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物語の余白にこそ(中井スピカ『ネクタリン』評)

中井スピカ歌集『ネクタリン』は、女性視点からの孤独、痴呆症の進む親との関係、海外への旅などの物語を率直に歌う歌集だった。しかし、歌人の本当の長所は、共感を呼びやすい物語や、その物語の核を形成する歌たちにではなく、その物語の余白に置かれた歌たちにこそ現れる(共感や物語の消費を我々はもっと畏れるべきだ。余白は消費され尽くされることはない)。この角度から眺めると、以下の歌に見られるような、そこにいない誰かを描くときの独特の視点が『ネクタリン』の長所であると言える。

ストロボが強く光ったあとに来るまっさらな闇。誰か泣いてる
 「ジェリーフィッシュ」p12
まだ苺タルトの底が切れなくて誰に認めてほしかったのか
 「今はyuugao」p46
誰の名も覚えていない映画からただ花びらが吹きくるばかり
 「春のポリフォニー」p105

「誰」が含まれる歌を挙げてみた。いずれも胸に刺さる暗さを描く名歌だ。この「そこにいない誰かへの独特」の視点はどこから来るのだろう。次の歌を読みながら、中井スピカのそこにいない誰かを想像することの根底には、今・ここから逃げたいという祈りがあるのではないか、というようなことを考えた。

フォルダへとリスト格納し終わってバスク地方へ明日行きたい
 「闇夜と月夜」p18

最後に、上で触れなかった好きな歌たちを。これらの歌も、そこにいない誰かへの視点が含まれているといえよう。

点描の桜のなかを歩みゆく胸軋ませて待つ人もなく
 「闇夜と月夜」p19
テラスへと運び去られるシードルの黄金眩しき残りの日々よ
 「フラミンゴ」p25
君にかつて愛した人がいたことの海鳴りに耳を澄ませて眠る
 「冬のキャラバン」p157

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