【エッセイ】あほはあほなりに
小説家の村上春樹と村上龍が実の兄弟だと思っていた。
大学三年生の時、村上春樹の『ノルウェーの森』がベストセラーになり、同じころテレビで村上龍がホストを務めるトーク番組が始まった。薄暗いジャズバーのようなセットで、ゲストを挟んで座るきれいなアシスタントの女性が眩しく見えた。そして私は、ばかばかしいほど単純に二人が兄弟だと思いこんでしまうのだった。
30年の時を経て、私は突然過ちに気づくことになる。いつもは見ないSNSの呟きをスマホで偶然見てしまった。そこには、「村上春樹と村上龍が兄弟だと本気で思っている人がいるなんて」と書かれていた。しばらく何のことだかわからなかったが、不意打ちを食らったような胸騒ぎを覚えもう一度呟きを見た。私のことだ。私は両手で顔を覆い、「ワーーー」と叫んだ。
数日前、呟いた彼女を含めた数人でお茶を飲んだ。その時、小説家を目指す彼女が村上春樹の小説について語りだした。私にはそれほど興味の無い話だったので、適当に相槌を打っていた。それだけで良かったのだ。しかし、「弟の村上龍も活躍してるね」とやってしまい、SNSで呟かれてしまったわけだ。
私がこのような誤解をしたまま何十年も生きてきたのには理由がある。私には、彼らの小説が何を言っているのかさっぱりわからないのだ。文章を読み理解する力が人より弱いのだろう。特に装飾的な文体や洒落た表現、作家の世界観を読みこむことが苦手なようだ。太宰治も又吉直樹もさっぱりわからない。だから作品とは関係の無い苗字が同じだというただそれだけで、二人は兄弟だと思いこんでしまったのだ。
あほな話で言うとこんな事もあった。幼い息子の手を引き近所の公園へ行ったときのこと。おっぱいを混ぜたような水色の空が広がる甘ったるい午後だった。滑り台の横の広場で母親と男の子がキャッチボールをしていた。私はふとボールを投げる母親が高校時代の友人であることに気がついた。15年前、ショートカットだった彼女の髪は長く伸び、緩やかなウエーブがボールを投げるたびに風になびいた。私は思わず息子の手を引き彼女のもとへ駆け寄った。
「久しぶり」 高まる気持ちを抑えつつ声をかける。彼女は私を見て、「ああ」と少し苛立ったような声を出した。久しぶりに会ったとは思えない彼女の様子に拍子抜けしたが、ひるまず続けた。
「息子さんとキャッチボールなんて素敵やね」
「べつに」
お経をあげているような感情の無い声だった。いよいよおかしいと感じたが、これだけは聞いておこうと思い、今の名字を尋ねた。
「前と変われへん」
吐き捨てるように答える彼女の言葉と裏腹に、私は舞い上がった。
「えー、結婚したい彼と同じ名字やったん、すごい運命やね、奇跡や」
私は息子の手を放し、彼女の手をとった。その時彼女が再び吐き捨てた。「離婚してん」
その後どうなったのか、私には思い出せない。
私のあほな話は山ほどあるが、この二つは特に恥ずかしかった出来事で、たまに思い出しては、「ワーーー」と叫びたくなる。そしてあほな自分に問いかける。これから何十年も続く人生こんなんでいいのだろうか、と。
不意に、もう一人の自分が声をあげた。あほがなんだ、いいではないか、プロ野球だって4番打者ばかりのチームが強いわけではない。掛布、岡田、バースがいて川藤がいた1985年の阪神タイガースは強かった。
あほにしかできない何かがきっとある。かしこには真似のできない何かがきっとある。息子たちが巣立ち、夫が病気になった今だからこそやれることがきっとある。
私は、体験したことを書くことで心が癒された。そこから見出した、「私が生きる意味」というものをこれからエッセイで表現しようと思う。そして、暗闇で光を見いだせなくなった人に寄り添える人になりたいと思う。
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