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緩和ケアのような日常を生きる【死にたくならなくなる日まで vol.01】

 朝、目が覚めた瞬間から「生きるのに疲れたな……」という思いで頭がいっぱいになっている。わかりやすくメンタルの調子が悪い。仕事も子育てもしていない、家事もろくにしていないのに、いったい何に疲れているんだろう。起きて活動しようという意欲がまるで湧かない。

 それでもトイレには行かないといけないので渋々ベッドから出る。排泄欲を(オムツに頼ったりするのではなく)自分で満たすことは、人間の中で意外と最後まで強く残る欲求なのではないかと思う。これは父を癌で看取ったときと、祖母が認知症になり施設に入ったときに共通して思ったことでもある。

 パジャマにもけもけのルームシューズだけを履いて、リビングに出てきてとりあえず日記を書く。日記だけ書いたらあとは寝て過ごす。すごく心配な厄介事を抱えていて、どう考えてもうまく運ぶ見通しはないので気が重い……というときの胸のあたりの不快感が、朝ごはんにベーグル(前日に夫が買っておいてくれた)を食べているときも、スマホをダラダラ見ているときも、つねにつきまとって離れない。厄介ごとは何もないはずなのに、「ああ嫌だなあ……」という気分が胸に重くのしかかる。さすがにこれはよくない兆候だ。

 父親が癌で闘病していたころのことを、なんとなく思い出す。病状も終末期に差し掛かり、病院からホスピスに転院しようか、という話が出たことがあった。母はぜひそうしたい思いだったようだけど、結局、病状の進行が想定より早くて病院で看取ることになった。もう少し早く行動しはじめていたら、父はホスピスで亡くなっていたのだろうか。そのほうが、本人にとっても遺族である母と妹とわたしにとってもよかったのだろうか。考えてもしかたないことだけど、たまにふと頭をよぎることがある。少なくとも父の理想は、自宅で死ぬことだったろうと思う。家が大好きな人だったから。でも病状的に、最後のほうは家で看取るのはいろいろと無理だったのでしかたがなかった。

 知り合いで、三十代半ばで癌を患いホスピスで亡くなった人がいる。わたしの先輩であり、夫の友人でもあった人だ。わたしは結局、ホスピスにお見舞いには行けなかった。夫はお見舞いに行っていた。「思ったより元気そうだったよ」と言っていた。それ以外にいったい何が言えただろうと思う。彼はそのまま、36歳で亡くなった。おしゃれで社交的で、夜遊びとお酒が大好きな人だった。わたしはとっくに彼の年齢を越して、今も生きている。いずれ父の年齢も越える、かもしれない。

 ホスピスは、おもに終末期の癌患者の人が、穏やかで苦痛の少ない最期を迎えられるようにケアを受けるための施設だ。すごく極端に言ってしまうと、死までの距離が長いか短いかの違いだけで、我々は全員いずれ死ぬ。だったら、穏やかで苦痛の少ない、ホスピスで過ごすような人生を生きさせてもらえないだろうか、と思ったりする。目標を達成したり自己実現したり、そういう人生における積極的治療みたいなアプローチは、いまのわたしにはキツすぎる。心と身体が耐えられない。いまある苦痛を和らげてなんとか人生をやり過ごしていくための、緩和ケアみたいなものが求められている。

 日本赤十字医療センターのホームページから、「緩和ケア」の説明を引用します。

緩和ケアとは、生命を脅かす病を抱えている方が直面するつらさや、今後起こりうる苦痛を予測し対応することで、日々の生活がよりよくなることを支えるケアです。 苦痛には、体の問題だけではなく、気持ちや社会的な問題など、様々なものがあります。もちろん、すべてが解決できるものではありませんが、少しでもつらさが和らぎ、その人らしく日々の営みを続けられるように、医師や看護師だけでなく、多職種からなるチームでサポートします。

https://www.med.jrc.or.jp/visit/cancer/palliativecare/tabid/786/Default.aspx


 ここで言われる「生命を脅かす病」とは、一般的に癌のことだと思うけれど、うつも「生命を脅かす病」だ。人はうつで簡単に死に至る、これは自分の体験から肝に銘じていることだ。昔、「うつは心の風邪」とよく言われていたけれど、うつは風邪と違って完治するケースは少ない。一度発症したら治らないと言われている花粉症のほうが、症状としては近いのではないかと思う(花粉症が本当に治らないのかどうかよく知らないけれど)。季節や天候に症状が左右されること、なんらかのトリガー(スギ花粉とか)により発症することなど、花粉症とうつは意外と似ているのではないか。アレルギー症状が一生治らないのなら、アレルゲンをできる限り避けつつ、対症療法でやり過ごしながら生きていくしかない。うつもどちらかというと、そういう心構えが必要な病気だ。

 というわけで、もう最悪うつは治らなくてもしかたないから、少しでも心が楽に生きられる緩和ケアのような対症療法が、いまのわたしには必要だ。藁にもすがる思いでカウンセリングを受け続けているけれど、効果があるのかないのか全然わからない。即効性があるタイプの療法でないことはわかっている。だからもう少し続けるけれど、いったいいつまで……?という思いもある。
 
 こんなにつらい日々が続くのなら、もうカウンセリングは諦めて、ホスピスのような日常のなかでゆるやかに死を待ちながら過ごしたい。そういう生き方があってもいい、というか、もうそういう生き方しかできないかもしれない。いまは昼間の光すら、胸を差し貫いてわたしを責める。カーテンを閉め切った室内で、ただ死ぬまでの時間をやり過ごすことしかできない。(2024.03.07の日記から)

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