女の子の話。
思ったより自分のことってわからないものだよね。自分では当たり前と思っているから、ほとんど無意識で、人に言われて初めて分かることも多かったりするし、本とか読んでみて、あ、これ私のことだ!って思うこともある。
10年前に比べると私は少しだけ自分のことを理解しはじめたなという気もするけど、それでも誰か他の人に対しての客観的な理解に比べると、及ばない気がする。自分の体調一つとっても、毎月毎月記録を録り始めて、それでもまだよくわからないところも多かったりするのだけれど。
ただ一つ言えることは、仕事だけじゃなくあらゆる場面でストレスは感じているということ。そしてそれによって生理の周期は変わっている。安定していることと言えば、排卵して14日後に生理が来るということくらい。これは自然の摂理なのかな?でもすごいことだな、といつも思う。だって14日、2週間ぴったりのところで、本当に整生理がくるから。
今月は、生理のあと1週間後に謎の出血があって、そこからさらに排卵が全然なくて、え、もう排卵しちゃったのかな?気づかないうちに?そんなことある?と思っていたら、そうではなくて、排卵してなかったようでした。
私は、ここ数ヶ月、炭水化物を極力控える食事をしていて、今月、お米が食べたいなーと思って、食べた日に、お腹がものすごく張って、炭水化物って、お腹が張るのかな?と思っていたんだけど、それがどうやら、排卵のせいでお腹が張っていた様子。これはニワトリが先か、卵が先か?見たいな問題なんだけど、炭水化物を欲する=排卵が近づくということでもあるみたい。排卵する=お腹が張るということらしい。私の体に於いては。
排卵痛も結構酷くて、ああ、お腹張っててきついなー(便秘です。完全に。さらにガスがものすごく溜まってて、それも出てこないような感じ。はい、辛いです。)ていう状況で、毎月左右交互にチクッって痛む。そして、夜あたりに、あ、いたたたたた…ていうのが来るんだけど、それが多分排卵中なんだと思う。
それで、一回排卵痛が酷過ぎて、排卵についてYouTubeで調べてみたら、排卵の様子のCG映像が出てきて、それで排卵する様子を見ていたら、すっごい小さい卵が、一生懸命外に出て、卵管を通って、至急に向けて動いていく様子を見ていたら、なんて尊いことがこの地味なしかし辛い痛みの最中で起こっているんだろうか、と少し愛おしい気持ちが湧いてきた。多分、私がとても単純。笑
これが毎月毎月繰り返されているということが、しかしながら、女性の体を蝕んで、妊娠期間中には出ないはずのホルモンが毎月毎月、毎年毎年と年月を重ねていくことによって、身体の中に時には腫瘍などという形で、異常を来してしまうこともある、と。
なんてことよ。妊娠することなく、働きづめて、自分のことを最優先にしなかった結果、自分の身体を犠牲にしてしまう人がいるなんて(もちろんいろんな要因が重なっていることは百も承知)。
子どもを望む気持ちはある、だけど、相手とのこともあるし、ここまで独身でいると、妥協するというのが本当にできなくなってくるのね。それで、じゃあ生理を止めるためにピルでも服用しましょうか?という話になると、そこに対するネガティブな知識も持ち合わせているから、うーんそれって本当に大丈夫?とかいろいろ考えて一歩踏み出せず、いっそ、お医者さん、あなたが私に強制してくれたら、二つ返事ではい!というのに。とか、どこか他人に任せてしまいたいような気持ちになることも多い。
でも、やっぱりそれでその結果、どうなるかはわからないということもわかっているし、結局全てが自己責任。
そんなに好きじゃないけどものすごく愛してくれる人と時間をともにするのも、すごく好きだけどなかなか会えない人を愛し続けるのも、全て自己責任。
コントロールできることのはずなのに、なぜか愛とか恋とかになると、自分の理性ではどうにもできないことも多かったりする。
今、思い返すと、あの時は未熟だったな、と思うことがたくさんある。そして、それは恋愛において特に多い。時間を無駄にしてしまったのかな?とも思ったり、結局愛されていなかったじゃないか、という結論にいつも行き着く恋愛ですら、そこにはその人の良さがあったりして、あれ、この彼意外と私を好いていてくれたんじゃないか?とか。私がもっと彼に自信をつけさせられるような言動ができたんじゃないか?とか。後悔先に立たず。
だけどさ、そういうことを経験した私もひっくるめて私なんだと思う。だから、それでいいんだということもわかっている。あの時の自分にかけてあげたい言葉は、他の誰か、例えばそれが娘であれば最高なのだけれど、きっと誰かにいつか教えてあげることになる日が来るんじゃないかな?
性というものがタブー視されがちな日本において、性について知らないが故に、自分のことを本当に理解できないままの人も多い気がする。性について悩めば悩むほど他の人との違いも知れて、自分についてもより理解できるような、そんな気がする。
そう考えると、性欲というのが3大欲求であることは、理にかなっている。どうして、当たり前にある、食欲と睡眠欲だけが子どもにも大人にも共通で、子どもの頃に性について教えてもらえなかったり、タブー視されてしまっているのか。
例えば、身近なところで言えば、セクシーな性についてだけではなくて、男性であること、女性であることによる、気持ちや捉え方、表現方法や行動の仕方に現れる性差というのが、まず教えられてもいいのではないか?それは、同じ物事に直面した時にどうその人が捉えるか?というそんな身近なことに帰依するのに。