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SHINRABANSHO
人生に疲れたら、敢えて騒々しい街中で目を閉じてみる。そして、こう思ってみる。
自分は死んだんだ、と。
例えばスクランブル交差点で。
女子高校生のはしゃいだ声と、車のクラクション、カツカツと慌ただしい音をたてるハイヒールの音、電子公告の大きな音などが、瞼の裏側の真っ暗な景色を無視して私の耳を通じ、脳の奥へと拡がってくる。
その音たちは脳の奥に拡がりながら、何かまた違う周波数の奇妙な音を拾い始める。
きっと死神がいるのならこんな声だ、というような薄暗く掠れた声で、私に何度も脳の奥で呼びかける音がする。
「お前は死んだ」
「お前はもうこの世界にはいられない。」
思わず乾いた喉を鳴らす。
だが死神のような声はまたも続けてこう言うのである。
「それでも、不器用ながらにももがいて生きてきたお前に少しの褒美をやろう。最後にもう一度だけ、目をあけてこの世界を見てもいいものとする。」
「え、いいんすか。」
咄嗟にそう突いて出て、最後の褒美をもらった私はゆっくりと深呼吸をしてから目を開けてみるのである。最後の景色を納めようと、慎重に。
暫く真っ暗な視界だったものが、昼下がりの澄んだ空と騒々しい街中を無理にリンクさせる。
コントラストがまだ青ぽい。
目をしばしばさせながらも必死になって周りを見渡してみると、やっと陽の光が差し込んできて脳の奥で鳴っていた音とみんなの動きが合致する。
「すごい。」
私は思わず泣いてしまう。
すると死神のような声が、今度は澄んだ声に変わる。
「まだ見ていたいなら、見ていてもいいのよ」
母のような優しい温もりのある声だ。
騒々しくて忙しなくて鬱陶しいと思っていたこの世界が、たったの数秒で物凄く愛おしいものに思い始める。
「もちろん、まだ見ていたいよ。」
最後だと思って見渡したこの世界、
まだ見続けられるのだとしたらこんなに幸せな事は無いと思う。
耳で聴いて目で観て体を動かして好きな場所へ行ける。
そうしてこう思うのである。
私が死にゆく時、私も誰かの優しい温もりのある声の主でありたい、と。
信号が青に変わった。
私は何事もなかったかのように、人混みの中をまた歩き始める。
生きている歓びを噛み締めるのも忘れて、
周りの音がまた騒々しく感じたら、コレを何度でも繰り返していく。
思い出せれば忘れてもいいのだと、私は思うから。