シューマン:ノヴェレッテン Op.21-1 (励ます)
シューマンのノヴェレッテンは、大林宣彦監督の映画「ふたり」(原作:赤川次郎)で知った。事故で姉を亡くした実加が、姉の幽霊に励まされながらピアノの発表会で弾く。
この曲は冒頭から力強く弾み、前へ、前へ、突き進む。胸を張って、明るい陽射しの中を勇ましく、薫る風を胸いっぱいに吸い込んで、前へ、前へ。クララの父に長いこと結婚を反対されていたシューマン、それでも愛するクララと共にあれば、何も恐れるものはない、どんな困難もいとわない。そんな20代後半のシューマンのノヴェレッテンは、純粋で、少し無防備すぎるようにも思えて心配になるくらいだが、澄んだ明るさが気持ちいい。
映画「ふたり」では、発表会で緊張のあまり鍵盤もよく見えない実加に、幽霊の姉、千津子が「落ち着いて、深呼吸して」と声をかける。千津子の一言で、徐々に自分を取り戻し、終盤には堂々とピアノに向かう実加の姿は、この曲の力強さと相まって、凛々しくすがすがしい。
励ましとは、何かの拍子に見えなくなってしまったものを、ここにあるよと、気づかせてあげるようなものと言ってもいいだろうか。雲に隠れた月はどこかに消えてしまったわけではなくて、また出てくるから一緒に待とうと、確信をもって静かにとなりにいてくれるようなもの。
人が人のためにできることは、核心に近づけば近づくほど、ほぼ皆無だが、励ましは、慎重に距離をとった間接的な作用であればあるほど、相手に届くのが不思議だ。
マラソン大会で弱音をはく実加を、亡霊の千津子がとなりを走りながら「私のようにって?あなたは、今あなたの足で走っているのよ」と励ます。「いっちょ、やってみよう」と千津子に鼓舞され、やる気スイッチが入った実加は、猛然と遅れをとり戻し、千津子と一緒にゴールを切る。
その後もトラブル続きの実加に、「悪いわね、代わってあげられなくて」と柔らかに微笑む千津子。そもそも、誰かが誰かに代わることはできないが、千津子が幽霊なだけに、妙にわかりやすくて可笑しいシーンだ。
励ます生き方として思い出すのは、映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」だ。ピアニストとして第一線で活躍していたシーモア・バーンスタイン、50歳で演奏活動に終止符を打ち、以後“教えること”に人生を捧げる。89歳のシーモアに出会い、彼の人柄とピアノに魅了されたイーサン・ホークのドキュメンタリー監督作品は、何度見ても、泣けて、泣けて困る。なぜこんなに泣けるのかよくわからない。悲しみの音色はいずれ、美しいハーモニーになると励まされることは、こんなに泣けてしまうものなのか。
シーモア先生の言葉
「私が教師としてあげられることは、生徒を鼓舞し、生きる力を与えることです。」
これは「教師」を「人」としてと、置きかえられると思うのだ。
映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」
https://www.uplink.co.jp/seymour/
ロベルト・シューマンとクララ・シューマン