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楽そうだと思ったらとんでもなく熱血だった部活に入った話 その3

この続き。
しつこく続けるのもアレなのでもう終わらせる。

中学一年生 夏以降のぼく

夏休み以降も、部活に明け暮れていた僕。

三年生の先輩は引退していたので、二年生と一年生だけの練習になっていた。

中学生時代の一学年差は、思いのほか大きい。
こと体育会系部活においては、その傾向が顕著だ。

わがバレーボール部も、もちろん例外ではない。
そして我々の一学年上には、なぜかヤンチャ人間が集結していた。

それはそれは、なかなか強烈な先輩の集まりだった。
「逆らうことは許されず」というか、逆らおうという気にすらならない。
きれいに整えられた細い眉毛と鋭角のそり込みを見せつけられると、自然とそうなってしまう。
これが「生物が生き残るための知恵」なのだろうか。


小学生時代に盗まれた僕の自転車を先輩が乗り回しているのを見たときには、自分の目を疑った。
しかもめちゃくちゃに改造されていて、さらに目を疑った。
改造されていても、僕の自転車だと一目でわかる。

「王貞治」の自転車に乗っている奴なんて、関西では結構レアやろが。

「もっとバレにくい自転車盗めよ」と、巨人ファンでもないのに王貞治の自転車に乗らされていた僕は感じていた。

K!おまえのことやぞ!!
でも盗んでくれたおかげで普通のチャリ買ってもらえたわ。ありがとうございます。

一つ上の先輩たちは人数も多く、結構強かった。
それゆえ、一年生の僕たちがボールを使って練習する余裕はほとんどない。
ひたすら球拾いとトレーニング、練習が終わると先輩のオモチャにされるという不毛な一年間を過ごすのだった。


中学二年生のぼく

まともにボールを触ることもなく、二年生になった僕たち。

二年生になると、新しくY先生が顧問に加わった。
そこから三年生はI先生、下級生はY先生がメインで見るという体制となり、ようやくボールを使った練習ができるようになる。
そこから引退まで、Y先生が僕たちにつきっきりで練習をみてくれた。

Y先生は、大学を卒業したばかり。
いい先生だったが若い分I先生より熱血度がさらに高く、暑苦しさは全開だった。

暑苦しい顧問が増えた分、練習はますます厳しさを増す。
練習中に熱中症で気を失い、体育館の床(なぜかコンクリートだった)に頭から倒れて鈍い音をたてる先輩の姿を見ては、

「先輩が引退したら僕たちがああなってしまうのか」

と、身の危険を感じていたものだ。

ほどなくして、先輩たちが引退。
僕たちがメインの代となった。

僕たちの中学生時代は「水を飲んだら疲れるから飲むな」という謎理論が信じられていたので、練習中に水が飲めない。
そこで要領のいい僕たちの同期は、トイレに行くふりをして水、顔を洗うふりをして水、グラウンドを走っている途中でプールの横に行って水、と、先生の目の届かない所に行っては隙を見て水を飲んでいた。
先生さえ巻いてしまえば、怖い先輩もいないので自由気ままにふるまえる。

いつしか「いかにサボって水を飲むか」が練習の最重要課題となっていた。


そんなことばかりしていたせいか、僕たちの代はとても弱かった。そりゃそうだ。


Y先生は、一生懸命僕たちに熱血指導してくれていた。
休みも潰してめちゃくちゃ練習しているのに、なぜか試合には勝てない。
僕たちは「いかにサボるか」が練習のメインテーマとなっているので、勝てないのは当たり前。
明らかに空回りしている状態だった。

そんなろくでもない状況が続く中、Y先生がついにブチ切れてしまう。


「お前ら、練習やる気あるんか!」

練習中、急にY先生が叫び出した。
「なんだなんだ」と固まる僕たち。


「やる気ないんやったら、練習なんかもうやめや!」




「バレーなんか、やめちまえ!!!」




そういって、職員室へ戻ってしまった。

僕たちはあっけにとられて何もできず、職員室へ戻るY先生を見送る。

「このまま放っておくのはさすがにまずい」とみんな感じ取ったのだろう。
誰から声をかけるでもなく、どうするかミーティングするため自然と集まった。

みんなで集まったのはいいが、長い沈黙が続く。

そんな中、同期の一人がポツリといった。




「ヤ…メ…チ…マエ?」




その発言をきっかけに、全員大爆笑。

「ワハハハハ!『ヤメチマエ!』やってよ!www」
「俺もおかしいと思っててんwww」
「やめちまえとか実際にいう人、初めて見たわwww」
「ほんまにいう人、実在するんやなwww」
「絶対関西人とちゃうやろwww」
「お前らそんなこというて先生をバカにするのは『ヤメチマエ!』www」
「ターッハッハッハッハ!」


ミーティングはとても楽しかった。
しかし先生を放ったらかしにして、ずっと爆笑ミーティングを続けるわけにもいかない。
結局、Y先生を職員室まで呼びに行くことに。
なんとか許しを得て、翌日からまたY先生が練習をみてくれることとなった。

しかしながら「ヤメチマエ」は僕たちのトレンドワードとなり、卒業するまで陰でY先生をいじり倒していた。

中学生とは残酷なものである。


中学三年生のぼく

「ヤメチマエ」事件があってから、僕たちも少しは心を入れ替えて真面目に練習するようになった。

もともと運動のできる人間が多かったのと、一年生時にさんざんトレーニングしてきた貯金を活かし、メキメキと強くなる。

強くなるにつれて、Y先生の熱血度も比例して上がってしまった。
放課後の練習だけでは物足りないと思ったのか、毎日朝練も始めることに。
朝の早くから毎日毎日全力で練習。
キツすぎてマーライオンになる奴も、一人や二人ではなかった。


そうこうしているうちに、僕たちにも引退が近づいてくる。
残すは地区大会と府大会のみとなった。


地区大会では順調に勝ち進む。
準々決勝でライバルのM中学に勝ち、準決勝まで進んだ。
準決勝の相手は、府下でも強豪のT中学。

T中学には、これまで一度も勝ったことはない。
しかし最近実力をつけてきている僕たちは、勝てると信じていた。
T中学の顧問も、僕たちがどの中学よりも怖いと公言していたほどだ。


当時のバレーボールはラリーポイント制ではなく、サーブ権がないと点数が入らないシステム。
実力が伯仲していると、サーブ権の移動ばかりで点数がはいらず、試合時間がエンドレスとなる。

この試合は、まさにそういう試合だった。


セットカウント1-1で迎えた、大切な最終セット。
サーブ権の移動ばかりで試合時間がとてつもなく長く、僕は途中でバテてしまった。
いま思えば、熱中症だったのかもしれない。
思うように動けず、声も出ない。
誰の声も聞こえず自分の呼吸しか聞こえない、そんな状態だった。

そもそもレギュラーの中では、僕が一番へたくそ。
それがバテバテで動けないというのは、T中学から見れば穴もいいところだった。


「先生もう無理です、メンバーチェンジしてください」


声がまともに出せないので、ベンチにいるY先生に目で訴えてみた。


答えは、「NO!」


うそでしょ?

そんなところで熱血を押し付けられても、無理なものは無理。
さんざん僕ばかり狙われた挙句、試合には負けてしまった。

その日から僕は


「お前のせいで負けた」
「お前が出ていなかったら勝ててた」
「痩せてもやっぱりブタやな」


という、同級生からの残酷極まりない発言に耐えるしかなかった。

まあ、そういわれても仕方がないのは自覚している。
実際、僕のせいで負けたのだから。

でも、最後の大会がまだ残っている。
府大会では、汚名返上できるようにがんばろう!


その日から僕は、いままで以上にがんばった。
朝練も放課後の練習も、吐くほど努力した。

「絶対に次の試合では活躍してやる!」

そんな思いを胸に、一生懸命ハードな練習に取り組んだ。



そして最後の試合がさしせまったある日、Y先生が同期全員を集めてこういった。



「君たちは、最後の試合には出られへんようになった」



え?



「抽選日を間違えていたので、棄権扱いになった」



え??



「そういうことなので、今日で引退してもいい」



えーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!



そのあと僕たちはどうしたのか、ショックすぎてほとんど覚えていない。
「来たい人はまだ練習に来てもいい」
といわれたが、全員その日で引退したのは覚えている。


そして僕は


「おまえがヤメチマエよ」


と思ったのも覚えている。


中学校のバレーボール生活は、最終的に「痩せたけど最後の試合は僕のせいで負けた」という屈辱的な事実だけが残る結果となった。


風のうわさで、府大会ではT中学はベスト4、M中学はベスト8まで進んだ、と聞いた。

Y先生は、僕たちの卒業後いつの間にか学校からいなくなっていた。
転勤なのか退職なのかは、定かではない。


突然終わってしまった、熱血バレーボール部。
最後の大会に出ていれば、僕たちはどこまで勝ち進めたのか。

そして、僕のせいで負けなかった試合ができたのか。

いまでもたまに思い出す。


そしてY先生、責任を感じて先生をやめちまっていなければいいな。




おわり。


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