今宵のお供に映画はいかが
「ポップコーン、バター多めで/[Alexandros]川上洋平」
「感想家」という響きにまず心打たれる。映画を心から愛し純粋に楽しむ洋平さんの洋平さんによる洋平さんのための単語だと。
序章の「中にはただ馬鹿にしているとしか思えない人もいるし、見当違いな批評をする人もいる。自分に酔っているとしか思えないような人も(you know who)」という一文は、見当違い甚だしい自己満足を述べている感想マニアには耳が痛くあり、改めて批評家評論家にゃ向いてないしなろうとも思わないと固く誓う(何にだ)
一方で誹謗中傷(当然であるが)しないことと自己陶酔に陥る危険を孕んでいることを自覚しながらこれからも感想を述べていこうとも開き直る。
さて1番どうでもいい個人論はここまで。本の感想という個人論に入る。
帯に「偏愛映画」の言葉、ご本人は好きな分類はあるとお話されども観覧されている映画の幅の広さに改めて驚愕する。
一般的に好みというものは偏りが現れる。映画だけでなく、音楽、活字、漫画、落語、講談、芝居、演劇。多くの娯楽は細分化できる。音楽であればロック、ヒップホップ、ジャズ、クラッシックなど。活字であれば小説、新書、児童文学、絵本、随筆。エッセイ。ルポタージュ、ノンフィクションなど。落語であれば滑稽噺、バレ噺、廓噺、人情物、圓朝作品、新作など。講談であれば文芸物、世話物、侠客、怪談、軍談、義士、新作など。漫画であれば人間ドラマ。歴史物。ヒーローもの。恋愛もの。4コマ。コメディ。エッセイ。映画であればSF、コメディ、恋愛、ドラマ、アクション、ヒーローなどといった塩梅だ。さらにそこから、古典なのか。新作なのか。アジア地域なのか。アフリカ地域なのか。ロシア地域なのか。洋物なのか。洋物でも欧州なのか。米国なのか。誰が噺すのか。誰が語るのか。誰が筆を取ったのか。誰がメガホンを取ったのか。90年代作品なのか。80年代なのか。21世紀の作品なのか。事細かに分化される。それによってより人の趣味嗜好は偏りやすい傾向があることを忘却していたと拝読して痛感した。
映画であればコメディが特に好き。ドラマとサスペンスとホラーが好き。アクションは苦手だけど恋愛は好きといった塩梅であろう。もちろん偏りなく満遍なく見る方もいらしてその1人が洋平さんなのではないであろうか。心から映画を愛して愉しまれている一方で没入することはなく距離を保ちながら愉しまれている。
それが今日までの長い間、映画を鑑賞されている理由の1つでもあろう。そしてもうひとつの理由を考察してみた。
映画役者を「我々観客への伝道師」と洋平さんは仰るように、バンドマンとそのフロントマンというのは種類は違えど我々市井からしてみれば「伝道師」ではないだろうか。
バンドマン(大衆的な目線を集めやすい表現者の1つ)でフロントマン(よりステージを意識する立場であり観衆の耳と視線を特に引き寄せる立場)であることは映画に関わる人々への共鳴が生まれているのかもしれない。それもまた今日まで映画をこよなく愛し観賞している理由ではないだろうかと(見当違いは承知ですごめんなさい)
時代背景、シナリオ構成、音響、照明、役者の表情、仕草、国勢、時代背景等の観察眼、着眼点は観たことない映画でも「なるほど」と頷いてしまうし「観てみようかな」となる。自らを「感想家」と称する冷静さ、謙虚さ、楽しんでいる雰囲気がより鋭い観察眼、着眼点を光らせる一方、親しみが湧いてくる。
と仰ることも納得で自らをよく観ているなと唸る。
映画館とそこで食べるバター多めのポップコーンへの好きさもまた親近感が湧く理由で「映画館に映画を観に行きたい」となる。
バター多めポップコーンの食べ過ぎでLDL250、ご自宅でホラー観賞時に愛猫様方の鳴き声がすると悲鳴をあげてしまうという人間らしさと愛嬌も洋平さんへの好感度が上がる理由であろう。
映画をまた好きになる方。元々好きな方。これから好きになる方。お久しぶりな方。映画関連に勤める方。様々な方への映画案内本に出会えた。