良い文章とは、納得できる文章だと思う。
わたしは今、物書きとして生計を立てている。
主にやっていることはライターと編集長。企業が運営する「オウンドメディア」と呼ばれるホームページに、記事を載っけるお仕事。だいたいSEO記事を書いている。
みんなが普段気になること、たとえば「食パンマン 何枚切り」みたいに検索すると、検索結果として、記事がぶわぁぁぁと一覧で表示されるはず。その記事を書いている。(食パンマンに関する記事は書いてないよ)
記事を書くこともあれば、記事の構成を書いて、ライターさんに依頼をすることもある。
なるべくたくさんの人に読んでもらえる記事になるよう、あれこれ頭を使って構成をつくり、閲覧数とにらめっこし、ああでもない、こうでもないと考えをめぐらせながら書いている。
俗にいう「商業ライター」って立ち位置。
Webライターとも呼ばれる。
ありがたいことに、ライターだけで生計を立てられるほど、報酬をいただいている。
でもちょっと前のわたしからすれば、この「商業ライター」が嫌で嫌で仕方がなかった。
もっと芸術的な、感性を問われるような、小説とまではいかないけれど「エッセイ」を書いて生きていく「エッセイスト」に憧れていた。
自分の価値観だけにお金をつけて欲しい。自分の書く文章にもっとお金を払ってほしいと、自惚れていた。
そういうわけだから、副業として始めたWebライターの仕事が、本当は嫌で嫌で仕方がなかった。
好きだから始めたわけではなく「できる」から始めた。
文章を書くのは得意だから、ぱぱぱっと書いて「読みやすいですね」と褒められる。褒められるのは嬉しいから、また、ぱぱぱって書く。
今思うに「誰でも書けるようなテーマ」だから書けていたのだ。誰でも書ける記事は安い。文字単価0.5円でもいい方。書いても書いても稼げない。
わたしはこんなにいい文章を書くのに・・・!
プライドが邪魔をして、ライティングスキルを磨こうと全く思わなかった。
だからいつまで経ってもWebライターは「副業」でしかなかったし、本業だったホテルのフロントスタッフから抜け出せないでいた。
愛想よくニコニコしていると、お客さんにだいたい褒められる。ホテルの口コミでも、たくさん褒めてもらえた。褒められるのは、うれしい。
英語も話せるから、外国のお客さんにも喜んでもらえる。喜んでもらえるのも、うれしい。もっとがんばろうって思える。
でもライターとなると、あんまり褒めてもらえない。
文字単価は0.5円で「読みやすかったです」以外、とくにコメントなし。エッセイの方も、お仕事に繋がらない。だからいつまでもライターは「副業」のままだった。
転機が訪れたのは、今年の夏のこと。
ひょんなことからフリーランスとして働く必要があり、開業届を出した。
今までなんだかんだ続けてきた「副業であるWebライター」を本業にした瞬間だった、やっとだ。
わたしの中ですこし、覚悟みたいなものができた。
今まで「できるから」と思っていたものが、実は全然できていないことに気づいた。必死で勉強した。朝も昼も夜も勉強した。ちょっとはWebライターというものがわかってきた。
わかってきた途端、おもしろくなってきた。
あれ?意外と好きかもしれない。
あれほど嫌だった「商業ライター」として引き受けている「企業のホームページに載せる記事」が、楽しく感じられる。
自分の書いた記事が、Googleの検索結果「1位」を飾る。他の記事も同様に、常に上位にいる。あれあれあれ、楽しいぞ、これ。
楽しくなってからは不思議なことに、文字単価が一気に1円、2円と上がっていき、ついには「まずは3円からでもいいですか?」と言われるようになった。
むしろ、3円もいただけるのですか?と不思議で仕方なかった。
「読みやすかったです」とだけ言われていたクライアントさんからのフィードバックも「さすがの理解力ですね!本業の自分でも、この内容までは書けないです!頼んでよかったです!」と言われるようになった。喜んでもらえるのは、うれしい。
商業ライターなんて。と、ぐずっていた自分がばかみたい。
自分の価値観は必ずしも「芸術的な分野」で発揮する必要は、ないのかもしれない。
みんなが書けるような内容でも「自分にしか書けない文章」があるかもしれない。自分にしか書けない「説得力」があると信じたい。
ものを書くのに、商業も芸術も、関係ないと気づけた。
良い文章とは、納得できる文章だと、わたしは思っている。