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コンサート:トゥガン・ソヒエフ指揮ミュンヘン・フィル(10月20日、ミュンヘン・イザールフィルハルモニー)

10月20日、ミュンヘンのイザールフィルハルモニーでソヒエフ指揮ミュンヘン・フィルのコンサートを聴きました。

ミュンヘン・フィルが演奏するブルックナー《交響曲第8番》を聴いたのは2000年秋、ギュンター・ヴァントが指揮したガスタイクでのコンサートが最後でした。
それから24年の歳月が流れました。

そのコンサートはヴァントさんがNDR響と最後の来日公演を行う2ヶ月前でした。
当時、ヴァントさんの来日にあたって日本で反対運動がありました。
もしヴァントさんがそれを聞いたら、大ショックを受けることは確かでした。ヴァントさん本人が日本に行きたかったので、なおさらでした。
なんとか状況をおさめるにはヴァントさんのインタヴューをすることが必要だと関係者と話しました。

ただ、有名アーティストにインタヴューすることは簡単ではありません。
しかもヴァントさんは気難しく、人と会わないことで有名でした。
ヴァントさんがインタヴューを承諾しても、指定日がいつになるか、どこで行うのかまったくわからず、2000年7月、8月の2月間、長期の旅行の計画を立てることができず、自宅で待機状態でした。

結局、9月に入り、ミュンヘン・フィルとのコンサート時にミュンヘンで行うという連絡がありました。

その時のエピソードや事情はあらためて書きたいと思います。

開始前。

終わってから。

この日の《第8番》は第2稿でした。
《第7番》で大成功をおさめたブルックナーは《第8番》の初稿を指揮者ヘルマン・レヴィに送ります。
レヴィはブルックナー最大の理解者でした。少なくともブルックナーはそう信じていました。

ところが、レヴィは《第8番》を全否定します。

絶望したブルックナーはショックのあまり、数週間も寝込んでしまいます。
おそらく人生最大の危機だったのではないでしょうか?
しかしなんとか書き直したのが、この第2稿でした。

《第8番》は演奏に1時間半かかる大作です。
ブルックナー作品の中で記念碑的な作品とも言われます。

しかし、私は随所に「いたみ」を感じる。
ブルックナー作品にはどれも「いたみ」を感じるのですが、特に《第8番》の第2稿ではそれが顕著だと感じるのです。
レヴィの拒絶を受け、「なぜ?なぜ?」と音符を変えていく、書いていくブルックナーの「いたみ」が聞こえてくるのです。
その「いたみ」は「破滅」に通じ、しかしだからこそ「救済への希求」と背中合わせだと感じるのです。
いくら素晴らしい技術で、うまくまとめても、指揮者本人がこの根元的な問題に向き合わない限り、表面的な演奏になってしまいます。

そして第3楽章、シンバルとトライアングル奏者が準備を始めると、ヴァントさんが頭をよぎります。
ヴァントさんはあのシンバルとトライアングルの箇所が大嫌いでした。拳をふりあげて怒っていた、あの表情と声が今でも目に浮かび聞こえてきます。

そのヴァントさんもレヴィのように作曲家ベルント・アロイス・ツィンマーマンの作品を全否定をしたことがありました。
今や20世紀の大傑作とされるオペラ《兵士たち》です。
ヴァントさんとツィンマーマンは仲が良く、ツィンマーマンは《兵士たち》世界初演をヴァントさんに指揮してほしかったのに、全否定されてしまうのです。

そして、この作品は当時のケルン・オペラ音楽総監督ウォルフガング・サヴァリッシュから上演不可能とされてしまい、結局1965年、ケルン・オペラでミヒャエル・ギーレン指揮で世界初演されました。

ツィンマーマンは1970年、ピストル自殺を遂げました。


この日はマチネーのコンサートだったので、終わっても明るい。
イザールフィルハルモニーの周囲も、もうすっかり晩秋のたたずまいです。

FOTO:(c)Kishi

以下はミュンヘン・フィル提供の写真です。credit: Tobias Hase


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