はじめまして、鈴木ちひろです。
まずは自己紹介を。
政治団体「グリーンな国分寺」代表の鈴木ちひろと申します。普段は、国分寺のオーガニックカフェ「カフェスロー」と、重度身体障がいの方の訪問介護の仕事をしています。国分寺で生活しながら、環境活動や政治活動をしています。はじめてのブログなので、まずは自己紹介や経歴をシェアしたいと思います。
1996年神奈川県の海のまちで生まれ、自然に囲まれて過ごしました。中学生から地元でサーフィンを始め、高校生になるとスキーやスノーボードに夢中になるようなアクティブな子ども時代を過ごしました。
学生時代は、ミャンマーやメキシコなど10カ国ほどを旅し、現地の方々との交流を通して、将来は途上国の方の役に立ちたいと考えていました。大学では外国語としての日本語を学び、憧れの日本語教師の仕事に就きました。東京で3年間、転職して奄美大島で1年間、外国人留学生に日本語を教えていました。
コロナ流行による転機を迎える
2020年3月。コロナウイルスの世界的な流行で、留学生の来日が見込めなくなり、突然日本語教師の職を解雇されてしまいました。外国人留学生が抱える日本での生きづらさや、人権問題や格差、差別に対しての問題意識を強くしていた矢先の出来事でした。
突然失業し、日々の生活と将来への不安を抱えつつも、奄美の雄大な自然に触れることで、元気に生活を続けることができました。島暮らしは、まさに「支え合い」。野菜を分けてくれるご近所さんや、夕飯に誘ってくれる島の方がたくさんいました。歌が好きな私は、集落のお祭りに歌いに行ったり、農業のお手伝いをしに行ったりと、地域の「支え合い」の大切さを学びました。
島暮らしを通して、環境問題が自分ごとに
奄美の自然のなかでも、とりわけ素晴らしいのは、やはり海です。島での生活は、海の恵みなしには成り立ちません。潮の満ち引きに合わせて魚介類や海藻を採りに行ったり、伝統的なお祭りは海で行われることも多いのです。島の生活に密接につながる海に行き、泳いだり遊んだりしているうちに、白化したサンゴがあまりにも多いことに気づき、「地球温暖化」「気候危機」を実感しました。今思うと、それが今につながる環境活動への大きなきっかけとなったように思います。
その日を境に、私の生活は徐々に変わり始めました。なるべくプラスチックごみを出さないようにマイ箸とマイボトル、マイバッグをいつも持ち歩いたり、環境負荷が大きい食肉を控えてみたり・・・。ただ、個人の小さなアクションでは限界がある、と感じ始めたとき、自分に何が出来るのか、悩んでしまいました。
そんなとき、実は二酸化炭素の排出量が大きいのは、実は農業の影響が強いことを知ります。畑を耕し、農薬を使う一般的な農業は、実は環境にはあまり良くない方法だという研究結果は、化学的にも証明されていたのでした。ではいったい何がいいのか?そこで、「有機野菜」「自然農」「不耕起栽培」という言葉を知りました。農薬を極力使わず、畑も耕さない。「オーガニック」などはなんだか高級志向なイメージで、これまではまったく無縁でしたが、無職の当時、せっかくならやってみよう!という楽観的な考えで、島を出て、栃木県の『アジア学院』で有機農業を学ぶことにしました。日々の生活に欠かせない野菜を育ててみたい!サステイナブルな農業を通して、環境問題をもっと学びたい!の一心でした。朝から晩まで野菜や米作り。自分で種まきして、丹精込めて作ったものを料理し、農業仲間達と食卓を囲む。90%以上の食料自給率を誇るコミュニティでの暮らしは、お金がなくても豊かに幸せに暮らしていける、オルタナティブなライフスタイルを実践しました。
どんな未来を描くのか
1年間みっちり自然に寄り添った暮らしをしながら、福島第一原発からほど近い那須では、いまだに食べられない山菜やキノコ類がありました。那須にいる1年間のうち、5回ほど福島を訪れ、双葉町の町議会議員さんに会ったり、災害伝承館を訪れました。原発事故を改めて勉強していくにつれて、原発への問題意識を強く感じていきました。
このまま、田舎で自然に囲まれた自給自足のエコロジカルな暮らしをするのか、それともこの数年間で芽生え始めた社会への問題意識を伝えるような活動をするのか・・・。
そんな中、知り合いの紹介で、東京の国分寺市の『カフェスロー』で働かない?というお誘いがありました。以前からよく耳にしていた、オーガニックカフェの草分け的存在のカフェスロー。実際に行ってみて、ここで働きたい!と思うまで時間はかかりませんでした。
都内でも自然豊かで、都市農業が根付く国分寺に魅力を感じ、このまちを生活の拠点に選んで早1年。 暮らしてみて感じたのは、国分寺に住む人のあたたかさ。市民の国分寺愛。採れたての新鮮な野菜「こくベジ」が手に入る環境。文化と歴史を感じるまち。都内でもこんな暮らしができるんだ!と、「支え合い」のまち、国分寺が大好きになりました。
これからも住み続けたいまちを目指して
実は、市民アンケートでは「住みよい」と答えた国分寺市民は92.5%。なかでも10代、20代が住み続けたいと答えたのが、周辺自治体より高い割合でした。これからも幅広い世代にとって住みよい、そして私たち若い世代にとっても、住み続けたいまちであり続けるために、気候危機のこと、ジェンダーをはじめとする格差人権問題のこと、都市農業のこと、幅広く国分寺で活動をし、市政に声をあげていきたいと思っています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。定期的にnote更新をしますので、引き続きチェックしていただけると嬉しいです。
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それでは、2023年もどうぞよろしくお願いいたします!