日常に見つけるアート「寒い朝の光」
【どうってことない風景が好き】
ぼくは、散歩が好きである、と同時に、何気ない風景が好きで、
よくインスピレーションに任せて写真を撮る。
えらそうに書いているが、実はスマホですます(笑)。
どうってことない風景、というのもぼくのテーマの一つで、
路地や街並みを、散り切った桜の花びらが覆った掘割を、
広角で撮影するのが好きだ。
そこにあるのは景色という空気であり、具象だけでは感じ得ない情緒だ。
特別有名な観光地や記念碑的な記録というのではなく、
風景全体がもつ表情やそこから受ける印象を撮りたい。
エモーションの記憶を呼び覚ます記録と位置付けられるだろうか。
だから、いつもちょっと引き気味で写真を撮ることが多くなる。
自分の部屋の障子に映った反射光
しかしまた、ぼくは生活の日常で出会う美の瞬間にも敏感だったりする。
こっちは、どうってことない日常の中の風景の切り取りだ。
たとえば、自分の部屋の西向きの障子に映る光と影の微妙な変化に
美を見つけることもある。
朝の日光がどうして西向きの窓に映るのか、
との疑問がわくかもしれないが、
これはつまりこういうことだ。
東から登った太陽の光が、ぼくの部屋の上の屋根をとおり越し、
それまで影になっていた西隣の家の窓を照らしはじめる。
そして、そこで反射した朝日は、角度を変えながら
ぼくの部屋の西側の障子のスクリーンに到達し、
それらの四角い窓の像が移動するようすを映し始めるのだ。
朝日が作り出す光は偶然にぼくの部屋の障子に集まり、
重なる光の合成によって
とてもいいバランスで表現される。
この日のこの時刻でしか味わえない瞬間のアートなのだ。
こういう出会いを発見したときは、幸運に恵まれた満足感にひたる。
ああ、生きていてよかったと。
美は日常にある
エッセイを書いたり、小説の企画を練ったり、というライターの頭の中は、常にどこかオープン状態であるほうがよさそうに思う。
だから、毎日仕事や家事に追われていても、心のどこかに美や感動のための空間をつくっておきたい。
たとえ他人が見てつまらないと感じるかもしれない写真だったとしても、
気にすることはない。
むしろ何気ない、どうってことない風景を切り取って残すことのほうが
重要なのだとぼくは思っている。
そして、そこで得た感動が、自分らしいエッセイとして残っていくのだ。
「noteで何を書くか」について悩んだら、
日常の中で見つける題材を味わうことを思い出したい。
表現者として大事なことは、何を見たか、ではなく、
そこで何を感じたか、であり、
それをどう表現するかにあるのだから。
2023.11.2
2023.11.3修正
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