【学び直し】アダム・スミスを読んでみたい②~農業の発展が遅れる理由
(引用元)
アダム・スミス(著)高哲男(訳)「国富論」(上)講談社
はじめに
今回はアダム・スミスの「国富論」第一編の第一章に当たります、「分業について」です。
スミスが指摘した最も重要な点の一つである「分業」ですが、ここでも非常に示唆に富んだ内容が見られました。
ただ、内容が盛りだくさんすぎるので、2つのnoteに分けたいと思います。
まずは、ひとつ目の引用ポイントです。
今回の引用ポイント
(前略)導入が可能であれば、分業はどの職業でも労働生産力の比例的な増大を引き起こす。~(中略)~農業労働は、仕事の種類に応じてすべて完全に分割できないこと、おそらくこれが、この職業における労働生産力の発展が製造業よりつねに遅れる理由であろう。
現在の先進国の多くは、GDPに占める第一次産業の割合は小さくなってきています。農業に限りませんが、こういった産業では、収穫高を今以上に増加させていくことが難しくなっている現状が見られますが、これは、まさに上記の内容と合致しています。
スミスは、この段階で、製造業に比した場合の農業の弱点に着目していたのですね。
農業の分業が難しい理由
農業は一見、大変な肉体労働であるため、単純労働かのように思われがちです。
しかし、実際には、苗の植え方、水の調整、病気への対策など、かなり専門的な知識や経験が要求されます。
このことが、農業をはじめたい、という人が躊躇してしまう一因だと思います。(専門的にいえば、参入障壁を高めてしまっているのですね。)
また、その専門知識を仮に細分化したとして、苗だけ植える業務を担当する人、水やりを担当する人、病気を診断する人が別々になって、生産性が向上するでしょうか?
恐らく無理ですね。農業はどうしたって季節性がありますので、時期時期に応じた作業が必要になります。
そのため、農業の各作業を分割すると、時期ごとに違う労働者が担当することになります。これはむしろロス以外の何物でもないですね。
このように、農作業は「分業」にあまり適していないものだと考えられます。
労働集約型である農業が生産性を高めるためには
一方で、ある一定の時期(例えば収穫の時期)では、一つの作業に大量の人員が必要になります。これが労働集約的(資本に比べて労働力を多く必要とする)といわれる理由でしょう。
今の日本の農業は、外国人技能実習生が活用されているなど、人材不足が深刻です。
その上、上記の大量の人員が必要な時期に十分な労働者がいないと、生産高を高めることができません。
このような状況で、農業が生産性を高めるためにはどうすればよいのでしょうか。
実はスミスは、この点に関するヒントをくれています。
といったところで、ちょっと長くなっているので、③へ続きます。
まとめ
今回は、「国富論」の第一編第一章の内容から、農業の「分業」について取り上げました。
分業に適していないとスミスも指摘しているように、農業の生産性を高めることの難しさが理解できます。
次の③において、「分業」がもたらす成果についてまとめたいと思います。
そこでは、この難問に対するヒントがスミスから提示されているように思います。(もちろん、個人的な見解ですが。)
ではまた次回(・∀・)ノシ
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