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東日本大震災の3週間後の春休み、我が家は災難に見舞われた。

夫は仕事、長男は遊びに行き、次男と三男はサッカーの練習だった。
私はテレビの前で洗濯物を畳んでいた。画面から支援物資とともに、芸能人が被災地を訪れる様子が流れていた。
ふいに、石油ストーブをつけたようなにおいが体にまとわりついてきた。
私は不審に思い、辺りを見回した。下へ降りる階段から煙のようなものが壁伝いに伸びてきて、座っている私の膝の上を通り過ぎた。
「え?」
私は飛び上がり階段を駆け下りた。真っ白で何も見えない。床に両手をつき4本足で玄関の方へなだれ込み、外に出た。
遊んでいる近所の子に、
「火事や、家の人に消防車呼んでもらって!」と叫ぶ。
私は裏へ回り、「火事です!」と大声で叫びながら、玄関のドアをたたいて回った。ちょうど夕方で、若い人はいなかった。家に入ってお年寄りの手を引き、ゆっくり外へ連れ出す。
遠くから、けたたましいサイレンの音が近づいてきた。私は、道路に出て両手を振った。
大きな消防車が何台も止まり、中から銀色の消防士が何か叫びながら、飛び出してきた。
若い消防士が、「発見者の方いますか」と叫んでいる。私は手を上げた。
「状況を説明してください」と言われ、あったことを話した。彼は「ここから離れないでください」と言い残し、去っていった。
背中から近所の人の声がした。私を指さし、話す気配がした。振り返ると大勢の人が集まっていた。私の家を携帯電話で撮影している人もいた。14年もここに住んでいるのに、手を差し伸べる人は誰もいなかった。
消防士が、大きな長靴を持ってきた。
「これを履いてください!」
足元を見ると、私は靴を履いていなかった。靴下が破れ、血がにじんでいた。

春一番が吹き、嵐のような風が炎をあおり、消火活動を妨げた。
ふと、力強い手が私の肩をつかむ。
「気をしっかりもちや。これからが大変なんやで」
近所に住んでいるおばちゃんだった。だけど、ほとんど話したことのない人だった。
私は、おばちゃんに携帯電話を借りてサッカーのコーチに連絡した。
私が名乗ると、「お母さん、大丈夫ですか」
コーチは火事のことを知っていた。
「大丈夫です。子どもたちに、私が迎えに行くまで運動場にいるように言ってください」
「はい、僕が一緒にいます」
次に夫に電話した。
「家、燃えてるねん」
「え、ちーちゃん大丈夫?」
「うん、子どもらも大丈夫」
「すぐ帰る!」
「ううん、凄いやじ馬でえらいことになってるから」
こんな修羅場、私だけでいいと思った。
2時間くらいたっただろうか。我が家を含む6軒を焼き尽くし、炎がようやくおさまってきた。
家の持ち主たちが、仕事から帰ってきた。
燃えた家を見て、言葉の出ない人や泣き叫ぶ人もいる。みんな火元は私だと思っているようだった。私は訳がわからなかったが、火の出た時に家にいたのは私だけだったので、完全に否定もできなかった。
ある人は、「どうしてくれるねん」と私に詰め寄り、ある人は、「逃げるなよ!」と怒鳴り、「うちには怖い親戚がおんねん」とすごんでくる人もいた。
今まで、子育てをしながら近所づきあいをしていた人たちが、悪党を見るような目で私を睨んでいた。
「ちーちゃん?」
夫の声がした。彼は、状況がつかめぬまま近所の人に頭を下げた。
「すみませんでした。でも、火元はまだわかっていません」
「何言うとんねん。お前とこに決まっとるわ」
夫は私の前に立った。隣の奥さんが、泣きながら私につかみかかってきた。
私は立っていられなくなった。
夫が叫んだ。
「お前ら、うちやなかったらどないするねん!」
気づいたら長男が私の腕を支えていた。
家の周りに黄色いテープが張られ、立ち入り禁止になった。
消防隊長がそっと私の方にやってきて、「お宅が火元ではないですよ」と教えてくれた。

日の暮れた運動場では、2人の息子が照明の優しい光に照らされコーチとボールを蹴っていた。鉄人28号みたいな長靴を履いている私を見て、息子たちが可笑しそうに笑った。
夫の姉が車で迎えに来てくれた。
息子たちはいとこと一緒に眠り、私と夫も子ども部屋を貸してもらった。シングルベッドで二人並んで寝た。
窓のない部屋は電気を消すと真っ暗になった。
「火事って火を出したとこが弁償せんでいいんやて」
「だから、うちが火元やないってみんなに言わんでいいわ」
「火元の人がどんな目にあうか、見たやろ」
私は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

やがて夫の寝息が聞こえてきたが、私は寝つけなかった。
火元でないとわかっても、良かった、という気にはなれない。
家が燃えたことより、人の態度が怖かった。
「これからどうやって生きていったらいいんやろ」
心の中で言ったつもりが、声になっていた。
「ちーちゃんは俺が守る」
力強い夫の声が響いた。
瞬きを忘れ乾いた目から、津波のように海水があふれ出した。目を閉じると、どばーっと海水がこぼれて落ちた。





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