママが』と言っているので、
子どもからの目線。わたしの見解では年の頃合いは小学校低学年か未就学児。
この『ワルい子』というワードがどうも引っ掛かった。
育児・躾・叱り方
私には子どもがいる。
育児書やSNSやネットによくある
『子どもにとってよい○○ 3選』とか
そういう類いのものは少なからず読んだことはある。
よく、叱り方、注意するときに
『その行動に対して叱り、注意をするのであって人格否定をしてはいけない』とある。
人格否定とは
『○○ちゃん、○○くんはダメな子ね』
などその人の存在自体を否定すること。
だと認識している。
…ということは絵本に出てきた
『私のことワルい子だって』は
人格否定ということになる。
幼少期読んだ印象
その絵本を読んだ年齢はたぶん小1か小2。
読み聞かせには向かない絵本なので、
自分である程度字が読めるようになっていた
頃だろう。
当時の理解力がどの程度だったのかはわからない。
『ワルい子』をどう理解していたのか
その子が何か良くない行動をして、
『(良くない行動をしたから)ワルい子』
とママに言われたのであって、
決してこの絵本に登場する子に対して
『悪魔の子なんだ』とか
(そういうSFな話の内容ではない)
『(存在自体が)ワルい子』とは認識していない。人格否定だとはおもっていないのである。
だが、『ママが私のことワルい子だって』は
現代では人格否定に値するとしたら、
その表現はNGにあたるのか。
言葉の意味
ではなぜ私は『ママが私のことワルい子』
の意味を『その行動がワルい』と認識していたのであろう。
この1文は絵本の中のワード。
それは前後のストーリーを読んでいたから。
確かに『ママが私のことワルい子』の1文だけをみると意味も受け取り方も人によって様々。
絵本を読んでストーリーやその登場人物を自分なりに想像してその言葉の意味を理解できたのではないか。
まとめ
近年、長文は敬遠されているような印象だ。
本を読むのもYouTubeなどの本要約チャンネルで十分、映画も予告編だけで十分と言う話も聞く。
LINEやSNSのDMなどはチャット方式で短文、1文が主流らしい。
長文を送るとおじさん、おばさん認識されてしまうとかニュースでやってたのをみた。
短文、1文で要件を伝えるのは早い。
でもやっぱりそれだけでは伝わらないこともあるのは事実。
日本には『言葉のあや』という言葉もある。
言葉の綾(ことばのあや)とは、言葉を巧みに操る技巧や、言葉の持つ微妙なニュアンスを指す表現である。
特に、詩や文学作品においては、作者の独自の視点や感情を表現するために、言葉の綾を駆使することが多い。
また、日常会話においても、相手の気持ちを傷つけないように、または相手を楽しませるために、言葉の綾を用いることがある。
言葉の綾は、言葉の持つ豊かな表現力を示すものであり、その使い方一つで、伝えるメッセージの印象が大きく変わる。
もちろん時短や便利になるのはとっても嬉しいことではあるけど、
たまには時間をかけて映画や本など自分の好きな方法で自分の想像力と向き合うのもいいのではないか。
…と絵本を読みながら考えた。
そんなことを考えてるもんだから、読書会で何話そうかはまったく考えてない。
どうしようかな。