【裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち】読書感想
上間陽子先生の【裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち】読みました。
https://www.amazon.co.jp/dp/B06W2JH54M/ref=cm_sw_r_sm_apan_5DKAJF1GTN5AXYFJ66E0
読書が趣味ではあるものの、ここ数ヶ月は体調の問題(身体の節々痛すぎ問題)から全然活字と向き合えなかったのですが、
数日前に前駆陣痛が来て、子どもが産まれたらしばらくゆっくり本など読む暇はないだろうと思い、今日は本を好きなだけ読むぞ!と意気込んで書店へ。
3冊手にとって、併設のカフェで順に読み耽る。
3冊目がこの本でした。
沖縄の少女たちの暴力被害や妊娠、貧困問題や、その中での歩みの記録。
身体が痛い中、読み終えて15分程度で書いた感想なので、細かい内容についてはまたいつか再読して投稿できたらいいなと思いつつ、
この本がいろんな人の目に触れて欲しいという願いを込めて、ひとまずサラッと久し振りに投稿します。
まえがきは、『なぜ女の子たちは、自分で選び取りながら結局は不自由なところに押し込められてしまうのだろう』と始まる。
登場する少女たちは、幼く、未熟で、傍から見ると自分で自分を追い込んでいるように見えるが、それらは彼女達の選び取った『最善』であることも確かな事実なのである。
批判や自己責任と片付けるのは容易だけれど、『愛し愛される力』を身に付ける機会に恵まれなかった彼女たちの言葉の端々から見て取れる葛藤に、きちんと耳を傾けて、本当の意味で寄り添うことが出来る大人は、実際にはどのくらいいるのだろうか。
実際に支援する立場に居る大人や、理解を示せると自負する大人は多いかもしれないが、
「彼女たちから見て」心を開ける大人は、そう多くはないだろう。
自分は真の意味で寄り添えるかと問われたら、やはり自信がない。
そう思うのは、自分もかつて、その葛藤の中に身を置いた一人でもあるからだと思う。
教育・経済・健康、あらゆる貧困は負のループになっていて、努力だけで抜け出せるものではないことは、自分自身が家庭の事情で商業高校に進学、途中からほぼ出席せず卒業して、働きながら独学で大学院まで歩みを進める中で少なからず体感してきた。
形振り構わずがむしゃらに生きることは、時にTaker(搾取する側)にならざるおえない事でもあり、人との関係性や生活に、思いがけない様々な影を落とす。
少女たちは、時に搾取され、時に搾取しながら、今その瞬間、彼女たちが選び取れる、彼女たちが導き出した『最善』を生きる。
本の中には、決して順風満帆とは言えない彼女たちの人生が綴られている。
しかし、この本のあとがきには『それでも朝やけの靄が一面に広がり、鳥が鳴いて朝がやってくると、ああ、どうやっても朝はやってくるのだから、簡単に絶望してはならない』
と、希望を感じさせる一文がある。
誰にでも朝は来る。
いつでもまた、新しくスタートが切れる。
それは、生きている限り、皆に平等に与えられた権利なのだ。
希望と絶望、前身と後退を繰り返しながら、それでも朝の光を浴びて生きる彼女たちは、ときに自分自身であり、沖縄そのものなのだと感じた。
人は誰しも、置かれた環境の優劣に関わらず、結局は自分の人生を自分の力で切り拓くしかないのだけれど、
それは少女たちが人生の責任を自分たちだけで取ることを良しとする事とイコールであってはならないと思う。
子どもの貧困問題に寄与したいと進学した大学院で、同期の能力と知的好奇心の高さを目の当たりにして、博士に進学してからは逃げ腰だった研究だけど、今後の自分の人生の歩みも含めて再考する機会になった本でした。
行間に彼女たちの今の姿を巡らせ、想いを馳せながら帰路につこう。
、、、と思って立ち上がったら、背中が痛みで爆発しました🙌
長居しすぎた🥲ぴえん
本の売上は、強姦救済センター沖縄REIKOに寄付されるそうですよー。
今日、沖縄は久し振りに晴天☀
沖縄の太陽の光が皆に降り注いでいることに感謝🙏
・・・もはやタレントのブログではないな(笑)