哲楽的立場から捉える形而上と形而下
>形而上形而下という分類概念もないと思います。第一ヘブライ語には、統一体としてのコスモスに当たる単語も存在しません。仕方なく「天と地」で代用したりします。
この天と地がもたらす上下イメージが、形而上/形而下にも影響を与えているんじゃないかな。
自然一般、生物一般は形而下存在として捉えられます。想像や妄想は形而上です。この区別をすることで考察しやすくなる利点を持ちます。
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例えば芸術表現には、現実とは全く接点をもたない妄想力を十全に発揮する必要があります、ひらめき(ユリイカ!)などもこの一種でしょうね。
想像力は、現実と何らかの関わりのある思考を指し、現実に対してさまざまなレベルでの表現に繋げられるようにします。
形而下存在として落とし込めれば、その想像は「創造」に至ります。
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以上は俺的な言い回しの区分(哲楽用語)ですけどね。特に妄想と想像に明確な違いをもたせています。
想像:現実となんらかの繋がりをもつ思考
妄想:何の限定条件も持たない思考
考察:論理性を持つ
思考:論理性の有る無しを問わない
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言語は形而上そのものと言って良いぐらい、大きな源泉だろうね。
身体表現によるコミュニケーション形成も形而上の表れだろう。
言語表現は言語論理の発達を促しているのが大きい。
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