内観
目を閉じて、呼吸に意識をおく。
それだけで、内側に静けさが訪れる。
息を吸い、息を吐く。
それを繰り返す。
そのうちに、マインドが蠢きだす。
腰が丸まっている、肩が内巻きだ、顎が上がっている、頭が前に落ちている、呼吸が浅い、吐き切れていない…
リラックスして座り、呼吸するだけ。
それだけなのに、こんなにも自分を攻撃している。
私たちは、ただそこに在る、ということになかなか価値を見出せないのかも知れない。
何かをしたから、はじめて対価として、存在価値を与えられる。
ただ、そこにいるだけでいい、と自分に言えない。
だから、他人にも言えない。
だから、慈悲の瞑想と内観は一緒に行うのがよいとされるのか。
内観で赦しが起こるように。
私が幸せでありますように。
私の苦しみや悲しみが癒やされますように。
私の願いが叶いますように。
私が幸せでありますように。
私の大切な人たちが、幸せでありますように。
私の大切な人たちの、苦しみや悲しみが癒やされますように。
私の大切な人たちの願いが叶いますように。
私の大切な人たちだか幸せでありますように。
私の嫌いな人たちが、幸せでありますように。
私の嫌いな人たちの、苦しみや悲しみが癒やされますように。
私の嫌いな人たちの願いが叶いますように。
私の嫌いな人たちが、幸せでありますように。
私を嫌っている人たちが幸せでありますように。
私を嫌っている人たちの、苦しみや悲しみが癒やされますように。
私を嫌っている人たちの願いが叶いますように。
私を嫌っている人たちが、幸せでありますように。
生きとし生けるものたちすべてが、幸せでありますように。
生きとし生けるものたちすべての、苦しみや悲しみが癒やされますように。
生きとし生けるものたちすべての、願いが叶いますように。
生きとし生けるものたちすべてに、おだやかな呼吸が訪れますように。
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