不便が便利になって、面倒を生み出す
世の中、どんどん便利になっていく。不便だなぁ、何とかならないかなぁと思うことがヒントになって改良されたり、画期的なものが登場すると人々の暮らしは豊かになる。しかしその一方で新たな問題が発生して、それが結構厄介だったりする。
便利の代表、コンビニ。街の至る所にあり、身近な所で何でも用をたすことができるようになった。最近は用もないのにフラリと立ち寄り、何か買ってしまう悪習慣がついている人もいる。
ネットショッピングも同じく、ポチッとするだけですぐに商品が手に入るけれど、買い過ぎたり時にカードを悪用されたり、注意が必要だ。
食の場面でも問題がある。多くの外食産業やグルメ系の情報番組等はインパクト重視で、様々配慮が欠けるものばかりだ。「美味しい、体にいい、映える」など宣伝が誇大で、一気に取り上げられてブームになり、そして飽きられ廃棄となる。
種がない果物も増えた。種があるのは子孫を残すのに当たり前のことなのに、種があると嫌われる。そのため種がないもの、皮ごと食べられるものなど煩わしさを軽減した、甘味の強い品種が人気となった。種があると「種があって食べづらいからいらない」という子供もいる。魚の骨についても同様だ。種を取ってあげないと(子供が)食べない、というのも聞いたことがある。果物に関しては価格が高いから食べない、食べる機会がない、という家庭もあり、給食で果物を提供するととても喜ばれた。しかし、種があると教員からも「今日のは食べ辛かった。」と言われることもあった(種ありの特別栽培商品を提供していた。だって植物の自然の姿でしょ)。
研究を重ねて素晴らしいものがこの世に誕生した理由は「私たちの生活をより良いものにするため」そのものである。しかし作り出す過程でその後に及ぶ問題点などを考慮すること、消費する側も意識を高くもって購入するべきではないだろうか。
便利の裏側で面倒なことになっている。
色々なことが。
便利の裏側で大切なものが失われているのも確かである。