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世界を真っ二つにしちゃう私たち。


昔、あるヨガの先生が言っていたコトバを、
ふと、思い出すコトがあります。

木になってる葉っぱが、
こんな事思ってたらオモロくなぃ?……

…オレ、隣りのアイツより上に生えてるから、
   オレの方が偉いゎ!(ドヤ顔)

   ホントに言ってたら、
   オモシロぃけど、言ってないょねw

   人は、上下とかすぐ付けたがるょね。
   色んなモノをすぐ判断するょね。…

そのコトバを聞いて、
( ゚д゚)ハッ! 確かに!って思いました。

今日は、
自分のアタマの中で勝手に起きるシリーズその2。
マインドフルネスの定義の中にも出てくる。

「判断・ジャッジせず、ただ。観ること」

について書いてみようと思います。

人って、
なんにでも、判断・ジャッジをつけます。
この作業は無意識下でも行われてる、とも言われます。

判断・ジャッジとは…

好き、嫌い。
正解、不正解。
合う、合わない。
ある、ない。
上、下。
良い、悪い。
私、私以外。
とかとか…あげだしたらキリがないですがw

言い換えるなら、アタマの中で
世界を真っ二つに分けてしまう。

そして、この判断・ジャッジは時として、
自分で自分の首を締める要因になる。
悩みや不安や、ストレスの要因となる

最初の葉っぱの話しのように、
比べる。という事も、
判断・ジャッジが根底にあるんじゃないか?
って思います。
以前に比べてとか、誰々と比べて…とか。
自分で自分の首を締めるきっかけですょね。

マインドフルネスは、この判断・ジャッジなく、
起きたことをそのまま観ろ。
と言っています。

いゃ、言ってることは分かる。

でも、オートマチックにやってるんでしょ?
だったら止めようがないじゃん。

ですょね。止めようがないんです!
そこは、白旗上げちゃいましょうw
だって.無意識下でも起きてるなら
どーしよーもできんもん…(   ˙-˙   )

じゃぁどうすれば?
まさか……!
そうです。前回同様、

判断が起きてることに気づいたら、
判断してる自分がいるのね。
と気づく。だけ。

ってことをします。

_(┐「ε:)_ズコー
ってなった方もいるかもしれませんがw

コレが、判断・ジャッジせずそのまま観る。
という事。

つまり、
気づいたら終わり。なんです。

私の体験談でなんですが…

マインドフルネスを学び始めた頃、
この気づいたら終わりは、
結構引っかかったポイントでした。


え?気づたら終わり??……って、なに??
イヤな感覚を感じて対処、対応せずに、
終わり???

それって、
なんの「解決」にもなってないじゃなぃかーーーー!

って、腹立たしく感じたほどでしたww
とにかく最初は気持ち悪かった。(徐々に慣れていきましたw)

でも、
マインドフルネスにおいて、解決する。
ってコトは、重要じゃなかった!

起きたことに善し悪しつけずに、
あーそれが、そう起きてるんだ。とただ観る。

起きた事柄に、良い・悪いなんて、
そもそも存在しない。

それに対して、良い・悪いの判断をしてるのは、

自分。


なわけです。

その判断・ジャッジも考えの1種。
自分が持ってる「考え」を通して、
起きてるコトを見てます。

常に、そんな「考え」を通して、 
人や物事、自分を見てるから、
そのものをまんま観れるわけもない。
「ありのまま」ではなく、自分で色んなものを、
いーーっぱい!くっつけた状態で見ている。

大きく言ったら……

マインドフルネスもヨガも瞑想も、
この「考え」を少しでも薄くするためにやってる。

って言ってもいいのかもしれない。

そのための「感じる
なわけです(しつこい!ww)

まぁ、にしても
だだ観る。ただやる。
って、難しんだなぁ。

て、今でも思うけどw

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