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生まれる命と亡くなる命。


実家の祖母が亡くなってから早いもので2年が経とうとしている。

いつか祖母とお別れしなきゃいけない日がくるということはわかっていて、それはいってみれば自然なことであって。覚悟はしていたつもりだったけれど、大切な人を亡くすことは本当に悲しく、寂しいことだなあと思う。


点滴で生きる祖母


祖母と最後に会ったのは、祖母が亡くなる3ヶ月前。わたしは妊娠5ヶ月だった。

80歳になる祖母は、病室にいた。
ここ数年は入退院を繰り返していたが、「もう退院はできないかもしれない。」と母から聞いていた。

半年ぶりに会った祖母はもう骨と皮になっていて、死期が近づいているということは誰にでもわかる状態だった。

せっかく久しぶりに会ったのに、私は祖母とのお別れが近づいていることを悟り、喉元までこみあげてくる刺さるような悲しみに耐えることでいっぱいいっぱいだった。

わたしは泣きそうになるのを必死に堪えて、祖母に、「今お腹の中にひ孫がいるよ。会えることを楽しみにしていてね。」と声をかけた。


祖母は病室の窓の方を見ながら、声にならないくらい小さなささやきで「そこ...。カステラが食べたい。」と言った。祖母には幻覚がみえていたようだ。

祖母はもう飲み込む筋力がなく、命にかかわる肺炎を起こすから、と食べ物を口にすることを医者から禁じられていた。

祖母は点滴で生きていた。

私が「カステラはないよ。あげたいけど、あげられないの。」と答えると、祖母は私を見つめて怒った顔をした。

面会からの帰り道。
死期が近づく祖母の姿に衝撃を受けたのと、会えるのが最後になるかもしれないのに怒られてしまったこと、もう好きなものを食べさせてあげられない悔しさで、わたしは車の中で泣いた。

いつか別れが来る、そのときのために。

祖母は、よく私に甘えてきた。実家に帰れば「背中をさすってほしい」とか、「眉毛を整えてほしい」と言った。祖母の眉毛を整えてあげると、祖母は「きれいになった。」と喜んでくれた。

私は、数年前からだんだん体が動かなくなっていく祖母の姿を見て、〝いつか祖母はいなくなってしまう〟ということを感じていた。
いつか来るそのときを考えたら、祖母の顔に触り眉毛を整えてあげることは、祖母のためというよりは自分のためになると思った。

大好きな祖母へ何かをしてあげたという思い出が、私には必要だったからだ。

2020年の4月に祖母は亡くなった。
朝方のことだった。

世間はコロナ禍。初めての緊急事態宣言が出ていた。甘えんぼうだった祖母は、最期をひとりで迎えた。お別れの前にもう一回、祖母の手をさわりたかった。眉毛を整えてあげたかった。



ひと目だけでもよかったのに

祖母が亡くなったのは、わたしが産休に入ってすぐのことだった。もともと里帰り出産をする予定だったので、祖母の葬儀に合わせて里帰りを早めた。

緊急事態宣言が出てから、“ 首都圏から帰省した妊婦が破水して救急搬送されたにもかかわらず、帰省してまもなかったことを理由に受け入れを断られた ”という衝撃的なニュースもあり、妊婦だったわたしは、祖母のお通夜や告別式に参列することを諦めざるをえなかった。


代わりに手紙を書いて、納棺の際に祖母の足元においた。家から出棺したときが祖母との最後のお別れになり、骨を拾ってあげられなかった。
とても悲しい思い出だ。

祖母が亡くなってからちょうど2か月後。
月命日に息子は生まれた。
偶然なんだろうけど、祖母が見守ってくれた。
そんな気がしている。

本当はひと目だけでも息子に会わせたかった。大好きな祖母の喜んだ顔が見たかった。
孫どころか、ひ孫が見れるなんて稀有なことだというのはわかっている。だけどあと少し。
あとたった、2ヶ月だった。悔しい。

祖母は今天国から、息子のムチムチわがままボディーを見て笑ってくれているだろうか...。
そんなことを考えているとついつい涙がでてきてしまう。

祖母の死を乗り越えるまではまだ時間がかかりそうだ。


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