【肌が合う/馬が合う】
馬が合う:気が合う、意気投合する
肌が合う:気が合う、気持ちがよく通じる
何が違うのか?
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私がコーチング(コミュニケーション)を学ぶトラストコーチングスクール代表の『言語化ラジオ』ではこういった、一見知っているようで実は曖昧に捉えているものを言語化する試みに肩の力を抜きつつ挑戦されている。
YouTubeチャンネル
『馬場啓介の言語化ラジオ』
https://youtu.be/AEX0XUDBP80?si=2ILhcCriKiZvGXFF
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馬が合うとは、馬とその乗り手の呼吸がピッタリ合うことに由来しているらしい。
誰かや何かとその人(たち)の呼吸が合っているかどうかは目を見れば分かる。冬晴れのような澄んだ瞳の奥がキラリと光る。
ずっと見ていたいほど美しい。
(でも怪しいから一瞬しか見ない。あとは回想と妄想で余韻を楽しむ。)
そんな目に出会えるととても気持ちが良い。
呼吸は、意識すれば相手に合わせることができる。
意識して合わせ続けることで、合わせることを習慣化できる。
母の呼吸、父の呼吸、妹の呼吸。友人の呼吸。仲間の呼吸。お客様の呼吸。千差万別で同じ呼吸というものはないし、同じ相手でも刻一刻と変化していく呼吸もある。
相手の呼吸に合わせることで見えてくる相手の状態がある。
相手の状態が見えてくることで見えてくる相手の大切にしたいものがある。
相手の大切にしたいものが見えてくることで見えてくる相手にとっての心地好さがある。
その心地好さに合わせにゆく。
元々どれくらい馬が合う相手だったのかは別れた後の自分の疲労感で分かる。
疲労困憊になった時は、良い筋トレになったなと一人でニヤニヤする。
そんな訳で、呼吸は合わせることができる。
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ところが肌はそうもいかない。
『息が合ってきた』とは言っても『肌が合ってきた』とは言わない。
『息を合わせましょう』とは言えても『肌を合わましょう』とは言わない。
合うか合わないかの二者択一。
合うものは合うし、合わないものは合わない。
完全にコントロール範囲を超えてしまっているのが肌なのだと思う。
この人は肌が合わない、この仕事は肌が合わない、ここの空気も水も肌に合わない、このタオルはどうにも肌が合っちゃって…
好むと好まざるとに関わらず、大儀があろうがなかろうが、合うものはどこまでも合うし、合わないものはどこまでも合わない。
口に合うかどうかは実際に食してみないと分からない。だから食わず嫌いはもったいない。騙されたと思って試してみる価値がある。
ところが肌が合うかどうかは実際に触れなくても分かる。騙されたと思って触れてみたところで、いやぁやっぱりそうなんですよ合わないんですよなんだかごめんなさいねとなるだけ。肌感覚の残酷な一面だとも思う。
そんな訳で、肌は合わせることができない。
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花、はっぱ、絵、椅子、小物、置物…
町を歩いていると、目に飛び込んでくるものたちがいる。
そしてそのものたちの上に知り合いの顔が見えたりする。
(そうかぁ…君はあの人のところに行きたいのかぁ…)
「なんでか分からないんだけど、この子を見た時あなたの顔が浮かんでね…」
頼まれてもいないものを誕生日でもないのにプレゼントしてしまう。
パリの週末市場で目に飛び込んできたポスター2枚を連れて帰り、目に飛び込んできた額に入れて妹にプレゼントしたことがある。
(妹はミニマリストなのに!)
結婚して子供が生まれて数回引っ越した今も飾ってくれているらしい。
リサイクルショップにもっていったところで1円の価値にもならないと思うけど、あの子たちはきっと今も幸せなんだと思う。
追伸)
写真はお客様がくださったお守りシール。
ご家族が空の安全を守る仲間とのこと。
新調した機内アナウンスファイルに貼りました。これからどうぞよろしくね。
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