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ビニール傘が嫌いな理由。




傘が好き。
雨の日は、いろんな人のいろんな傘を見れる。
上から眺めるのも、横から眺めるのも、もちろん自分が差している傘を下から眺めるのも好き。

私の傘へのこだわり

元々傘には、割とこだわりがある方だと思う。
1万も2万もする傘を何本も買えるわけではないけれど、やはり良いお値段の品物というのは丈夫で機能もしっかりしている。
一時期はそれぐらいの金額のものを1本だけ、雨の日も晴れの日も(晴雨兼用だった)大事に使っていた。

他には16本骨のとにかく丈夫な和傘みたいなのにハマっていた時期もあったし、水(雨)に表面が濡れるとデザインが浮き出てくるものにハマっていた時期もあった。
逆に太陽に当たると内側に猫(わちふぃーるどのダヤン)が透けて見えるオシャレな日傘も好きだった(高かった)。



現在の私の傘へのこだわりは、
「シチュエーションやファッションに傘を合わせること」と「とにかく軽いこと」だから、安いものを数本持っている。
折りたたみ含めて、5本持っている。(持ちすぎ?)

でも、どれもコレクションみたくしまっているわけではなく、それぞれバランス良く使っている。
私にとって傘はなんとなく、靴と近いような感覚。
降り方も弱いし帰りは止むみたいだから閉じてても細くて可愛い傘にしとこ、とか、今日は風も強いから強度が高くて深さのある傘にしていこう、みたいな。


ビニール傘は大事にされていない



そんな私が、あんまり好きではないというか、ハッキリ言って嫌いなのが

ビニール傘。

いや、ビニール傘自体は別にいい。
手軽だし、コンビニでも買えるし、
最近は大きくて丈夫なモノも多い。
私も1本だけ大きくて楽なジャンプ傘を持っているし。

何が嫌いかというと、粗末に扱われたビニール傘。
《ビニール傘を粗末に扱う人》のことが嫌いとも言えるかもしれない。


破れている表面やザラザラに傷ついた持ち手、
骨組みが錆びてビニールの内側まで茶色くなっている、あの感じ。
よくみんなあんなのを平気で使ってられるなと思う。

あと雨の翌日、ビニール傘がその辺の道端に転がっている確率。高すぎやしないか?
でも柄物や色付きの傘はほとんど見かけない。


「大事にされていない」から「大事にされない」、負のループ


そして何より許せないのが、

「ビニール傘ならパクっても文句ないでしょ?」

という、あの空気。怒りすら覚える。


多分、《ビニール傘=安い、粗末な扱いをされている》
という印象が根付いているから、
「じゃあ1本ぐらい盗ってもいいか」って心理が働くんだと思う。もちろん人のモノを盗む方が100%悪いんだけど、なんてゆうかビニール傘には、
「雑に扱って良い」みたいな、
「大事にされてない不穏なオーラ」みたいなものが漂っているんだと感じている。それだから私はビニール傘が、とても苦手で嫌いだ。


でもこれ、人間も同じなんだよなぁ。

大事にされてない人(自分を大事にしない人)って他の人からも大事に扱われなくなっていくし、
逆に大事にされている人(自分を大事にしてる人)って他の人からも大事に扱われる。
これまた、「大事にされている(している)空気」が纏わりついているからだと思う。
(心理学的にもスピリチュアル的にも、こうゆうことが最近良く出てくる。)



濡れて帰った方がマシ


話が少しそれた。


で、まだ続く私の、ビニール傘への嫌悪感。
ボロボロなビニール傘を見ただけで、まるで鬼の首でもとったかのような気持ちになる。
鬼の首、取ったことないけど。

ビニール傘を避けて通っている私だが、「大事にされてないビニール傘」と出会うシチュエーションがたまにある。
それは

・家に来た人が置き忘れるor置いていこうとした場合

・傘がなくてお店とかで借りた場合


まず前者。
これは本当に迷惑。
家に傘が4、5本ある時点で傘立てにはもう余分なスペースがないから、もう一本余計な傘があるだけでとても邪魔なのだ。問答無用で「持って帰って!!」と言うし、1日でも早く自分んちの玄関から葬り去りたい(ヒドイ)。
忘れた人の傘は、ある程度は保管しとくけど我慢の限界が来たら捨てる。忘れたことに悪気がないとはわかっていても、私にとっては、傘を大事にしてない時点で罪。
「いついつ取りに行く」とか、なにかしらの連絡来たら話は別だけど、これまでの経験上ビニール傘をわざわざ取りにきた人(そこまで大事にしている人)は0だ。
だから捨てていい。てか捨てる。

そして後者。
ご厚意で貸してくださっているから、ボロボロのものが来ても文句は言えない…傘を大事にしてるしていないよりもこちらに対する善意が強いので、さすがの私もその気持ちを無下にはできない…。
向こうも「濡れるよりマシかと思うので…」というテンションで貸してくださる。受け取る。その傘を差して帰る。

数秒で濡れて帰った方がまだマシだという気分になる。

それぐらい、「大事にされてない傘」を使うと居心地が悪いというか、一気にエネルギーを消耗してしまうのだ…。
なんか知らないけど、地味にメンタルに来る。
ボロボロの状態の傘が気になって気になってそわそわしてしまい、いろんな角度から傘を見てしまう。
そうこうしてるうちに雨に濡れていたりする。
マジで本末転倒である。



大事にされていない傘の声が聞こえる…



前者の、「本来の持ち主に置いて行かれた大事にされてない傘」が家にある状態というのも、相当メンタルにダメージを受ける。毎日毎日傘立てから、一人(一本)だけ明らかに違う空気を発しているのを、「なんで私だけ…」という、若干ホラーのような空気感を感じてしまう。
傘の波動というか気持ちがダイレクトにって伝わってきてとても疲れる…


…私、前世はもしかして捨てられた傘かなんかだったんだろうか?
(それも道端に捨てられたボロボロのビニール傘。あり得る。)


話が前世にまで飛びそれまくったけど、
早い話がビニール傘だろうと大切に扱ってあげようよって話。
あと、私は粗末に扱われる傘に感情移入してしまうんだから平気でそんな傘を置いて帰ったり渡してきたりするな!!ってこと!(えらそーに)



まとめて供養してあげた

最近、上記のような傘を燃えないゴミでまとめて供養してあげた(捨てた)。
でもやっぱり、人が雑に扱っていた傘たちを葬るのは、心が痛んだ…。
一応は、私、傘自体が好きだからさ…。



そんな私はため息つきながらも、最近買った晴雨兼用の折り畳み傘が全然UVカットの効果がなさそうで、早くも新しい日傘をもう一本買おうとしている。

…傘を一番大事にしていないのは、私かもしれない。



いやいや、そんなことはないぞ…と自分に言い聞かせながら、ここしばらくは晴れの日が続きそう。
コイツの出番は無さそうだなと、クルクルと閉じてそっとしまった🌂







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