東急東横 渋谷大古本市
東急東横が渋谷のランドマーク的存在だったのはいつ頃までのことだったのだろうか。僕は幼少期からずっと東京に暮らしているので、新宿や渋谷へ赴いて百貨店で買い物するなりレストランへ入るなり、そういう休日を過ごした記憶も少なくない。
ただし百貨店(デパート、というよりこちらの方が響きが好い)の重要性ということで言えば、往時よりは決定的に落ちていると言っていいだろう。今は百貨店どころか、自宅に居ながらにして買い物をすることもできるくらいだし、ましてわざわざ三越だの松屋だのに足を運ばなければ買えないようなものもまずないはずだ。
そこにあって東急東横の閉店というのは、かつての活気を知らない僕にとっても、一時代の終わりを感じさせる幕引きではあるけれども、まあ時節を鑑みればやむなし、と思ったりもする。
例年夏に東急東横で開催されていたという「渋谷大古本市」も従って、今回が最終回ということになるそうだ。古書通の内では「デパート展」なんて呼ばれるタイプの古書市だが、一般の人にとって見れば「古本市」といってイメージする代表格がこの「デパート展」だったのではないかと思う。
僕が初めて行った古本市も、新宿の小田急だか京王でのものだったけど、それらも既に無くなってしまったらしい。
たまたま古書市の初日に休みが取れたこともあって、その最後を見届けようという気概で、朝10時の開始時刻ジャストに渋谷へ赴いた。神保町ならば9:30に行くところだが、デパート展は「買えない」ものとタカをくくっているとはいえ、ペーペーのコレクターにしてはナメた態度である。
正直どこの書店が出品しているかも知らず、会場に入っても悠然とした足取りで棚を眺めていった。児童書が並んでいるコーナーなんかは、カラフルでかわいらしいのでついつい見入ってしまう。ここでは景気づけに、ムーミンの漫画を1冊手に取ってみた。
同シリーズの『それいけムーミン』を読んだことがあって、シュールなテイストが好みである。ちゃんと把握していないが、文庫で読めたりするのだろうか。
まあ本来ついているはずの帯もビニルカバーもないのに千円というのは普段なら絶対買わないラインだけど、「東急東横は最後だしね」とおおらかな気持ちでカゴに放り込んだ。
そんな感じで買うアテもなくふらふら棚を見ていくのは楽しいのだが、僕の経験上、そういう気分の時にこそ目を瞠るような収穫が待っているものである。この日も、その例外ではなかった。
近代文学の棚ではないところにしれっと刺さっていた1冊。夏目漱石の『鶉籠』である。
以前も何度か書いたが、僕は漱石の「坊っちゃん」が大好きで、元版や縮刷版、さらには同作のパロディまで広く収集している。この『鶉籠』というのは「坊っちゃん」が最初に収録された単行本=初刊本だ。
この版で買うのは通算4冊目で、重版裸汚本→初版裸美本→初版裸汚本、ときてようやくカバー付に巡り合えたことになる。これだけでもめちゃくちゃ嬉しかったのだけれど、更にテンションの上がることには、付けられた値段がたったの1500円と、今までに買った3冊よりはるかに安かったのだった。(相場で言うと、ゼロがもうひとつ付いても僕は驚かない。
こういう思いがけない出会いがあるから、古本はやめられない。今後は必然的に初版カバー付を探求することになるだろうが、俄然気合が入るというものである。
(買った本をモダンな復刻版紙袋に入れてくれたのも嬉しい)
いい本が買える期待など全くしていなかったのに、最終的には『鶉籠』含む4冊を購入。
買った本それ自体もよかったのだけど、会場にいらしていた先輩と収穫を見せ合ったり、「この蔵書印がなければなぁ」「木版口絵ないのにこの値段はちょっと厳しいですね」などと話したりしながら本を漁るのが、とても楽しく勉強になったことであった。
不要不急の外出は避けるように、とのお達しだが、趣味人の僕(ら)にとっては「コロナがなんぼのもんじゃい」というわけ。
実際、古本を買わずに生きている方が、よほど不健康なのである。
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