美術:ラッヘル・ロイス展(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)2/3
前回に続き、ラッヘル・ロイスの話です。
上記の写真は今回展示されていた《ラッヘル・ロイス》(1692年)という題の肖像画です(ニューローク・メトロポリタン美術館)。
ロイスが製作中の様子を描いたもので、作者はロイス自身とミヒール・ファン・ムスヘル(Michiel van Musscher, 1645-1705)です。
つまりロイス、この時28歳。
ロイスは17歳から84歳まで画家として仕事をしました。
今回の特別展では世界中から50作以上が集まっています。
さて、ラッヘル・ロイス展のプログラムです。全48ページ。
こちらは子供向けのプログラム。全27ページ。
説明がわかりやすいだけではなく、謎解きや切り絵、塗り絵など、大人も楽しめます。
この写真だけでもわかると思いますが、花も蝶もなんと細かく描かれていることか!
ちなみにロイスの父フレデリク・ロイスは医者、解剖学者、植物学者でもあり、昆虫採集をし、標本をたくさん作っていたそうです。
自然科学者、昆虫採集、オランダの画家(特にフェルメール)と来て、日本の福岡伸一先生を思い出しました。
両プログラムとも、1500円くらいで販売してもよいのではないかと思いますが、無料です。こんなところにも文化の高さとそれを支える公のあり方、つまり税金の使い道を考えさせられます。
さて、ロイスの生きた時代を簡単にまとめておきます。
ロイスが生きたオランダは17世紀中盤まで隆盛を極めました。
しかしロイスが生まれた頃には、その隆盛に影がさしてきます。
ここに私の愛蔵(書?)である『解説・世界史年表、東京大学名誉教授村川堅太郎・監修、山川出版社』の該当ページを載せます。
これ、本当にわかりやすい(私が所持しているのは1991年発行です)。
それに薄いので邪魔にならず、バッグに入れて持ち歩いています。
これで一目瞭然なのですが、最初のページ17世紀に出ている「オランダ」が次のページでは姿を消しています(わかりやすすぎる!)。
ちなみに1600〜1700の説明として
⚪︎ネーデルランド・・・・主に東洋貿易に活躍し、17世紀前半、仲介貿易により最隆盛期に達したが、後半イギリスとの戦いに敗れて衰退へと向かう。
とあります。
ところで、この頃の有名なオランダ・フランドルの画家たちには、ルーベンス(実はドイツ生まれ、1577〜1640)、レンブラント(1606〜69)、日本人が大好きなフェルメール(1632〜1675)がいます。
ルーベンス、レンブラントの時代はまだ良いとしても、フェルメールの晩年にはオランダは戦争で疲弊し、景気が悪くなり、絵の注文も激減して不遇のうちに亡くなっています。
ロイスは1664年、ハーグに生まれました。
亡くなったのは1750年。J.S. バッハと同じ年に亡くなっています。
ちなみに音楽史では『バッハの死=バロック時代の終わり』と定義されています。
しかし、ロイスは衰退のオランダにありながら、驚くほどの幸運を一身に集めました。
出自、環境、才能、伴侶、10人の子供、パトロンに恵まれました。
仕事をするに当たり、科学技術の進歩が輪をかけています。
86歳で没しましたが、当時としては長生きです。
加えて晩年には本当に「ありえない」ほどの幸運を手にしています。
ロイスの生涯については次回にしたいと思います。
ここではアルテ・ピナコテークで観た作品などの写真を掲載します。
まず、アルテ・ピナコテークのキュレーターによる案内ビデオのリンクです。
語りはドイツ語ですが、英語の字幕がついています。
以下はライスに大きな影響を与えた自然科学部門の展示。
FOTO:(c)Kishi
私がご案内するドルトムント・オペラ《ニーベルングの指環》チクルス上演のお知らせです。
《ニーベルングの指環》では、権力の指環をめぐって神々、小人族、巨人族が3世代にわたって争いを繰り広げます。→
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
インスタグラム @chihomi_kishi_kcmc_music
カルチャー・コンサルティングについてのお尋ね、ご連絡は以下までどうぞ。
Kishi Culture & Media Consulting Companie UG
代表:来住 千保美(Chihomi Kishi)