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時間の余白と無作為な探索

予定していた仕事が、
朝の交通渋滞によってとんでしまった。

まだ朝の8時過ぎだった。

ぽっかりとあいた時間と、
突き抜けるような青い空。

とあるPAに入る。
そういえば何も食べずに家を出てきたので
空腹だった。
そば屋で朝定食、
そば、ごはん、玉葱天のセットを注文する。
600円。サーバーから水を注ぐ。うまい。

周りをみると作業着をきたおじさんが多い。
仕事前なんだろうか。

向かう目的地をなくすと
無作為な探索がはじまる。

人間の歴史の中で、
労働は切っても切り離せない存在だろう。

労働は私たちにさまざまな報酬を与えてくれる。

しかし、労働が時間を圧迫し、
人間が人間たる人間性を失いつつあるのもまた、
事実ではなかろうか。
自分の全体性を考える時、労働しているときは自分の一つの側面に過ぎない。家庭にいるときも、友人と過ごすときも。
私が私自身であるということは、
ほんとうは一体どういうことなんだろうか。

ぽっかりとあいた時間。
実際に、私は自らの思考を自由自在に
夏の空に解き放つことができる。身体は涼を求めてPAから出たくなくなっている。
頭も身体も今ここにある。役割もなく、私は私として心と身体のゆらぎを感じている。

私たちはみんな、より良い人生を送りたいと願っている。しかしながら、戦争はなくなっていないし、人類がみな平和で健康で豊かには、なっていない。

朝8時過ぎのPAで過ごす人は
思い思い、それぞれだった。
これから働きに行く人もいるだろうし、夏休みで遊びに行かれる人たちもいるんだろう。

暖かい食事が身体だけではなく心も満たしていく。さあこの後はどこへ向かおうか、食事が前向きに元気にさせてくれる。

5,000円ほどのバイト代と、一日の労働経験と。引き換えの思考、移動、この朝食。

私たちはより良い人生を送りたいと願って、
日々選択をしている。

行動選択の価値基準は様々だ。

お金、経験、愛や友情。

様々な価値基準で人生の選択を行うこと、
それ自体が人間的であってほしいし、
そのためには時間や暇があったほうがよい。

高度な情報化社会、もとい労働・消費社会に奪われた時間を取り戻すことが、人間性の回帰へとつながるのではないだろうか。

さあ今から何をしよう。

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