宝の情報を気付かず捨てないために。
人間、は興味を持ったことに対しては、自ら動きますよね。
しかし、興味を持てないことに対しては、なかなか動きません。
そして、興味を持たないというのはどういうことかと分析すると、ある情報を得た後に、興味がないと判断するわけですが、実は、大抵の場合その情報は、二次情報であり、人の加工した情報に対して「興味がない」と判断していることが分かります。
そして、何かの情報を遮断してしまうのです。
過去にこう教わりました。
・自分で見たこと、やったこと
・信頼出来る人が、言ったこと
この2つしか信じてはならない。
この日、ある事柄に関して、ある人が、懐疑的な意見を述べておられました。私は、「そうなんだ~」と聞き流してしまったことから、深く自ら調べることはしていませんでした。そして、興味の目を閉じてしまいました。しかし、私が発信した情報を読んだ方からメールが来て、私は聞き流していた情報に対して具体的に調べて、私に教えて下さいました。それも「こういう視点でみたら、こうプラスだね。」という内容でした。
ハっとしました。
なんとなく人の話をなんとなく自分の意見のようにしてしゃべってしまっていて、興味を閉ざした自分に気づきました。
人の意見を疑いなさいということでなく、
もしかしたら、
違う見え方ができるかも?
違うプラスの価値があるのでは?
そう思って、
「自分で見ていく、やっていく。」
その情報を、興味あるものにするか、聞き流してしまうか。すなわち宝にするか、ゴミにするかは、自分次第なのですよね。
そういえば、若干話がずれるかもしれませんが、大学院時代、既往の研究を鵜呑みにするなとはよく言われましたが、今考えれば、ご健在の人ならば、その研究者に会いに行けばいいんですよね。
批判的合理主義として、自ら情報にバリアを張るような思考回路をしないこと。
いいとこ見つけて、動いてみる。そういう癖付けが大事ということかもしれません。教えてくださる人が私の周りにいます。ありがとうございます。
自分と違う考えがある人を、本当に信頼できる仲間として、どれだけ作れるか、それがきっと興味の幅、行動の幅、結果の幅になるんでしょうね。
1)二次情報の中から、プラスを見つける癖付けをすること。
2)見つけたら動くだけじゃなく、不安でも自ら動くこと。
3)自分とは違う気づきが得られる、信頼ある仲間をつくること。
ということですね。
そのために(人のためになる)情報発信に余念なく。
Give&Giveの精神で。
「常識とは18歳までに得られた偏見のコレクションである」
というアインシュタインの言葉も思い出しつつ・・・。
(地域再生・森林再生コンサルタント古川大輔日記 2017.02.22より編集)
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