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『邪魚隊』感想:邪魚隊、10年先まで連載してくれ

結論:邪魚隊、映画も舞台も最高すぎる。頼むから続編やってくれ10年先まで連載してくれ~~~!!!

注意
・「邪魚隊」映画&舞台のネタバレ
・舞台版の話が中心
・感想と妄言
・佐藤流司氏のオタクが書いている
・長い


テコナ様、最高

本当に最高。悪役としてこれ以上ないほどカッコイイ。
そうそう!!そういう悪役女王様が見たかったんだよ!!!の理想のど真ん中を言ってくれる絶対君主女王様ッ!!!!!!!

テコナ様をたたえる歌の「絶対女王テコナ」の歌詞が良すぎるんだよ~~!!
『高貴な巫女(シャーマン)』
『崇めよ讃えよ絶対女王!』
『未来永劫 絶対女王!』
最高すぎる。許されるならペンライト振って私も「絶対女王!テコナ様!」と叫びたい。
そんなテコナ様のことを考えていきます。

テコナ様は絶対女王を『目指す』からカッコイイのだ

持ち歌「絶対女王テコナ」でここまで持ち上げて「絶対君主、完全無欠の女王」として君臨しているように見えるテコナ様だけど、話が進んでいくと彼女には『過去に一度』常世神と一体化して村を焼いた、という功績があるのみと分かる。

テコナとアゲハの過去回想から、アゲハが「粉払いになりたくない」という理由でテコナの目を刺した→それに怒った先代の王(おそらくアゲハとテコナの父親)が「アゲハが粉払いとして生きるように」と言ったためアゲハが粉払いになったと分かる。
これについてテコナは「私が粉払いになっても良かった、なるつもりだった」と語っているので、テコナとアゲハどちらにも粉払いになる素質のようなものはあったのだろう。しかし舞台時系列現在、テコナには粉払いの能力は無いように見える。

後半、捕まえたタデハについてテコナは「常世神を鎮めるための生贄になってもらう」と言っている。
舞台冒頭のシーンでテコナが男を殺しているが、台本には「生贄の男」と書かれているため、このシーンもおそらく常世神を鎮めるために生贄をささげている場面なのだろう。
つまりテコナには、生贄なしで(≒自らを生贄にして)常世神を鎮めるアゲハのような「粉払い」の能力はないわけだ。元々はその素養があったっぽいから、粉払いはその代の王族で1人しかなれない、あるいは1人だけを粉払いにするために小さいうちから修行のようなことをさせる、みたいな決まりがあるのだろう。

色々書いたが、つまり舞台現在のテコナには『絶対女王』と称えられるような能力はほぼない。
天道珠があれば過去のように常世神を操って鎮めるも暴れさせるもできるのだろうが、天道珠の説明のあとにレジスタンスのタデハたちが「自分たちで天道珠を使ってテコナを倒す」と言っているように、天道珠を使って常世神を操る能力はテコナだけが持つものではない。
もしかしたら生贄を使って常世神を鎮める儀式はテコナにしかできないのかもしれないが、それも言ってしまえば粉払いの下位互換のような能力だ。

つまり、あの『絶対女王』としてあがめられるテコナ様は、天から授かった能力ではなく。
あのカリスマ性と美貌と、策略と謀略で、自らを『絶対女王』として作り上げているのだ。

そこがッ!!!!テコナ様の!!!最高にカッコイイところ!!!!!

王族としての「粉払い」という特殊能力はいわば弟に取られ、おそらく両親もすでにおらず、愛した弟も島を出て行った。頼みの綱の天道珠も幕府に取られてしまった。
そんなあまりにも孤独でなにも寄る辺のない状況を、一切感じさせないあの強さ。誰よりも自らを「女王」だと信じ、強くあろうとする姿。
なんてカッコイイんだ……

テコナ様は最後、鱗蔵に負けて散ることにはなるが、最後の最期まで、この「本当はなんの能力もないひとりの女の子」だったという弱さを一切見せずに、倒すべき凶悪な悪役として君臨し、散っていく。

鱗蔵に斬られたテコナの最期のセリフは、哀しみでも苦しみでもなく
「おのれ…」
だ。
なんていうカッコ良さだ。カッコ良すぎる。

テコナと鱗蔵は「似た者同士」かもしれない

そしてこの、自らを『何者だ』と信じて踏ん張る姿は、主人公である鱗蔵と重なる。
終盤、テコナとの最終決戦のために「虫」を飲み込み飲まれそうになった瞬間、鱗蔵は自分で
「俺は邪魚隊の鱗蔵様だ!」
と言い放ち、変身(あれは変身ですよね???)する。

もちろん鱗蔵には天才スリ師として天賦の才があるんだろうが、ことさらにそのことを言い放ち「俺は邪魚隊の鱗蔵様だ!」と叫ぶ姿は、自分を『絶対女王』だと歌うテコナと似たものがある。

そんな似た者同士のラストバトルだからこそ、あのシーンはあんっっっなにカッコイイ。

元々「赤と黒」を基調とした衣装に、常世神と一体化することで白い羽(?)が生えたテコナと、元々「赤と白」を基調とした衣装に、虫を飲み込むことで黒い羽(?)が生えた鱗蔵。
最後のシーンはそれぞれを構成するカラーも同じになり、似た者同士の、鱗蔵の歌の歌詞にもある通り「五分の力」の勝負になる。

もしかしたらアゲハ、いやスルメは、鱗蔵の中にかつての姉に似たものを見て、あんなに慕ってついていっているのかもしれないなぁと思う。
アゲハは姉の目を刺し島を抜け出したし、姉に対し「俺もあなたもいてはいけない存在」というが、姉のすべてが心の底から嫌いというわけではないのだろう。
テコナと心中しようとしているのに、使うのは得意の飛び道具ではなく小刀だし、それすらも刺せずに躊躇している。きっと、あの優しく恐ろしい姉のことが、アゲハは嫌いではなかった。
そんな姉から逃げるように島を飛び出し江戸に流れ着いたアゲハにとって、鱗蔵は少し姉と似た気配のする、だけど姉に比べるとずいぶん行き当たりばったりでテキトーで愉快であったかい男だったんだろうなぁと思う。

テコナはアゲハのことを愛していたのか

客観的に見ると、王族の特権である「粉払い」の能力(=それを使って島の住人を救うことで、住人から崇められる特権)を持たないテコナにとって、粉払いであるアゲハは必要不可欠なように見える。鱗蔵はもちろん、ヒイロなど長くテコナに付き従っている者にとっても、おおむねそんな認識に思える。

しかしテコナは「私が欲しいのは粉払いではない、アゲハだ」と言う。天道珠があったとしてもアゲハが欲しいという。
そして鱗蔵との会話で、アゲハに執着する理由を自分から
「愛ゆえに」
と語る。
愛するアゲハのためには自分が粉払いになっても良かった、とも言う。

これ、嘘ではないんだろうなぁと思う。

と同時に、アゲハがテコナに言う「支配欲の権化」という言葉も本当だ。
長福丸の居場所を探すときに鱗蔵が「ああいうやつは、大事なもんはてめえの目の届く範囲に置いとかないと気が済まねぇ」と言ったのは、相手が長福丸にしろアゲハにしろ大当たりだった。

弟であるアゲハを、自分の犠牲にして苦しみから救ってもいいと思うほど愛している。それと同時に、どうしても自分のものにして手元に置いておきたいし、自分のものにならないならいっそ殺して食ってしまいたい。

こう解釈すると、テコナのアゲハへの愛情は(姉弟愛としてはちょっと重すぎる気もするが)別になんら変わった特殊なものではなく、良くある、良く分かる愛し方だよなぁと思う。

テコナが「アゲハがいれば天道珠はいらない」と言わないことから、おそらく天道珠が手元にある場合、アゲハに粉払いの仕事をさせるつもりはなかったんだろう。実際、アゲハが自分の意思で常世神を鎮めたときは「我らが危機を救うとはなんと姉思いの弟だろう」とほめるものの、その後アゲハに粉払いの仕事をさせるようなそぶりはない。

もしかしたらテコナが長福丸を誘拐するという捕まったら国家反逆罪で打ち首になりかねないような危険をおかしてまで天道珠に執着したのは、アゲハにもう二度と粉払いとしての仕事をさせないためだったのかもしれないなぁと思う。
粉払いとしての能力が欲しいのであれば、長福丸をさらって天道珠を要求するより、アゲハを探してさらってくるほうが楽だしリスクも少ないように思える。

最終、テコナは自分のものにならないアゲハに「逆らうことなど許さん」といい「お前を殺してお前の肉を食らおう、そうすれば我が命が絶えるまでひとつだ」と言って殺そうとするというゆがんだ行為にはなるが、確かにテコナはアゲハを愛していたんだと、思う。

しかし、この物語はこのテコナのアゲハへの「愛しているから」という理由での傍若無人を肯定はしない。

「愛している」という関係性でいうと、テコナとアゲハのほかに、多々良と安食、そして平馬と姉のイトが語られる。
愛した姉を失ったことを乗り越えた平馬の歌に背中を押され、多々良は愛する安食の最期の願い「殺してくれ」という願いを叶えた。

この多々良と安食の関係性と、テコナとアゲハの関係性は綺麗に対比されているなぁと思う。
愛する安食に生首になってまで生きていてほしいと願う多々良。
愛するアゲハを自分のものにならないなら殺してしまおうというテコナ。

最後、多々良は悲痛な叫びを上げながらも、愛する安食自身の願いである「殺してくれ」という願いを叶えた。
一方、テコナは最後まで、アゲハ自身が「こうしたい」と思っている願いを叶えようとはしなかった。

物語は、どちらかといえば多々良を肯定し、テコナを否定した。
それは、本当に愛しているなら相手の願いや意思を尊重しようよ、という価値観で書かれた脚本だからなんだろうな~と思い、素敵だな~と思いました。普遍的で大事なことだよなぁと思う。

まあテコナ様もあの血筋と生い立ちだと親や周りに正しく「愛された」ことがなさそうだしアゲハへの愛着がある種子供っぽいああいう形になってしまうのもしょうがないよなぁ~と思うけど、こんな同情、テコナ様に言ったら吐いて捨てられるんだろうなぁと思う。
そこがテコナ様のカッコイイところです。最高!

以下はストーリーに関係ないテコナ様を讃える言葉

テコナ様~!お声がカッコ良すぎ!!!最高!!!
私は佐藤流司氏のオタクであり彼の殺意マシマシ怒気ゴリゴリな歌声が大好きで宇宙一最高だと信じてやまないのだけど、その佐藤流司氏演じる鱗蔵とあの大迫力でラストバトルタイマンを張れる悪役、しかも女性!!!そんな最高の存在がこの世にいて下さるのかと感謝のあまり頭を地面に埋める思いでした。
ラストバトル、佐藤流司氏演じる鱗蔵がメチャメチャかっこいいのはもちろんなんだけど、ああいうのって当然、敵役がカッコイイことで双方のカッコ良さがアガっていくものだと思うので、もう本当に最高。
そして佐藤流司氏のオタクとして見に行っているのにところどころテコナ様に目を奪われてしまう瞬間が確かにあった。本当に、あのラストバトルはテコナと鱗蔵がお互い一歩も譲らぬカッコ良さがあって…最高に好き…

あと首とか細くて華奢で美しいのに、実はめっちゃ背高いことにラストバトルで気付いてビビりました。いや元々のキャリアが宝塚の男役の方ならそらそうかもしれないけど、そのことを知らずに初回観劇行ったので、ラストバトルで鱗蔵と並んだときに「あれっちょっと待て、全然身長変わらんぞ!?」とひっくり返った。
佐藤流司氏が172㎝くらいだから、足元ヒール履いてるとして165とかかしら…と思ってさっき調べたら普通に身長171㎝おありで、いやほぼ背丈同じなんかいッ!最高かよ!!!!ってなりました。じゃあ足元はヒールじゃなかったんですね、おそらく…

殺陣も蝶が舞うように美しいのに確かに「強さ」があって最高だった。
2回目観劇行ったときはストーリー知っているし、初回でもまあ普通に考えてここで鱗蔵が負けることはなかろうと予想はできるものの、テコナ様には負けそうな気配が一切感じられず、毎回毎回あのテコナ様は勝つつもりであのバトルに挑んでらっしゃるんだろうなぁと思うと…最高にカッコ良くて…大好きでした…

多々良、幸せになれ…!

多々良~~~~~~!!!!!幸せに!!!!!なってくれ!!!!!!!!

初回観劇後、Twitterにまず書いた感想はこれでした。

ここからは多々良の話をします。映画の話からします。

映画「邪魚隊」において、絶対的強者、最強の剣士、恐ろしく強くて美しくて妖艶で底の知れない死神。
そんな存在で、佐藤流司氏の主演映画だ!と舞台挨拶上映のチケットを取り意気揚々と映画館に行った私の映画初回時の感想を「玉ちゃんがヤバイ」で埋め尽くした男、多々良。
このへんの界隈で生きているとよく遭遇する玉城裕規氏のお芝居、そのたびに「素敵ですねぇ~」と思ってはいた(特にサクセス荘のムーさんが好きです)が、今回の多々良はちょっと大変なことじゃなかったですか皆さん??玉城裕規さんのファンの方々はあれを見て生き残ることができているんですか???素朴な疑問です。

そんな多々良さん、映画のエンドロールを見ながら「もっと多々良を見せてくれよ!!!」と思っていたらエンドロール後に「アッ!もっと見せてくれるんだね!」とサービスカットを残し舞台に続いたと思ったら、なんと舞台では一変してコメディリリーフなハチャメチャカワイイ存在になっていた…!!!
舞台初回観劇時、爆笑とカワイさとともに結構な驚きでした。あっ多々良そんな感じになるんだ!!!っていうね。

多々良、カワイイ。それこそが真実。

まずは一旦、多々良がかわいいという話をしましょう。させてください。
映画時系列のラストのあと、安食の生首を拾った多々良。そのあとのことを想像すると可愛すぎませんか。
安食さまの生首を布でよいしょと包み、自分に括り付ける多々良。邪魚隊を追いかけるため、おそらく単身、どうにかして船に乗った多々良。おそらく邪魚隊の面々と同じように荒波に飲まれ島に漂流した多々良。映画時系列から舞台時系列までそこそこの期間(数日、という感じではなさそう。少なく見積もっても一か月以上か?)、安食さまの生首を抱えて邪魚隊を探し、うろうろうろうろしていたのかと思うと、あまりにも健気でかわいい。

安食さまの生首に刃を向けられた反応が「キャーーーーッ!!!」なの、さすがにちょっと、かわいいが過ぎる。グッズで販売されてた台本買って読んだんですが、ここのカワイイおびえ方は脚本のト書きとかには指定なかったので、演出最高!となりました。
だってさあ映画であんなにさぁ強くて妖艶で恐ろしかったのにさぁ、舞台になって出てきたら安食さまの生首に刃向けられて「キャーッ!」って。そんなの。そんなのカワイイに決まってるじゃないですか。

邪魚隊一同と遭遇した多々良も最高にコミカルでかわいい。
あそこ、多々良と遭遇した邪魚隊一同が「ヤッベ」と完全に面倒な敵とエンカウントしたときの動きをするところとそれに対し多々良が「はい逃げない~!すんごい探しました~!!」っていうところ大好きなんだけど、このあたりも脚本にはないのでおそらく演出なんだろうな~!と思うと!!最高です!!!
ただ脚本上の多々良が愉快じゃないかと言えばそんなこともなく、普通に安食さまの首を鉄かごに入れてドヤ顔してる時点でめちゃくちゃオモロかわいい。安食さまの生首に振り回されているのもかわいい。

まあそもそも、前作である映画にて悪役として一度負けているので続編である舞台に出てきた多々良が真の悪役になれるわけもなく、映画とのつなぎになるような役割っぽいポジションなんだろうなぁと薄々思ってはいたのですが、まさかこんなにコミカルでカワイイ多々良がたくさん見れるとは思わず、最高!!!の気持ちでした。

多々良と安食さまの相思相愛にもうなんも言えん

映画では、信頼関係は見えるもののお互いをどう思っているのか、過去にどんなことがあったのかは一切深掘りされなかった多々良と安食。
安食のほうは正体が分かるとともに人間性というか性格みたいなものが多少見えるけれど、多々良のほうはマジで「強くて綺麗で妖艶でヤベェ」くらいしか分からなかった。

だからこそ、舞台版での怒涛の掘り下げがすんごい。
散々待たされて想像しまくったメインディッシュがようやっとお出しされた感じ。『多々良の良さ』を味わうためのフルコースかよ。

舞台版で明らかになった最高ポイント①
多々良、安食さまのことそんな大好きなん!?

これはまあ、映画版の特にラストシーンでなんとなくは察してた。
とはいえ、信頼関係っぽく見えるものの実は利害関係で繋がってたとか、実は多々良は安食に恨みがあって…みたいな可能性もなくはなかったので、多々良~!安食さまのことそんなに好きだったんだ!!!!!って安堵と喜びの喝采。

映画ラストシーンでも舞台版冒頭でも安食さまの生首をいとおしそうに抱えるのは多々良の「妖艶」というキャラクター性の表現なのかなと過度な期待をしないように見てたけど、多々良、ほんとうに安食さまのこと生首になっても心底愛おしかったんだなと分かり、最高。

そう、多々良のあの「妖艶さ」って、安食さまにだけ見せるものなんだよな…
舞台版で邪魚隊と対峙したときの多々良は、強さと恐ろしさはあるものの妖艶さはないし、わりとコミカル(全体のバランスみた演出だとしても)。
そこがさぁ良くてさぁ…多々良にとって安食さまってほんとに特別なんだねっていう…安食さまにだけその妖艶な表情を見せるんだねっていう…その感じ、オタクは大好きだよ…

妖艶さとは別方向のカワイさなんだけど、多々良が安食さまに対してだけ一人称が「多々良」って自分の名前になるの、あざと可愛くてズルすぎる。
あのシーンで駄々っ子のように「多々良は、多々良は!」って安食さまにいっぱい話しかけるの、ちょっとさぁ…ねぇ…可愛すぎるんだよなぁ…

舞台版で明らかになった最高ポイント②
安食さまも多々良のことめっちゃ愛してんじゃんッ!!!

わりと序盤で、多々良が安食さまの首に刀を向けられて「キャーッ!」てしたことで、多々良が安食さまのことメチャメチャ大好きなことは分かった。
その状態で舞台を見ていると多々良かわいい~!と思うものの、それに伴ってひとつの不安が押し寄せてくる。

安食さまは…多々良のこと…どう思ってるの…?!
これで安食さまは多々良のこと部下のひとりくらいにしか思ってなかったらまぢ病む……
しかしそんな不安は杞憂でした。

安食さまも多々良のことッ!めっちゃ愛してるッ!!!!
最高ッッ!!!!!

安食さまの最期のセリフ

お願いだ、多々良。私は愛するお前に…殺してほしい

これを聞いたときもう、もう、もうね。心の中でゴマダラと一緒に手を取り合って泣いたよね。

このセリフ、「殺されたい」じゃなくて「殺して欲しい」なのがまた良くて…
別に安食さまは多々良のことを愛してるから多々良に殺されたい、みたいな愛情じゃないわけよな。

自由に動く体を失い、もはや自分ではない『虫』の命に振り回されて首だけがかろうじて生きている。
そんな苦しみは終わらせて楽になりたい。そして、人生の最後に見る景色は愛する多々良がいい。

心底多々良を愛している安食さまにしてみれば、自分の首にとらわれている多々良を開放してやりたい、そんな思いもあったんじゃなかろうか。
多々良がいう「安食さまを失ってから幾日も泣いて過ごした」の期間もたぶん安食さまは生首から多々良のその様子を見ていて、ものすごく辛かっただろう。慰めてやりたいけれど、自分にはもうそんな腕も体もない。
だからせめてと、最後の力を振り絞って「自分を殺してほしい、そして多々良には楽になってほしい」と伝えたかったんじゃないだろうか。

そう思うと……ああ………

安食さまが多々良を傍に置いた理由ってたぶん、『愛』

多々良の口から安食さまとの出会いが少し語られる。
「ただ人斬る獣だった私に、気高き自由を与えてくれた」
つまり、もともと(理由は不明だが)めちゃくちゃ剣の腕が立ったけど特に目的もなく力を持て余していた多々良を安食が拾った、というのが2人の出会いなわけだ。

多々良のキャラクター説明は公式で「安食の用心棒」とされているし、この出会いを見るとそのまま、安食は多々良の剣の腕を買って用心棒として雇うために拾ったように見える。
おそらく多々良も、そう理解している。

しかし映画版での安食の強さ、物理攻撃をすべてはじくガード等を見ると、別に用心棒いなくても平気じゃないこの人?と思う。
音楽を聴くと虫が暴れてしまうという弱点はあれど、ほぼ無敵と言っていいだろう。

これは本当に個人的解釈だが、安食さまが多々良を拾った理由って用心棒としてというより「力を持て余して暴れる姿」が自分と重なり放っておけなかったからなんじゃないだろうか、と思う。

映画版で語られる安食の過去は
「どこにでもいる普通の足軽だったのに、ある日突然、宇宙から降ってきた隕石に付着していた虫に寄生され、人の身を超えた圧倒的強さを手に入れてしまった人」だ。
生き延びるために人の魂を吸っていたら、それを幕府に兵器として利用され、戦という仕事がなくなれば放置。どう考えても災難だし被害者ともいえる。

安食は映画でお札を配って江戸の人の命を吸おうとしてはいたが、大量殺人みたいなことはせず、自分が生きていくために必要な量だけの魂を吸おうとしていた。
家康に戦での兵器として使われた強さを思えば自分の強さでこの世のすべてを手に入れてしまえと考えてもよさそうだが、そうはせず、お札を配ってバレないようにこっそり魂吸ってひっそり生きようとしていたっぽい。
映画の安食さまのビジュアルと雰囲気が「妖艶でヤバい教祖様」なのでそのイメージに引っ張られがちだが、実はけっこう控えめで穏やかな性格だなぁと思う。

それが安食の、というか虫に乗っ取られる前の元々の「足軽庄兵衛」の性格だとしたら、過去の自分と同じように望んでもないのに圧倒的な強さを持ってしまいそれを持て余してどうしたらいいか分からずただ人を切っていた多々良を、放っておけなかっただろう。

そんな多々良と、人の世では生きにくい力を持ってしまった者同士として2人でひっそり生きようとしていたのかな、安食さま…と思うとさ…

もちろん安食さまに魂を吸われた側はたまったもんじゃないし、平馬や鱗蔵みたいに近親者が安食に殺されて…となったら明確に「敵」なんだけど、映画の時にも思っていた「でも安食も安食で気の毒よな…」の気持ちが舞台でより強くなり、だからこそ、最後は愛する多々良に看取られて、多々良に「お前は生きろ」と言い残してこの世を去れた安食さまは少しでも幸せだったかなぁ…と思ってしんみりできるのだ。

多々良の最高セリフ「愚かな主を選んだ自分を恨んで死ね」

そしてその安食の愛に応えるような多々良の最高のセリフが、

愚かな主を恨んで死ね。

だ。

これ……最高すぎないですか……
だってこれ、裏を返せば「死んでいくお前らと違って、自分は安食さまっていう最高の主に恵まれたんだからね!」というものすごい自慢じゃん…
安食さまっていう最高の主を選んで選ばれた自分をめちゃくちゃ肯定する、安食の愛へのアンサーじゃん…ッ!!!

ただこのセリフがあっただけでも最高だけど、ここまで書いたとおり安食が人物としてはけっこう穏やかで優しいところもあるような人だったんじゃないかな~と思えるような要素がたくさんあるので、自身満々にこのセリフを放つ多々良を「うんうん、そうだねぇ~!!!」と見守ることができて、良~~~!!!となる。

多々良……!「借りは返したぞ」なんて言わずこれからもちょくちょく邪魚隊にちょっかいかけに来たり助けたり助けられたりして幸せに暮らしてくれ……!!!

多々良の名前の由来を考える

たたら製鉄(刀を作るための鉄を作る作業)の「多々良」かな~と思っていて、まあ刀で戦うし舞台で「日本一の剣豪」と言われてるからそのあたりが由来かな~と思っていたんだけど、
調べたら多々良製鉄のときにふいごを踏む動作から、「多々良を踏む」=「足がもつれる」という意味の慣用句があるらしく、映画版での多々良の負けシーンを思い出してそことリンクさせてる!?とびっくりしました

「多々良」のWikipediaにこのことも乗っているし、おそらくこれも意識して名づけされたんじゃないかなと思うと、脚本、最高っす…の気持ちです。
邪魚隊、全体的に名づけがオシャレで凝っててめっちゃスキ。

平馬、良い奴すぎてちょっと苦しい

多々良に安食の真意を伝え背中を押す平馬。
だけどそもそもで言えば、平馬にとって多々良と安食は大好きな姉を殺した仇だ。

しかし平馬は、多々良に向かって「安食を楽にしてやれ、愛しているなら」と歌う。
これ、ちょっと良い奴で大人すぎて苦しい…

「姉を殺した仇なら死んでも死ねないくらいの地獄を味わえ」と思ってもよさそうなところなのに、平馬のあの態度。
「大好きな姉を失った自分」として「大好きな安食を失った多々良」の背中を押していて、そこに「姉が死んだのはお前達のせいだ」という過去の感情は入らないんだ…っていう…

平馬のあのまっすぐで良い奴なキャラクター像からするとあの行動に違和感はなにもないんだけど、まだまだあの若さで、唯一の身内である姉が目の前で殺されていて、そこから数年とかは経っていなさそうな時間経過なのに、あそこまで割り切れる大人すぎる態度が、なんかこう、おそらく平馬より年上の自分からするとしんどくなっちゃうんだよね…

たぶん無理しているわけでもなく平馬の中では姉の死は、過去のこととして(ある程度)整理されている。
その過去にとらわれず未来を見るという前向きな性格はあの明るいお姉ちゃんに愛されて育ったからなんだろうなぁと思うと、またちょっとしんどい。平馬自身はそのことをなにもつらいと思っていないだろうというところがまたさらにしんどい。

これは私が勝手にしんどくなっているだけなんだけど、せめてこれから邪魚隊の面々と年相応に青春してはしゃいで楽しく暮らしてほしいなぁと思うし、だからこそ戦闘の途中とかでよろめいたときに比売知に「大丈夫?」って感じで心配されてるのとかみると、オ゛オ゛ンッ!!!よがっだね゛ぇ゛!!!ってなっちゃうわけだ。

鱗蔵というヒーロー

書いていて気付いたけど、「りんぞう」と「ヒーロー」で韻踏んでるじゃん。
これはさすがに偶然だと思うのだけど(意図してだったら脱帽すぎる)、鱗蔵というキャラクターはものすごく「ヒーロー」だなと思う。

大泥棒×囚人が能力を買われて活躍!のコンボ最高

天才的スリ師、という肩書きの鱗蔵さん。
スリ師というと限定的だが「俺に盗めないものはない」と豪語する『大泥棒』の主人公と考えると、なかなかに王道な主人公像だなと思う。

ルパン三世を筆頭に、「かいけつゾロリ」のゾロリ、同じく江戸時代に活躍したあたりだと石川五右衛門。
パッと思いつく有名作品(石川五右衛門は色んな媒体があるが)だけでこんなにあるので、探せばもっとあるだろう。
主人公としてアウトロー具合がちょうど良いし、『善のための悪』みたいな構図も作りやすいし、そのあたりが人気なんじゃねぇかな~と思う。石川五右衛門なんかは特に大衆に寄り添った泥棒だし。

ルパンや石川五右衛門のように「大泥棒」となるとカッコ良さというかスケールがデカくなりすぎるが、「スリ師」とすることでいい感じにセコいというか、「そういう生い立ちのキャラ」と一瞬で想像できるので、好きなキャラ設定だな~~と何度も噛み締めてます。

それだけでも最高なのに、個人的に好きなのが「囚人(死刑囚)だが、能力を買われて公的な仕事をしている」という設定。

これ大好きなんですよね…
「ショーシャンクの空に」の主人公アンディとかがその代表かな~と思う。なんていうか、めちゃめちゃカッコ良くないですか!?この設定!!!
「(逮捕した)警察も一目おく能力=有能さの証明」とか「犯罪者が、と軽蔑しつつもそいつに仕事を依頼する公的機関のズルさ」とか、なんか色んな要素がさぁ~!!あってさぁ!!!好きなんです!!!!

ふたつめの要素は鱗蔵に限らず邪魚隊の面々全員だが、とにかく鱗蔵というキャラクター、立場の設定だけでめちゃめちゃ魅力的だよなと思います。

くるくる変わる表情の豊かさ

上記が脚本上の鱗蔵というキャラのイメージだとして、そこから佐藤流司氏がお芝居をして立体化するとどうなるのか。
私が一番強く思ったのは「表情が豊かな人物」という印象でした。

鱗蔵さん、表情が豊かというか、感情がわりと素直に顔にでる人なのよね。
特に佐藤流司氏の役を色々見る生活をしていると、これまでの役の中では断トツで表情が豊かじゃない??と思う。

笑う、怒る、あたりはともかく、びっくりしたり「?」ってなったりドン引きしたり、悩んだり戸惑ったりみたいな表情もめちゃめちゃ顔に出る。
佐藤流司氏の色々な表情、最高~~~!というオタクとしての感情を一旦置いておくと、鱗蔵という人物の生い立ちを想像したときにこの表情の豊かさはちょっと意外じゃない?と思うのだ。

映画にて、子どものころに所謂口減らしのために売り飛ばされ、しかもそこで弟を殺された、という幼少期が明らかになった鱗蔵。
弟のことは無意識のうちに記憶から消していたとしても、小さい頃から間違いなく貧しい環境で、守ってくれる両親はおらず、自分の身ひとつで生きていかなきゃいけない生い立ちだったんだろうなぁというのはスムーズに想像できる。鱗蔵の口調や言葉を見てもお上品な育ちとはとても言えない。

そんな「周りみんな敵」みたいな状況だと、自分の感情をまわりに悟られないように、と育つのが自然な気がする。
特にスリなんて人の目を盗むような生業をしていた場合、感情が表に出ないように育っていっても全くおかしくない。
「怒る」みたいな威嚇になるような表情はともかく、戸惑いや困惑などどちらかというよ”弱み”になるような表情って自然と隠したくなるものだろう。

しかしそんな感情もガンガン顔に出てくるくると表情を変える鱗蔵を見ていると、鱗蔵はここまでの人生において、結構愛されてきたんだろうなぁ~と思う。
「愛されている、大事にされている環境」とは、自分の気持ちを素直に顔に出せる環境じゃないかなぁと私は思うのだ。

それが邪魚隊に入るまでの環境なのか、邪魚隊に入ったあとのことなのかは分からない。
鱗蔵が邪魚隊に入った時期(年齢)がいつなのか分からないので、たとえばスリ師として貧民街みたいなところで暮らしていたときに良い仲間に囲まれていたのか、邪魚隊に入ってから良い仲間に恵まれたのか。どちらもあり得るだろう。

邪魚隊への愛情

今回の舞台で、鱗蔵という人物は「邪魚隊」という仲間たちのことが実はものすごく大事なんだろうな~と感じた。
冒頭の邪魚隊メンバー紹介ダイジェストでも自分たちを「コソ泥、捨て駒」と言うも、「もう少しカッコ良くキメてもらえませんか?」と言うナレーションに「これが俺たちだ!」と言うあたりには、ありのままの(自分を含めた)邪魚隊の面々を気に入っているような雰囲気がある。
スルメが比売知を殺したと聞いて激昂するシーンなんかはまさに、だろう。あのシーンで鱗蔵は比売知とスルメ、2人の仲間を失った。その怒り。

隊員個人のことも大事にしてるんだなぁという感じも節々に出ている。
舞台でスルメと銀粉島に漂着した直後、スルメに「誰か会いてぇ奴でもいねえのか?」と言うセリフ。仕事で来ているうえに漂着してるしそんな場合じゃねぇ!となってもおかしくないのに、さらっとこうやって言えるあたりスルメのことを仲間として大事にしてんだな~と感じる。

映画のときから邪魚隊を「ザコ隊?」と言われたときに「ジャッコ!隊!」と強めの圧で訂正する。これはまあキメ台詞的なところもあるだろうが、鱗蔵が邪魚隊というチームを大事にしていて誇りを持っている表れでもあるな~と思う。

「テコナ様最高!」のところでも書いたが鱗蔵の中でピンチの時に踏ん張る原動力の根幹に「自分は邪魚隊の鱗蔵だ」というアイデンティティがあるあたり、鱗蔵は邪魚隊のメンバーを大事にし、そして彼らに大事にされ、だからあんなに表情豊かで素直な人間になったんじゃないかな~と思います。
そうだったらいいよね。

「弱きを助け強きを挫く」

テーマソングの「What's Showing?邪魚隊」の歌詞でも「悪事を成敗」とあるが、今回の鱗蔵は映画のときよりもかなり、さらに「ヒーロー」だったなと思う。

それがテコナとの最終決戦のときに歌う歌詞

弱者の嘆き見ぬふりはしない
これが俺様の生き様よ!

あまりにもヒーローそのものである。

そしてテコナにトドメの一撃を与える際のセリフは

スルメ、お前の願いを叶えてやるぜ

自分のためではなく、誰かのために戦う。
(余談:このセリフ、ちょっと言い方が歌舞伎っぽくてカッコ良かったよね。時代劇らしい良さ~!!!とテンション上がりました)

映画の鱗蔵は、幕府からの命というキッカケから始まり平馬の「姉を助けたい」という願いに協力する(どちらかといえば利用する)も、最後は「弟を安食に殺された過去の自分を救う」ために動く。
それに比べると、舞台の鱗蔵は本当に「弱気を助け強きを挫く、誰かの願いをかなえるために自分の身を顧みずに戦う」というヒーローそのものなわけだ。

めちゃくちゃカッコイイよなぁ!!!

映画の鱗蔵もカッコ良かったが、安食を倒したシーンなんかは「鱗蔵〜良かったねぇ〜!」という気持ちが強くなる。
それに対し舞台では、鱗蔵!ヒーロー!カッコイイ!!!!ってなるわけだ。

どっちがいいという話ではなく、映画の話で鱗蔵が人間として一皮むけた後日談として舞台の話があるので、あの映画のストーリーで鱗蔵が何より救うべき「過去の自分」を救ったことで真のヒーローになったんだなぁ、と経緯というか「物語」を感じられてそこがすごくイイな~と思いました。
映画と舞台、ふたつのお話が地続きであることの良さ。
そして映画を見ているから舞台を見たときにそこが繋がる気持ちよさがあって、作品群として最高ッ!!!!

生い立ちを考えるとここまでまっすぐに「ヒーロー」な性格になった理由も気になる

さっきも書いたとおり鱗蔵がなかなかに苦労して育った経緯を考えると、この「弱きを助け強きを挫く」という信念に至った経緯というかエピソードとかも、掘り下げしてほしいな~~!!!と思っちゃうよね。

今のところ明らかになっている「経済的理由で親に捨てられ圧倒的強者に弟を殺され、スリをして生き延びた」という生い立ちなら、「強者はどうせ弱者を助けてくれない」みたいな性格になってもおかしくないよな~と思うので。
鱗蔵がこんなヒーローになるキッカケというか、鱗蔵の中にある「ヒーロー像」みたいな人物との出会いが過去にあったのかな~と想像するとめちゃめちゃワクワクするので、どうかそのあたりを掘り下げる続編も…やってくれよ…頼むよ………!!!

あたたかくて強い、最高のヒーロー

ここまで書いていて鱗蔵のヒーロー像を自分なりひとことで表すと、『あたたかい』かなぁ〜と思いました。
優しいというほど繊細ではなく、カッコイイと言い切るには弱さもある。

理想のヒーローとするには俗物的なところもあるし口も悪いが、とにかくあたたかい。人間らしい体温があるキャラクターだなぁと思います。生きているなぁー!と思う。

そこにカンの良さとひらめきという地頭の良さを持ち合わせている、という要素が乗るのも見ていて気持ちがいい。
比売知ちゃんには「馬鹿ってするどいのよね」と言われる通り学はないんだろうが、あてずっぽうが良く当たるカンの良さ。
舞台での佐藤流司氏らしいアドリブセリフの最高さも相まって、「学はないけど頭はいい」という全人類の好きなキャラクター像にもなる。

色々いっぱい書いたけど、鱗蔵、最高のヒーローで大好きです。

余談だけど映画のグッズの「鱗」印の巾着がめっちゃ好き〜!!!

「鱗」蔵と「鱗」粉の共通点を繋げるの、命名センスがえぐい

これさぁ~~~~~!!!上手すぎない???

もう書いたとおりで終了って感じではあるんだけど、うますぎる~~~という感嘆をもう少し書いていく。

邪魚隊、そもそもムビステの企画なので映画と舞台の企画は同時に動いていたんだろうし、脚本も2本作ることを前提に書かれている、と思う。
なので舞台版にて蝶がキーワードになること全体でキャラクターの名前も付けられてるんだと思うんですけど、魚をモチーフにした名前だと思った「鱗蔵」が、ウロコの文字で「鱗粉」と繋がり、最後に蝶であるボスとバトルするっていう繋げ方、上手すぎて、すげ~~~~!!!!しか言えない。

これがきっかけで「鱗粉ってなんで『鱗』粉なの?」って調べたところ、鱗粉はウロコ状の粉っていうことを知り、勉強になるな~となった。
あと名前の由来としては魚の鱗のほうが概念として先にある、というのも綺麗よね…

映画の話:鱗蔵の弟は双子の兄弟では?

これは完全に映画の話。安食に魂吸われて亡くなった鱗蔵の弟って、鱗蔵の双子の弟の可能性ないですか???という議題です。

理由は1点、安食を倒したあとに幼少期鱗蔵と弟が光の中で並んでいるシーンで、あの年ごろの兄弟にしては背格好が同じ過ぎるから。
どうみても小学生くらいの年ごろなので、年子だったとしてももう少し身長違うんじゃない?と思う。
子役さんのキャスティングの都合だよ~って言われたら、そうか~って感じなんだけど、個人的に「双子」という設定が好きすぎるので都合のいい夢を見させてください。

双子だったから何?という話だけど、
鱗蔵にとって弟を安食に殺されたということは無意識で記憶から消すくらいにショッキングな過去なわけだ。
そして、あの腕っぷしに自信があり基本的に強きな鱗蔵サマが、安食と戦うことに関しては「怖くて仕方ねぇ」といい、平馬に対しても「逃げろ」としか言えない。そのくらいのトラウマになっている。

もちろん年が違う弟だったとしてもショッキングなことではあると思うのですが、それが自分の半身のように一緒に育った「双子の弟」だったとしたら。安食に食われてしまったのが双子の弟だとしたら、安食に対する恐怖心は「自分の半身を食われた」という恐ろしいものになるんじゃないかなぁと思う。
安食に食われてしまった弟の命はかえってこないけれど、安食を倒したことで、奪われていた「自分の半分」が戻ってきたような感覚になってもおかしくはないよな~と。
つまり映画のストーリーを経ることで、完全無欠の鱗蔵サマ爆誕!!ってわけ。

まあ邪魚隊の続編があったとしてもここの掘り下げがされることはないだろうし、真相があきらかになることはないんだろうが(ストーリーとしてはどっちでも大きく変わらいないし)、個人的趣味で双子萌えがあるので、私は鱗蔵の弟は双子だった説を胸に抱いてこれからの人生を生きていこうと思っています。

ゴマダラのこと真面目に考えてみる

映画版での刈谷に近いようなコメディパートの中心だったゴマダラ。
男同士のクソデカ感情心中モノ恋愛を見ると仕事を忘れて昂ってしまうという、まあキャッチ―にひとことでいえば「腐男子」なわけだが、そのゴマダラの性癖のことを真面目に考えると結構シリアスじゃない?という話をします。

ゴマダラの性癖はふたつあって、
①肉体への痛みを我慢し、これを快感とする
②クソデカ感情(恋愛)のすえ『死』を選ぶことを救済ととらえる
である。
これ、あの男らしい外見なのにドМの腐男子という癖強性癖の持ち主っていうお笑い要素ではあるんだけど、その性癖に至った理由って間違いなく、あの『島』のせいだろうなと思う。

ゴマダラの性癖は「銀粉島」が作り上げた歪み説

ゴマダラの性癖①肉体への痛みは快感

これは劇中でゴマダラ自ら解説している。

常世神様は我らに至高の痛みを与えてくださる!ならばその痛みを喜ばずしてどうする!

比売知ちゃんに速攻で「変態!」と言い捨てられているが、この性癖、あの島で生まれ育ったからなんだろうなと思うと結構シリアスだ。

常世神という、こちらがなにも悪いことをしていないのに、災害のように現れては激痛をもたらす存在。そんな存在がいつ自分たちを襲ってきて焼き尽くすような痛みをもたらすか分からない環境で生まれ育ったら、自分の心を守るためにその痛みをせめてポジティブなものにとらえようとしても全くおかしくないと思う。
それが必ずしも正しい考え方とは限らないけど、避けられない・どうしよもない痛みや苦しみなら、それを楽しんでしまえ!というのは当然の変化だよなぁと思うわけだ。

ゴマダラの性癖②クソデカ感情(恋愛)のすえ『死』を選ぶことは救済である

平馬が色仕掛けを仕掛けた際に「愛する人と心中したが自分だけ生き残ってしまった」という設定を話した際、すぐに「だったら吾輩がひと思いにあの世へ送ってやる!」と刀を振り上げたこと。

そして比売知と鮒右衛門が元恋人の役をして
「お前に許されぬ恋をしてしまったから折れを殺してくれ」
「わかった、お前を殺して俺も死ぬ」
というようなやりとりをしたときに、それを全肯定していたことから分かるように、ゴマダラには「愛し合う2人にとって死は救済」という価値観(性癖)があるのが良く分かる。

まあオタクにはよくある性癖のひとつではあるものの、これは銀粉島という死が身近な環境で育ったから、とも考えられる。
たとえばゴマダラの両親が常世神によって殺されていたとしたら、その悲しみを和らげるために「死は救済だから、常世神に2人はそろって殺されることで救われたのだ」と解釈してもおかしくない。痛みについても「痛みは快感だから、常世神によって死んだ者たちは幸せだった」と解釈もするだろう。

そう思うと、あの一見ギャグでしかないゴマダラの性癖は、銀粉島という理不尽で歪んだ環境で生まれ育った故の悲しい価値観、と考えることもできるなぁと思う。

そしてそんな悲しみを一切見せず、かわいいフンドシを履き、体を鍛えて大剣を振り回し、萌えの気配あれば仕事を放り出して喝采し、みんなを笑わせて楽しく生きているゴマダラは素晴らしい人間だなぁと思うわけだ。オタクとして尊敬しかない。

ゴマダラ、最後虫を取り込んだ鱗蔵に魂吸われそうになるもギリギリで助かったっぽいし、おそらくあのあとも生き残っているのだろう。
主人であるテコナはいなくなっちゃったし痛みを与えてくれる常世神も消えてしまったけど、どうか別の環境でも好みの推しカプを見つけて人生を謳歌していて欲しいなぁと願ってやまない。

ゴマダラ、良かったら今度一緒に飲みに行こう。お前の推しカプの話、いっぱい聞かせてくれや。

ゴマダラ、多々良と安食という本物の「クソデカ感情の末の死の救済」を見れてないの無念すぎる

ゴマダラの「死は救済」の性癖は、メタい視点でみると多々良と安食のラストへの伏線の意味もあったんじゃない?と思う。

ゴマダラの性癖に刺さった小芝居は
ひとつ目が「心中によって愛する人を失い死を選ぼうとしている男」で、
ふたつ目が「恋人の心変わりによって愛する人を失い、死を選ぼうとしている男」
なので、どちらも「なにかしらの理由により愛する人を失い、死を選ぼうとしている」という状況になる。

多々良と安食の場合は関係は逆転するが、「愛するものを失った多々良」と「愛する多々良の手で殺されること願う安食」であり、要素としては同じだ。

となると、おそらくゴマダラの性癖にブッ刺さったであろう多々良と安食のあのラストをゴマダラが見れていないの、本当にッ!!!悔しいッ!!!!
でもどうだろう、ゴマダラ的にはあの場で多々良は死を選ばず生き残ったの解釈違いだったりする?!!?その辺も聞きてぇよ!!!!!!!

ゴマダラ!!!邪魚隊の円盤出たらうちで一緒に鑑賞会しようぜッ!!!!ゴマダラァッ!!!!!!

ゴマダラ、料理人らしいのかわいい

脚本読んだらゴマダラが自己紹介として「銀粉島一の料理人」って言ってて、そうだったの!?ってなった。
このセリフ舞台でもありました?私が聞き逃しているだけ??(鱗蔵が出ているシーンなので佐藤流司氏のオタクである私はIQが著しく下がっており聞き逃している可能性は高い)

舞台でこのセリフがあったにしろなかったにしろ、ゴマダラの設定として料理人っていう一面があるの、けっこうかわいい。
男同士クソデカ感情心中ネタ大好物で料理上手の腐男子とかオタク友達として最高すぎる。ゴマダラと宅飲みしながら円盤鑑賞会とかしてぇ~~~!!!

比売知と鱗蔵の過去を知るまで死ねん

比売知ちゃん!!!!大好き!!!
まず名前がかわいいよね。私は心のなかで「ひめちゃん」と呼んでおります。ちゃんと魚の名前で実在するうえに響きがめちゃくちゃ可愛い名前を付けてくれる脚本、最高。

映画の時から思っていた比売知ちゃんかわいいポイントと、比売知ちゃんと鱗蔵の過去が気になりすぎるという話をします。

比売知と鱗蔵

鱗蔵を「お頭」ではなく「鱗蔵」と呼ぶ比売知ちゃん

平馬が入る前のデフォルト邪魚隊のメンバーは、鮒右衛門とスルメが鱗蔵を「お頭」と呼ぶ中、比売知だけ鱗蔵を「鱗蔵」と名前で呼ぶ。
なんとなく鱗蔵より年下っぽいスルメが「お頭」と呼ぶのはともかく、おそらく鱗蔵より年上であろ鮒右衛門が鱗蔵を「お頭」と呼ぶ中、比売知だけが鱗蔵を呼び捨てするの、あら???となるわけだ。

今回、スルメは邪魚隊という隊がすでにあったところに配属された経緯、と明らかになったわけだが、もしかしたら比売知は鱗蔵が「邪魚隊のお頭」になる前=邪魚隊になる前から鱗蔵と知り合いだったのかも?と考えられる。

平馬も邪魚隊に入ったあとも鱗蔵を「鱗蔵」と呼ぶし、呼び方なんて各々の性格では?と思うものの、性格だとすると比売知ちゃんは鱗蔵を「おかしらぁ~♡」って感じで呼んでもおかしくないよな~と思う。
あと平馬は自分の意思で邪魚隊に入ったし、映画での鱗蔵との出会いと関係性を考えると「お頭」って呼ぶ感じでもないよな~と思うし、だとすると比売知ちゃんにも鱗蔵をお頭ではなく鱗蔵と呼ぶような経緯で出会ったのかも?となるわけだ。

比売知ちゃんが鱗蔵を「鱗蔵」って呼ぶの、なんとなくお姉ちゃんが弟を呼ぶ感じでかわいいよね。

映画でのニコイチ感

舞台版でも仲良しで気心知れてる感じの比売知と鱗蔵だったけど、個人的には映画の仲良し感がだいぶ好きだった。

特に平馬が刈谷の屋敷に忍び込むところを屋上の上から見ているシーン。
鮒右衛門やスルメと一緒だと「隊長」っぽい雰囲気の鱗蔵が、比売知に対してはちょっと幼くなるというか、肩ひじ張らない受け答えをするなぁ~という印象。

そのあと平馬から成功したよの合図があった際、屋根からなかなか降りられずジタバタしている鮒右衛門を置いてふたりで身軽に走っていく鱗蔵と比売知のコンビもなんか、仲良し感があってすげえ好きでした。

鱗蔵のスリ作戦は比売知がいてこそ

映画冒頭で群衆からバカスカ財布をスっていた鱗蔵。
あのスリ、作戦としては比売知と鮒右衛門が騒ぎを起こしている中、騒ぎに気を取られている群衆から財布をスり、それをスルメに預けることで鱗蔵は捕まらないというものだった。

この作戦において一番大事なのはやっぱり比売知だと思う。
まず鮒右衛門は比売知のサポート的ポジションだった。
スルメの役割は安全の逃げるためには必要だが、後半で比売知が鱗蔵のスリを「わざと捕まりそうな作戦をしている」と評していたのを考えると、昔(スルメが入る前)はスルメのポジションなしでやっていた可能性がある。

そもそも鱗蔵と比売知がなぜ死刑囚として捕まったのかが明らかになっていないが、可能性として、鱗蔵と比売知のコンビでスリをしまくっており2人揃ってお縄、というのはあり得る話だな~と思うわけだ。

まあ結局は個人的な好みなんですけどね

と、色々根拠とか並べようと思えば並べられるけど、単純に個人的に比売知ちゃんと鱗蔵は付き合いが長かったらなんていうか、めっちゃ可愛くて最高だな…と思う。
記憶を消していたとはいえ実際に弟がいたこともあり、年下っぽいスルメ・平馬にはもちろん年上だけど頼りなさがかわいい鮒右衛門と邪魚隊の面々にも兄貴っぽく振舞う鱗蔵だけど、お姉ちゃんみたいは比売知と実は付き合いが長いとしたらなんというかバランスが良いな~と思うし、とにかく可愛いじゃん!!!!!!!以上!!!!

比売知ちゃん、なんで死刑囚になったのさ~~

今回スルメが邪魚隊に入った経緯の詳細が分かり、さらに冤罪だということも分かった。
…って書いててアレ?と思ったけど、よく考えたらスルメ、別に冤罪じゃねぇや。実際に本庄清山を拷問のすえ殺したのはスルメじゃん。

まあ冤罪かどうかは置いといて理由は明らかになったわけだが、そうなると鱗蔵・比売知・鮒右衛門が死刑囚になった経緯も知りたくなってきちゃうのが人間ってモンですよねぇ~~~!!!

スルメが冤罪じゃなかった以上、そうなると残り3人も別に冤罪ではないんだろう。やむを得ない事情があった、という可能性はあるにしろ。

前述したように鱗蔵と組んでスリをやりまくっていたでもいいし、あの変装技術で詐欺とかやってたでもいいよな~と思う。
どんな比売知ちゃんでもいいので、とにかく過去が知りたい。知りたいよ~~~!!!!

鮒右衛門は性格的に自分から死刑になるような大罪を犯せるタイプには思えないから、事故的に誰かを殺しちゃったか、そんなつもりじゃなかったのに!パターンかな~と思う。
映画版で昔町医者をやっていたらしいから、その時になんかあったんだろうなぁ。
なんとなくだけど鮒右衛門には妻帯者のイメージがあるので、邪魚隊の中で唯一の実は妻子持ちで、死刑囚になった際に離縁されているとかだとなんかイイな、と思います。

邪魚隊のムードメーカー、比売知ちゃん

変装の達人、という設定の比売知ちゃん。
舞台ではその変装技術をいかして色々作戦に貢献しているが、実は比売知ちゃんの邪魚隊での役割って変装云々以上にムードメーカーなんじゃないかな~~と思う。

映画ではラストくらいしか戦うシーンがなかった比売知ちゃんだけど、舞台では結構斬った張ったしてるうえ、ちゃんと強い。

しかし比売知ちゃんって、味方のピンチのときとか(鱗蔵が捕まった、など)に1人で助けにいこうとはせず、絶対に味方を呼びにいくんだよな。
ここが鱗蔵とか平馬、スルメとの違いだな~と思う。特に鱗蔵は、腕に自信があるからでもあるんだろうけど、仲間がピンチってなったら速攻単身で突っ込むタイプだ。

あの、なにかあったときに「誰か~!鱗蔵が捕まっちゃったから助けに行くよ!」ってすぐに仲間に言える比売知ちゃんって、邪魚隊にとって実はめちゃめちゃ大切な存在だろうなと思うわけだ。
たぶん比売知ちゃんはああいう戦闘のピンチじゃなくて日常のちょっとしたことでも、「誰か~一緒にやろ~」って声をかけてくれてるんだろうなぁと思う。
そういう存在ってチームにおいてめちゃくちゃ大事だ。邪魚隊の影のリーダーは比売知ちゃんと言っても過言ではないだろう。

結構切羽詰まったバトルのときでもいつもの調子を崩さず、倒れ込みそうな仲間がいたらすっと助けてくれてる比売知ちゃん。
そんな比売知ちゃんがいてくれるから邪魚隊はいつも明るくてにぎやかなんだろうな~~~と思います。比売知ちゃんダイスキ!

余談:比売知ちゃん、背高いのに座るとコンパクトになるのカワイイ

スラっと背が高い比売知ちゃん。今調べたら廣瀬智紀さんの身長は179㎝ということで鱗蔵である佐藤流司氏より背も高いわけだが、タデハの演歌歌唱シーンで客席に背を向けて座っている時、めちゃめちゃコンパクトに小さくなってて背中が華奢で、カワイイッッ!!!!!ってなりました。
飲み屋のカウンターで偶然比売知ちゃんの隣になってかわいいお姉さんだな~って思ってたら、比売知ちゃんが立ち上がってデッッッカ!!!って思いたい。

長福丸さまの将来が見たいから邪魚隊10年先まで連載してくれ

めっちゃ可愛いっていうのはまずあるんですが、それに加えて色々最高すぎる。
「よきにはからえ~☆」の絶妙なバカっぽさ、天才だと思います。

暗愚を演じる第一王子とか最高だろ

好きッ!!!!!!!!!!!

まず阿呆を演じていたときの明るいお声からの「いいわけないだろう」(扇子でビンタ)の声の冷たさのギャップ、最高が過ぎた。
あの鱗蔵が「ひょえっ」てマジで驚いてんのも含めてあのシーンめちゃめちゃ好きです。

あの幼さで、自分の身を守るためにバカっぽく振舞うというめちゃくちゃ「賢い」というキャラクター好きなんだよな~~!あえて馬鹿を演じる賢人とか、みんな好きでしょ…私も好き…

賢さはもちろん、今の自分の力(腕力というより人脈や権力)では生き残る一番の策が「暗愚を演じる」だということに、あの賢い頭であればものすごい悔しさを感じているだろうなってところも含めて好きです。
おそらく、馬鹿なままで一生を終える気などサラサラなく、いつかすべてをひっくり返して目にものみせてやる、という野心がおあり。

まだ無力な自分が何より歯がゆい気持ちがあの口の悪さの源だったりするのかな~と思うと、カワイイし最高に魅力的なキャラクターで、めちゃくちゃ好きです。

長福丸さま、実在するし将軍になるの最高

映画に出てきた将軍かよォォォ!の将軍さまが八代将軍吉宗公で、それを継ぐのは九代将軍の家重なわけだが、もしやと思って調べたら家重の幼名、「長福丸」だった……!

長福丸さま、実在するし将軍になるのかよ!!!!!

邪魚隊のこういうところ、ちゃんと時代劇で最高~~!!!
セリフとかは今時だけどこのあたりの設定をちゃんと史実ベースにしてくれるの、めっちゃ好き……
もちろんお話はフィクションなんだけど、こういう設定の要所に史実を織り交ぜてくれることで鱗蔵たち完全フィクションな存在も「もしかしたらどこかにいたのかも」と感じて手触りがリアルになる感じがして、最高に好きです。

長福丸さまが将軍継承したあとの話もやってくれよ頼むよ~~

そうなるとさぁ、将軍になった長福丸さま(家重)と邪魚隊のお話とかも見たくないですか!?!?

幼いころに命を助けられた邪魚隊に借りがある家重さま。将軍という絶対権力者になってからも邪魚隊の面々にはちょっと強く出れないところがあったら最高だし、その借りがあるにも関わらず「は?余は将軍なんだが?」って不遜な感じに育つのも最高。どっちも最高。

もしもあの阿呆を演じたまま表向きは馬鹿な将軍としてふるまうことになったら、邪魚隊の面々にだけは素の賢くて口が悪い殿様の顔を見せられるとしたら、そういうのも~~最高~~~ッ!てなる。

邪魚隊の面々としても一泡ふかされてはいるけど、なんだかんだちっちゃいころに会ってて助けてると情も沸いてるだろうし、鱗蔵は長福丸を「賢い」とめっちゃ認めていることもあるので、家重にとっての気心知れた良い兄貴分(家重としては不服)みたいな関係性になってもさ~~いいと思いません??

これがこの記事のタイトル「邪魚隊、10年先まで連載してくれ!」という願いの発端です。

調べたら長福丸さまが将軍家重となるのは30代前半くらいみたいなので、その時系列の続編も何卒やってほしいなと思うわけですよ…10年どころじゃねぇな、20年後くらいか…
そしたら邪魚隊の面々も完全にいい年のオジサンたちか…
それはそれで……めっちゃいいじゃん……!!!!!

脚本最高ポイントの話

スルメが過去と運命を受け入れていくストーリー

物語のメインであるスルメの「粉払い」の過去と能力。
スルメがその運命と過去に折り合いをつけていくストーリーが、上から目線のぶしつけな言い方にはなっちゃうが、見事~~!!!!!と感動しました。

スルメ(アゲハ)の運命だった「歌で『虫』の暴走を止める役割」が、一度はその辛さから逃げ出したものの、仲間である鱗蔵を救うために最後は自分からその力を使う。

自分の運命を前向きにとらえて受け入れていく。
最後の鱗蔵の暴走を鎮めるために歌った、

人は運命を選べなくても
あしたを変えることはできる

という歌詞そのもののストーリーで、美しすぎるんだよなぁ…

そこからあのラストバトルに繋がるの天才では?

そしてそのストーリーから、あのド派手大迫力最高カッコイイ鱗蔵VSテコナのラストバトルに繋がるの、まじで最高~~~!!!

主人公ではないスルメの成長ストーリーから、主役である鱗蔵が活躍する舞台のクライマックスに綺麗に繋がるのが、すげえ~~~となりました。
なんていうか、いっこもノイズになるような違和感がない。

あのラストバトルが最高というのはマジで筆舌に尽くし型いので「本当に最高」しか言えないんですが、
初めて映画を見たときに「これもしかしてラストそういう感じになる…?」と妄想した世界そのもの、いや妄想した世界の出力をギア5段階ぐらいブチ上げた絵がお出しされて、参りました~~~!!!!の気持ちだった。

映画の安食との決戦も平馬の姉との絆が美しくて大好きなんですが、やはり佐藤流司氏のオタクとしては彼の殺意マシマシ怒気ゴリゴリ迫力バチバチな歌声でド派手に戦って欲しい!!!!という願望があり…
その願望を再現度500%くらいで見せていただき、こんなに夢が叶う世界に生まれて最高!!!という気持ちです。

推しがピカピカ光る衣装に変身して喜ばないオタクなんていねぇんだわ。
ありがとうございました。

安食を倒した意味を補完する、続編としての良さ

前述したとおり、映画版で悪役だった安食って過去が明らかになると完全に虫による被害者で、映画を見た際も「仕方ないとはいえ安食さま、気の毒ではあるよな…」の気持ちがあった。

映画での安食(悪役)と邪魚隊(主人公)の戦いは、悪を倒す勧善懲悪の形式をとりつつも、実は「生存競争」の戦いだったなと思う。
人の魂を吸わないと生きていけない安食と、これ以上魂吸われてたまるかボケ!の人間(主人公)サイド。

それは映画で安食が「お前達も生きるために魚を取って食う、それと私が人の魂を吸うのと何が違う?」(セリフうろ覚え失礼)と言うことに対し、明確な反論がないことからも明らかだなぁと思う。
魚が人間にとって食われまいと逃げて時に噛みつくように、人間も安食(虫)に食われるのはゴメンだから抵抗した。そういう生存競争の構図だった。

それが舞台版であの虫の正体がさらに明らかになることによって、あの映画版で安食を倒したことも未来を考えると勧善懲悪だった、と補完されるのが面白いストーリーだよなぁ!!!!と思う。

舞台の悪役、常世神は、安食に寄生していたような虫が成長(羽化)した姿。
つまり安食の中にいた虫は、あのまま安食の中にいて人の魂を食らいつづけ成長していたら、いつか常世神のような恐ろしい力を無差別に振るう大量殺戮兵器になっていたわけだ。

もちろん、常世神にとってもあの大量殺人は自分の命を保つための必要な『食事』だった可能性はある。
生贄として誰かひとりを殺してささげれば常世神は一旦鎮まったことを見ると、この可能性は高いだろう。

しかし常世神ほどの町ひとつを一瞬で焼くような力となると、舞台でのテコナや尾形のように、それを政治の道具として使うような考えが生まれるわけだ。
つまり映画で主人公たちが安食を倒したのは、安食の虫が成長し常世神のようになることを防いだ、と見れる。

もちろん安食がけっこう気の毒、というのは変わらないのだけど、「前作での主人公たちの行動が続編によって別の意味も持つ」っていう脚本、超サイコ~~~!!!!!ってなりました。

※まあ安食の力も家康によって戦で政治利用されていたわけだけど、常世神の力と比べると規模がけっこう違うので、ね。

その他好きなところ羅列

ヒイロ

笑いの種類の話でいうと、ヒイロの吹っ切れ自害シーンがいっっちばん好きです。ああいう笑いに弱いんだなぁ。
初回観劇の際、ヒイロの自害シーンで「アッハ!!!!」ってデッケェ笑い声あげちゃったら周りのお客さんがあんまり笑ってなくてちょっと恥ずかしかったんだけど、二回目以降は爆笑シーンになってたので心置きなく笑えました。
なんていうか、ああいう命の倫理観おかしい笑い、好きで……
脚本読んだらあのシーンそんなコミカルなシーンじゃなかったので、演出好き~!!!となった。

あとはヒイロの「二枚目すぎて三枚目」というキャラも好きですね。
ずっと「私に罪を与えてくださるのは…」って言ってる「こいつなんなんだ」感、じわじわ面白くてイイ。笑っていいのかダメなのか、というあたりが一番面白い説ある。
たぶん頭が良いというか色々難しく考えすぎてしまう人で、だからこそ脳みそシンプル構造な鱗蔵に「好きってことだろ」って言われてうろたえてる2人の対比、面白い。

あとこれはメタ的な見方だけど、ヒイロのテコナへの思いが恋慕だとすると、その気持ちに入り込むぐらいテコナがアゲハへ姉弟愛というには行き過ぎている愛着を持っている、という補足にもなってて、見事~となりました。

これはストーリーとは関係ない話だけど、佐藤流司氏のオタクとして色々な舞台を見に行っていると佐藤流司氏と中村誠治郎さんのアクションシーンにはたくさんの思い出があるので、そういう意味でもなんか嬉しい。
その思い出たちの中に新しく「ヒイロの吹っ切れ満面の笑み自害シーン」が加わり、さらに思い出群が最高になりました。

8月21日の昼公演を見に行ったんだけど、ヒイロと鱗蔵のバトルシーンでヒイロが刀落としてらして、刀落としてる~って見てたら鱗蔵サンに「刀落としてんじゃねぇよ!!!」って言われてたの、今思い出してもフフッてなります。最高。

鮒右衛門

見た目は男らしいのに実はいちばん気が小さくて、年下であろう鱗蔵に「お頭~!!」っていつも泣きついてる鮒右衛門さん、映画のときより可愛さが上がっていて、カワイイ。

あと脚本を読み返して思うのは鮒右衛門、要所要所で話をまとめるセリフを言ってくれていて、そういえばお医者さんだから普通に一番賢いんだろうな~と思った。

この時代のお医者さんって(まあ今もだけど)ある程度家が裕福じゃないとなれないだろうし、鮒右衛門は邪魚隊の中でも一番マトモな身なりをしてるので、結構いい家の生まれなんだろうな~と思う。

良い家に生まれてそこそこ上品に育ってお医者さんになったのに、なんやかやあって死刑囚になって鱗蔵たちと大冒険してるって、実はいちばん波乱万丈な人生かもな、鮒右衛門…
どう考えても自分から犯罪を犯すタイプじゃないので、鮒右衛門が死刑囚になった経緯がめちゃくちゃ気になる。続編やってよ~~お願いだよ~~!!!

蓼丸

映画のときは「天才医師」という割と上品な印象だったので、舞台でめっちゃズル賢いキャラだと判明したの結構意外で面白かった。
天才医師みたいな設定があると性格としては「人のいざこざに興味ないクールキャラ」みたいな感じになるのが鉄板ぽいけど、医者として普通に天才なのに、権力闘争においてちゃんと生き汚いっていうのわりと新鮮で、いいよね。

あと遭難したときに「すぐれた医者の命はなにより優先されるべき」って言って鮒右衛門に引かれてるけど、これ、考え方としては正しいよな~と思う。
パーティにおける回復役って絶対に倒れちゃいけない役割じゃん?
ほら、NARUTOの綱手様も医療忍者の掟みたいなので「絶対に倒れてはいけない」って言ってたし…
邪魚隊も蓼丸になにかあったら解毒薬作ってもらえずパーティ全滅になるので、蓼丸のあの態度は(腹立つ~となるのは当然として)正しいよな~と思いました。やっぱり賢い。

狂気の雄たけびをあげて尾形をめった刺しにするシーンも最高なんだよなぁ…
あのシーン、後ろで見ている邪魚隊のドン引きの空気も相まってめちゃくちゃ面白い。最高。

解毒薬作成ソング「解毒ックス」の歌詞ちゃんと聞くと勘とセンスで調合してるっぽく、あんな性格だけど天才であることは間違いないんだろうな~と思うと、なんか遠い目をしてしまうよね。

ウラナミとタデハの関係性

なんとなく勝手に兄妹なのかな~と思ってたんだけど、よくよくセリフ聞くと血のつながりはなさそうだし、台本だと喧嘩シーンでで2人のことを比売知が「付き合ってんのかな?」って言ってるあたり、なんかそういう空気あんのかしら~?と思うと大変カワイイ。

ウラナミとスルメ(アゲハ)が幼馴染ってことはタデハも幼馴染なんだろうなぁ。2人よりはちょっと年下なのかな。
幼馴染3人の関係性のバランスとしてもすごい良くて、この3人の青春ストーリーだけで映画一本とれるよな、となりました。
呪いのような運命の王子さまアゲハ、血気盛んでまっすぐなウラナミ、たぶん女の子にしてはやんちゃで肝が据わってるタデハ…

タデハがずっとアゲハを「粉払い様」と呼んでその運命を気遣っているのをみるとタデハちゃんの初恋はアゲハだったりするのだろうか、とかね…そりゃ幼馴染で王子様とかね、初恋の相手になっちゃうよね…
そうなるとちょっと悔しいウラナミとかね…かわいいね…

タデハが生贄として殺されそうになったとき、「ウラナミ!あとは任せたぞ!」って言うの、バディとしての信頼関係~!!!ってなって、めっちゃ好き…です…!!!

タデハちゃんが島と常世神のことを歌ってくれる演歌、あれ「急に演歌!?」という笑いなんだろうけど、常世神に理不尽に殺された怒りが原動力になってるレジスタンスたちにとっては一致団結するための歌として作ったのかもな~と思ったりもする。
レジスタンスたちの飲み会で盛り上がったりすると毎回タデハちゃんがあれ歌ってくれてみんなで肩組んでたりするのかな~と思うとカワイイ。

巫女コンビ、かわいい〜!!!

テコナ様の巫女コンビ、超可愛くて好き!!!
あのコンビ、長福丸さまの暗愚ソングでは幕府の巫女(??)として白×赤の正義の巫女さん(?)として出てくるのも可愛くてすきです。

実際、祭りや儀式と踊りって密接な関係だっただろうし、巫女としての役割って悪(テコナ)が主人でも正義(長福丸)が主人でもそう変わらないんだろうな~なんて思った。

ひとつ惜しむところがあるとすれば、カーテンコールのときの衣装が島のレジスタンス服なことかな…
いやあれもめっちゃカワイイんだけど、テコナ様の巫女の2人が好きだったので、個人的にはテコナ様の巫女に拍手を…したかったなっていう…気持ち…

スクリーンに映る映像、超きれい。歌詞の映像凝ってんのもスキ!

おそらく転換が一度もないシンプルなセットだけど、スクリーンに要所要所で背景が映るので、世界観を想像しやすくてありがたかった。
とくにレジスタンスたちのアジトの洞窟感、好きです。テコナ様のお屋敷の豪華な感じもイイ。

あとは鱗蔵とスルメが島に漂着したときに、鱗蔵のまわりをひらひら~っと色とりどりのちょうちょが飛ぶシーン、めちゃくちゃ綺麗で好きでした。
幻想的で、秘境というか「ふいに立ち入ったらヤバい場所」っていう感じがあの色合いで伝わってくるというか。

スクリーンに映るものでいうと、劇中歌の歌詞をしっかり映してくれるのも最高だったし、文字のデザインとかが凝ってるのもオシャレで好きでしたね。
特に尾形たちの「大江戸心中」ソングのときに家紋が綺麗に歌詞とハマってたりするのオシャレでカッコイイ~!!と見惚れました。

でも分からん、ラストの鱗蔵の歌とかもたぶん歌詞出てたんだろうけどちょっとさすがに記憶ないので、円盤なり配信なりでゆっくり確認するのを楽しみにします。

こういう歌詞の内容がストーリーにしっかり関わる作品って、たまにどうしても歌詞が聞き取れないときがあったりするので、映像で補完してくれるのも親切でありがたいな~と思います。好きです。

最高でした!!!何を買ったら続編やってくれますか?!!?

感想を書き残したい!!!と思ってこんなに長々と色々書いてしまう作品も久しぶりでした。
いつものことながら、最高の作品を見るきっかけをくれる佐藤流司氏に感謝しかありません。大好きだぜ~!

邪魚隊、キャラクター全員ほんとに魅力的で、映画も舞台も一秒も退屈しない最高のストーリーで、ゲラゲラ笑ってカッケェ~!って気持ちよくなれて、本当に最高の作品群だと思います。

ナレーションは「魚隊の戦いはこれにてひとまず見納め!」なんておっしゃってましたが、見納めなんて言わず、新作も再演もやってください頼む。
あと映画もリバイバル上映とかしてくださいまた映画館でも見たいです!頼む!

頼む~~~~~!!!!!円盤予約します!!!!!!!最高!!!!!!




東京公演、サンシャイン水族館がちょうど猛毒展やってたので劇場への道すがらずっと「毒!毒!」ってポスター出てるのだいぶ面白かったです。

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