その利他性から思いを巡らせた アインシュタインゆずるさん
つい数か月前にも その人が養護財団に寄付をした事を知り
頭に浮かんだのは
周知となっている生い立ちとの関係性。
こんな形から取り上げるのは
やっぱりなんとなくの申し訳なさも抱えつつ
よく、恵まれなかった家庭環境が影響するとされがちな社会問題とは
全くかけ離れた道を行く彼から
お手本のような その方向に進める手がかりが見つけられればと思い
よく考えてみました。
しばしば自身から語られる その生い立ちを知ったのは
こちら『白黒アンジャッシュ』内での話。
この引用では、児島さんの名前だけになっているので気付かれるかもしれませんが、ちょうど かの案件が起きた事から番組を知り
ゆずるさんの "苦労話" も知る流れとなりました。
渡部さんには申し訳ないとは思うのものの
そこにフォーカスするのではなく
今回とは別の社会問題に絡む形で
いずれ触れるつもりなので
こういった記述になりました。
また、呼び方に関しても
名前というのは失礼な気がしてしまうけれど
「ゆず兄」と呼ばれ、慕われてもいるようなので
このまま続けさせていただこうと思います。
シングルマザーとなった母親との関係性から追ってみると
つい先頃も
「中学の時にバイトの初任給3万円を渡したら
それを握って『パチンコ行ってくるわ!』」と 語り
一緒に外食する様子をインスタに上げていたり
「今は野球観戦に行く事もある」そう話したり
ことのほか良好な感じに落ち着いているのは
なぜだろうと、まず思うのです。
「箸の持ち方や挨拶など、マナーや礼儀は非常に厳しく言われ」
一方で「英語は話せるようになったほうがいいと、英語の塾だけは通わせてくれた」と言い、その後 塾講師のバイトにも活かしていて
"プレバト!"では、四度 「才能アリ1位」の評価を得て 特待生に昇格し
書き文字も立派と
彼は基本的に頭の使い方が優れ、更に努力もできる人なんでしょう。
お手伝いから始まった料理は、かなりの部分を任されるようになり
料理関連のバイト経験もあるため
今は 土鍋でご飯を炊くほど、しっかり自炊もすれば
後輩の面倒見も良く
冒頭で触れた通り 慈善活動も続けている。
「恵まれなかった」とされるであろう部分を かいつまんでみれば
「進学を望む高校生の弟がいて、更年期障害の母親がいて」と語る状況により、望んでいたNSCを諦め
そこからの辛さを考えたくない事もあり「5件掛け持ちで一日18時間ぐらい働く事を数年続け 過労で倒れた」という、そこだけ切り取っても実に過酷で
その後再度NSCへと軌道を戻し、バイトを辞め
芸人一本で生活するようになったのは33歳くらいだそうです。
しかし
また、一般的ではないような行動をされたり、ぶっきらぼうな印象の言動を受けても、「母親がずっと頑張って働いてくれてたのを見てましたからね」と語るように、感謝する思いがあり
芸人仲間や先輩から面倒を見てもらった事なども含めた、望ましい重なりによって努力もでき、耐え抜けたと考えれば
彼は恵まれた方だったとの見方もできるでしょう。
芸人で生活できるようになった今は
先輩からしてもらったように後輩へ受け継ぎ
バイト先の先輩に、自身の使命を問われた事から寄付を始め
「自分がやるべきことは
かつての僕のように厳しい環境で育ちながらも
頑張っている子どもたちをサポートする事」
「死んだ後も寄付が続くような仕組みを作れたらいい」
と話す彼には
本当に頭が下がるばかりです。
自身の勧める映画ベスト3の一つに挙げている「八日目の蝉」。
数多の人が様々に想いを抱くこの話を
私は家の購読紙で
震える想いに埋もれながら追っていました。
早めに読めた時は、遠くに夕焼けを重ね
あくる日を心待ちにしていたのは
基本、フィクションには関心が向かない自分でさえ
実話をもとにした交錯するような臨場感に
心がざわめいただけではない気もします。
そしてゆずるさんはと言えば
相通じる何かを感じたのかもしれないと
やはり 思ってしまうのです。
一般的には経済的な困窮や、社会に於いて不利な立場にある事を
「恵まれない」と称するのでしょう。
それは ゆずるさんのような例もあれば、
残念ながら今回は議席を得られなかった古井康介さん
当選した中谷一馬氏も
そう世間にカテゴライズされているところから
その問題解決も図ろうと、日々努めています。
だから 結ばれがちな因果関係を見るにつけ
その言葉が真に示すものは何かと考えれば
どの年代であれ、自分が置かれている状況への不公平感や
不条理さもそれに通じるだろうし
そしてそれが堰を超えれば、問題を生み出してしまったり
自身を消し去る事もある。
保身の政治が変われば、経済的な事は光明が見えてくるかもしれないし
そこが安定すれば、少しは世の中も善き方に向かうのかもしれません。
そこでまた少し逸れつつ、どうしても書き留めておきたいのは
光浦さん・大久保さん・あさこさんが、つい先日語らっていた
"ボクらの時代” のこの部分から。
タクシーの運転手さんがハンドルにかける手の位置に話が及んで
安全性を考えたあさこさんが「絶対ない」と言い
「自分の物差しが絶対だと思ってるからイラつくんだよ」
と大久保さんが諭し
光浦さんが「そうよ、人それぞれのやり方があるんだから」と言い添え
あさこさんが「ホントだ」と 真に応えていて
世の揉め事って大体そうだし
運転手さんは身体に何か支障があっての事かもしれないし
また、なんて端的で素敵な呼応だろうと思い
3人のしなやかで強い結び付きが感じられ
とても幸せな気持ちにさせてもらえました。
でも、肝心なのは
彼女達や私はそう思える状況にいて
戦禍に在ったり、耐え難い理不尽な目にあっていれば
そんな考えはあっけなく消し飛んでしまいそうだけど
それさえ乗り越え 愛を謳い、願う声も
世界には少なからず残されているという事。
世の中で「戦う」という言葉を無意識に使うのを止めるべきだと
私はまず思うのです。
ロシアによる軍事侵攻後に、別の意味を帯びていく言葉があったり
COVID19の反応で「positive」が陽性であることから、英語圏でのイメージが微妙に変わったと言われ、とりわけ子供に顕著であるように
言葉と感覚の結び付きは強い。
なのに「戦」という言葉をメディアは使いまくり
植え付けられた側も一切の違和感を失い
戦いがもたらす惨状のイメージは、限りなく遠のいてしまったはずです。
選挙も本来「選び」「選ばれる」事のはずが、
勝ったとか負けたとか、常に選ばれる側を主語として語られてきました。
そこから「選ばれた」はずの人が、「勝った自分が動かす」と根本的な事から履き違え、どんどん逸れていく構図が浮かび
特定の顔まで浮かんでくるのは 私だけではないでしょう。
そんな事を言うと、現実はそんな甘いもんじゃないと必ず横槍が入る。
でもその考え方を続けられるのかという状況になってきました。
子供は誰しも善に寄っているように
善き志を抱き、政治の道に進む人の多くも
いつしか悪しき方に流されていくのをリアルに見ている傍らで
「この平和な日本云々」という人もいる。
「合意形成」の言葉はおぼろげに響く。
― 絵空事かもしれないけど ―
少しだけ聞き取れた太田さんの言葉が
今もリフレインする。
みんな なにかを良くしたいはずなのに
「日本は銃声が聞こえないからよく眠れる」
十数年前に聞いた
どの国の人が言ったのかさえわからない、この言葉が
今も私を突き動かしています。
ずるずるとこんな世界にしたのには自分も関わっていて
そうではないと言い切れる人は、ほぼいない。
ならば、どうするか。
大局を見る
俯瞰する
まずはそこからだと思っています。
本来なら、まずは描いた事に対し あまりに似なかった事を
詫びるべきかもしれません。河合ゆずるさん、ごめんなさい。
髪ももうセンター分けじゃないみたいですし。
言い訳になってしまいますが
目いっぱい頑張ってはみたものの
前記事を書くのと並行し
こちらもあれこれ修正していて
前記事のアップ後 寝込んでしまい
ここしばらくは選挙のあれこれも重なり
胃も頭も痛くて吐き気もあったりの情けない心身を
何とか保たせていました。
それにしても、これほど利他的な生き方をしているのに 肺に大きな穴が開いて緊急入院する事になっていたなんて、見合わない気はするけど
かつて無理をしていた余波のようにも思うし
もしかして何かもっと大きな何かを回避できたのかもしれませんしね。
「口に入れるものがすべてだと思っているので、ジャンクフードは食べないです」そう言って、食の管理も無理がないように工夫しているとの事もあり、これ以降はさほど大きな支障には見舞われないように思うので
他の無茶な食生活を送っている芸人さん達に、少しでも響く事があればいいな、となかば願ってもいます。
あれが良い、とかじゃなくて
すべからくバランス。
地球上のものも全て。
来月には44歳の誕生日を迎えるゆずるさん。
今後益々のご活躍をお祈りし
陰ながら応援していければと思っています。
そしてどうぞ
ご自身も大切にお過ごし下さい。
参考記事のライター名に、今回はちょっと驚きました。
確認すると
ゆずるさんに近い境遇だったはずの その人で
どうしてnoteからアメブロに移ったのかはわからないけど、彼の話には
感じるものがあったのではと思ったりもしました。
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