Responsibilityと当事者意識
今日は久しぶりに、私の作戦がうまくいったなって思った。やっぱり、ただ流れに身を任せているだけ、では、自分の進む道を切り開くことにはならないな、と。まあ、たまたまの結果なのかもしれないけど、行動したら動いた!ていう実感は大事なことですね。
今日は、久々にタイトルから思いついたというか、私の中で最近のテーマ「責任」なのかな?と思うくらい、責任について話を聞いたり、自分で考えたり、このワードに遭遇することが多いので、書いておこうと思う。
私は自分で言うのも何だけれども、割と責任感が強い。責任感が強いのは、私のいいところだなと思うことの方が多いけど、責任感が強すぎて、人のことまで背負ってしまったり、まあ、責任感の押し売りになっていることもなくもないと思う。だけど、そうやって、責任を持ってコツコツと積み上げていくと、面白いことに、支持してくれる人が現れる。それが連鎖して、広まっていく。
不思議だけど、私がやめずにずっとこの仕事を継続していることも、今こうやって支えてくれる人たちに出会えたと言うかけがえのない結果につながっていると思っている。
数字に責任を持つとか、成果に責任を持つとか、全て、私が私のことだと感じて当事者意識を持って関わっていく必要があるんだな、と。そうやって当事者意識を持って関わる人が多ければ多いほど、結果が出るのは当然だよね。
結果が出ないと言うことは、単純に、そもそも自分に当事者意識があるかどうか?そして、それを解決するために、できることをしているか?ということ。これは、とても大切なことなのに、どこでも教えてもらえなかった。
責任という英単語、responsibilityを紐解いてみると、
response + ability 反応する + 能力 → 反応する能力
責任があるという responsibleは
response + able 反応する + できる → 反応できる
反応するというのが少し日本語だとわかりづらいけど、当事者意識を持ってその出来事に対して、どうしていくか考え・行動するという反応ができるかどうか?
その能力を責任と言うのでしょう。
高校生の英語を指導していると、どうしても、英文和訳が苦手です。と言う子が多い。それはなぜか?と言うと、解答だけをみて、自分にその訳ができないと嘆くから。単語の意味がわからないことに固執してしまうけど、実際に、そんな必要はなくて、文脈から自分なりに訳ができるはずの能力を持った子も結構多い。
結局、正解を与えられることに慣れきった子どもたちへどう教えるか?と言うこれは大人の課題ですね。こう言うのを当事者意識という。
高校生の私は、そんなことも考えず、結果にもさほど固執せず、適当に訳をしていたんじゃないかと思うと、あの時の私はただただテストを受けさせられ、その結果を一喜一憂だけして、そのあとはすぐ忘れ、順位にも固執せずにいたな。当事者意識のかけらもない。笑
そう考えると、今私が関わっている子どもたちはよく考えているし、自分の英語をどうにかよくしていきたいと思っているし、素晴らしい、優等生ばっかりだな。
それから、Responsibilityという単語からも分かるように、誰でも、反応には選択権がある。どんなふうに反応するか。
例えば、店員さんの対応が悪かったことに対して、直接文句をいうこともできるし、我慢することもできる、陰で文句をいうこともできるし、何も感じない人もいるかもしれないし、何も感じていないフリをすることもできるかもしれない。どのパターンもあるけれど、そこで感じるモヤモヤだったり、起こりうるトラブルの責任は、その反応をしたあなたもしくは私にある。
そう考えると、英語のresponsibilityという単語はとてもわかりやすい、意味の広い言葉ですね。そして、日本の責任という単語は少し意味が分かりづらい。
responsibilityがなければ、自分を犠牲にしたくないとか、嫌われたくないとか、失敗したくない、そんな気持ちが少しでも働くと、責任は誰かに転嫁されて、その反応は、味気なく、時にはトラブルの元になってしまったり。
だから、やっぱり、最低限、自分が関わることには、当事者意識が必要だと思う。
自分軸で生きるということは、自分で反応を選ぶということ。そして、その責任は自分がとるということ。
今までの私は、誰かに頼って、誰かと一緒にいるから楽しくて、誰かに甘えられたらいいな、とかそんな甘い考えばっかりだったけど、今、自分の心と向き合い、身の回りで起こることに対しての自分の気持ちに目を向けたり、自分がどうするか考えたり、何か物事を動かそうと思う時に、ふと立ち止まって、振り返ってみると、ああ、責任をとるってこういうことか、悪くないな。ってそんなふうに思えることも増えてきた。
とは言え、誰かにやってもらえたらいいのにな、とかそういうことも多いし、逆に、人に任せるべきところを私がやってしまったり、ということもまだまだあるから、学びの途中で初期段階だな、とは思うけどね。
でも、この考え方は、大事にしていきたいな、と思えるほど、私にとって大切な考え方。