見出し画像

読書日記断片② 初版本を読む

先日のことである。僕は神保町にあるF書房事務所へ足を運んだ。

F書房というのは非常に有力な近代文学系の古本屋で、表向きは無店舗で営業し、目録や即売会で本を売っているのだが、実は会員制の事務所が存在している

「会員制」といっても明確に会員証とか会費があるわけではなく、ようするに身内だけが入ることを許されているという話で、すさまじい蔵書を有するコレクターたちが集まって、さながら文学サロンの様相を呈しているのであった。

僕は人に恵まれている方だと自負していて、幸運なことにこの事務所にも数年前から出入りさせていただいている。
僕のようなペーペーには一生手の届かないであろう本の話がポンポンと出てくる会話は、横で目を白黒させながら聞いているだけでも、他では決して果たせない勉強をすることができていると思う。


で、その日は僕の師匠のほか、もうお一方、大先輩のコレクター(以下Aさん)がいらっしゃった。

この世界にいると、なんとなく顔と名前くらいは見知っていて、会えば話もするが、その実どういう人なのかはよく知らない、ということがままある。

Aさんについても僕は名前しか存じ上げていないが、僕の親よりは10才以上年上とお見受けしていいる。かなり"良い"本を架蔵していらっしゃると同時に、たいへんな読書家であるらしい。


色々のなりゆきから、師匠とAさんとがフランス文学の話を始めた。
僕はせいぜいが『レ・ミゼラブル』を読んだくらいのものなのでうなずきに徹していると、Aさんは「モンテ・クリスト伯(巌窟王)はお読みになりましたか? いやあれも長いですけどね、たいへん面白いですよ。」とオススメくださった。

それだけなら「いつか読んどこうかな」くらいの感想ですむのだが、この日僕が買おうと確保していた次の本にも話が及んだのだった。


菊池寛『真珠夫人 前篇』(新潮社)

画像1

菊池寛の、おそらく一番知られた作品ではないか。幾度となく映画化・ドラマ化がなされていて、なかでも「たわしコロッケ」は、ドラマに詳しくない僕でも知っている名(迷?)シーンだ。

初刊本の装丁は、函の意匠も本冊ヒラの箔押しも非常に美しく、コレクターとしては是非とも函付きで欲しい本であった。(明記されてはいないのだが、水島爾保布っぽい絵である)

それがこの日、F書房に前後函付きで安かったものだから、喜んで買うことにした。

するとAさん、「あー、真珠夫人ですか。わたしは文庫で読んだんですが、惹きこまれちゃいましてね、一気に読んじゃいましたよ」と。

画像2


近代文学のコレクターは、当然そのほとんどが日本文学好きなわけで、たとえば学生時代に愛読した小説を初版で買うとか、好きな作家のコンプリートを目指すとか、そういう風に蒐集を進めていくのが自然というものである。

ところが、僕の場合はそういうわけではない。
文学に興味がないわけではないが、読書家では決してなく、くだんの『真珠夫人』についても未読のままただ初刊本を欲しがっていたにすぎないのだ。

つまり【収集癖】+【文学好き】⇒【初版本蒐集】となるべきところが、ただ【収集癖】⇒【初版本蒐集】と一足飛びにいってしまったのである。


いままでは、まあ所詮趣味だし、誰に迷惑をかけるでもなし。別にいいんでないの、と思っていた。
しかしこの日、膨大な蓄積をお持ちのAさんと話をしていて、急に自分の不勉強が恥ずかしくなった

しかもAさんは、更に事務所で文庫本を3-4冊購入し「これちょうど読みたかったんですよ」と笑っていたのだ。遥かに年少の僕がこんなに読むことから遠ざかっているのは、コレクターだからというより、学ぶ者の態度として適切ではないと感じた。


そういうわけで緊褌一番、くだんの真珠夫人の前篇を、それも買ったばかりの初刊本で読了した。実家に帰れば文庫もあるはずだけど、師匠に「元版で読むのは格別だよ」と言われてのことだ。

後篇はこれからなのでまだストーリーとしては半ばということになるが、ひとまずの感想としては、抜群に面白かった

それこそAさんがおっしゃる通り、ページを繰る手が止まらないほど話に引き込まれてしまったのだ。

なにがいいって、章ごとのフェードアウトがいかにもドラマ的で、次を読まさずにはおかないくらい、続きが気になるように書き納められているのである。
また、場面転換も見事。戯曲的とでも言おうか、セリフと地の分とのバランスも非常に読みやすかった。さすがは文豪の名作である。


同時に、初刊本で読んでいくことの良さも体感することができた。

近代、つまり戦前の文章というのは、現代小説よりもおカタいように感じられることがほとんどだが、どうも僕にとってそうした文は、旧字旧かなで読んだ方がスッと頭に入るらしい。

考えてみれば、作品そのものは旧字旧かなで読まれることを想定して書かれているわけだし、もっというと、この本は「作品のかたち」として著者がかかわった理想形といってもいいかもしれないわけで。

気持ちとかロマンとか、そういう問題なのかもしれないけれども、これまで初版本は「傷むから読まない」ものと決めつけていたから、新鮮な心持ちで読み進めた次第である。



まあそんな巡り合わせがあったので、日々の怠惰な時間を穿つようにして、突貫的に読書時間を確保している。

僕の書くものなんてハナからくだらない記事ばかりだが、今後読んだ本の話を積極的にしていこうと思う。「買った本」の話よりよっぽどマシであることは間違いないだろう。

もっとも、ガクモンとしての文学はどうも不得手なので、内容に踏み込んだ感想というよりも、その作品に関するエッセイに近いものができあがるかと思う。

結句、雑文だが、お付き合いいただけたら幸いである。

いいなと思ったら応援しよう!