何でもかんでも我慢しない
「実家の母がふさぎ込んでいる」「恋人が寂しがっている」、最近このような会話をけっこうな頻度で聞くようになった。
私の中では、さもありなんと思っていたが、それを聞いたその時の周りの反応は「このご時世なんだから我慢して当然」「自粛最優先でしょ、何いってんの」という雰囲気だったので少しびっくりしてしまった。
…人に会う、外食をする、遠出する。
いま制限されていることの多くは、一人暮らしをしていたり、家庭内での居心地が悪かったり、退職などにより社会とのつながりが減っている人にとっては、きっと周りが思う以上にじわじわと心を削られているのではないだろうか。
でもその状況は、その状況下に置かれている人にしか分からないものなのかもしれない。
家族がいれば、家に帰ったあと、マスクを外して会話をしながら食事をするだろう。最近の出来事、ちょっとした愚痴、楽しかったことを共有できる。一緒に趣味の時間を楽しむこともあるかもしれない。
これまでは仕事終わりや週末に、気を許している人と、ご飯を食べに行ったり飲みに行ったりすることを当たり前のようにしていて、そこでたくさんしゃべって、たくさん笑っていた。今はそれらが思うようにできない。
習い事やイベント事など、人が多く集まるようなものは中止や、規模が縮小されることが増えた。生きがいだったことを我慢している人もたくさんいると思う。
また、仕事があれば、家から職場までの移動で外の空気を吸うことができる。帰りにちょっと寄り道をすることもある。それが気分転換になったりもする。
でも、もし退職をして日中家にいることが多いなら、「不要不急の外出は控えて」といわれると、真面目な人ほど「自粛しなくちゃ!」「家にいなくちゃ!」という思いが強くて、趣味や、ちょっと気になっていること、やりたいことなどをたくさん我慢しているのではないだろうか。
外との接触が少なければ少ないほど、外の様子と隔絶されていき、考え方が偏るので、感染が怖くて何もできない、したくないという状況になる人もいる。(退職をした私の母は、散歩すら行かないと言っている。体力が落ちるのでとても心配なのだが。。。)
そうなってくると不要不急とはなにか、ということをものすごく考える。
今年の自殺者数が急増しているニュースも耳にする。今この瞬間にも、我慢をしている人もいれば、未来に不安を感じている人もたくさんいる。
不安や我慢によって心に影響を受けている人が、思っている以上に自分のまわりにいるかもしれないし、深刻な状況になっているかもしれない。
そんなことを思っていた矢先、仕事で仲良くさせてもらっている人が「少し前まで、ご飯をおいしく感じられなかったんだ」と、ふとこぼしてくれた。
人に会えないし、外食も行きにくい。なんとなく閉塞感のあるまま家で一人でご飯を食べると、だんだん辛くなっている自分がいた、と。
でも、元気がない様子に気がついてくれた職場の人がいて、仕事のあとにコンビニで一緒にお弁当を買って、一緒に食べたら、それだけでとても心が穏やかになったし、とてもおいしいと感じたんだ、という話をしてくれた。
その話を聞いて、「あ、私もストレスが溜まっていたかもしれない」と思い当たった。実は少し前まで、私は本が読めなくなっていた。本が好きで、時間があれば本を読んでいたのに、こんなに家にいる時間が増えたのに、ページをめくってもなんにも入ってこなかった。
あれは、今思えばストレスだったのでは?と思う。好きなことが上の空になるとか、楽しめなくなるとか、それは心に何らかの異変があったのではないだろうか。
心のゆとりがなければ、物語を楽しむことも、イメージをふくらませることもできないのだ。
心への負担は、遠い世界の話ではなく、すぐ身近でも、自分自身にもおこっていた話だった。
「孤独だ。」「寂しい。」「最近なにか変だ。」そうはっきりと感じることができれば、まだそれを誰かに伝えることができる。
けれども、なんとなく「ご飯がおいしくなかった」と言った知人や、私のように「なぜか好きだったことが頭に入ってこない」と自分の異変を自覚していない場合もある。
ストレスは、「大丈夫!」と思っていても、知らずしらずのうちに溜まっているもの。
この状況下で寂しいと思うことは、おかしなことではない。自分で気がついたら、SOSを出して良いものだ。そして、定期的に我が身を振り返ってあげなくては、異変に気がつけない。
最低限の感染症対策は必要。でも、心を病んでまで何でもかんでも我慢するものではないと思う。自分の心の状況と周囲の状況を考えて、自分で選んで良いと思う。
短時間の食事でも、散歩でもいい。気分転換にほんのちょっと遠くまで行くのもいい。心を守ることは必要なこと。
この状況下でもできそうなことを見つけて、ほんの少しでも、心を解き放つことができますように。心のモヤモヤを誰かに打ち明けることができますように。それは、きっと悪いことではないのだから。