今日はここに立っています
10月5日土曜日。
出来れば、夫が英語の学校へ行っている午前中に、東京都写真美術館と松岡美術館をハシゴしたかった。どちらも少し気になっている展示(しかもぐるっとパスで入場できる)がもうすぐ会期終了となる。でもやっぱり今日も身体は重い。少し気になってるくらいでは、この重い身体を動かすことは出来なかった。家事を終えたらラジオやYouTube番組を流しながらすっかりゴロゴロしてしまった。
あっという間に準備をしなければならない時間になる。今日は本来なら高校時代の友人5人とピクニックの予定だったが雨で延期になった。すると、ちょうどパレスチナ連帯デモをやるという情報を仕入れた。以前、健聴者と聾者のカップルのディスコミュニケーションを表現した映像作品を近代美術館で観て感銘を受けたのだが、その作家のInstagramで知り得た情報だ。会ったことはないけどありがとう、百瀬さん。今までパレスチナ連帯デモは、終わってから知るか、先に知ったとしても予定があって行けない日ばかりだった。雨のデモは少し大変だが、雨だからこそ今日は行けることになった。これは行かないと。
学校帰りの夫と待ち合わせて昼ごはんを食べ、いざ参加。雨も降っているし、思ったより寒いし、無理はしないで途中で抜けても良いねと話していたのだが、結局最後まで歩いた。
デモへの参加はまだ慣れない。列に加わって歩き始めると、歩道の人の視線が気になる。「変な人たち」を見ているような目。でも小声でも、一緒に声を上げていると、だんだん勇気付けられる。同じ気持ちの人が今こんなにいるんだと思い胸が熱くなる。わたしが泣いてどうすると思うが、何度も泣き出しそうになった。歩道で、恐らくパレスチナ人の女性が涙を流しながら、声を上げながらゾロゾロ進むわたしたちの動画を撮っていた。
歩きながら考えた。こんなことをして意味があるのだろうか。どうせ政府は変わらない、どうせ虐殺は止まらない、どうせ…。歩道には、好意的な表情で頷いている人もいる。信号が赤のままになって立ち往生し心底ウンザリした目を向けてくる人もいる。バカにするような冷笑を向ける人も。わたしもついこの間はそちら側にいた。でも今日はわたしは車道を歩いてる、あなたは歩道にいる。どうしてなんだろう。何故あなたはそちらにいるんだろう。あなたもいつかこちらに来てくれますか。わたしは歩道にいる人に問い掛ける気持ちで、なるべく一人一人歩道を歩いている人々の顔を見た。ただ、見ていた。
嬉しかったのは、車線の反対側に停車中のシャトルバスの運転手のおじさんが、デモのコールのリズムに合わせうんうん頷いていたのを、わたしが眺めながら歩いていたら、彼も気付いてペコリと頭を下げてきた。わたしは笑って手を振った。彼も笑って振り返してくれた。
表参道から一本で行けるので、デモの後は夫と別れていつもの本屋に行くことにした。取り置いてくれている本もあるし、デモに参加した報告もしたかった。子供じみているが誰かに褒めてもらいたかったのだと思う。
その前に、店主が元々勤めていたという本屋も近いので立ち寄り、Instagramを見て欲しくなってしまっていた手ぬぐいと、平置きになっているのを見つけた五味太郎「大人問題」の文庫を買った。ずっと気になっていた本、売っているのを初めて見つけたので迷わなかった。初版は1996年らしい。「大人」と「問題」の間には小さく3文字の平仮名も書かれている。「は」「が」「の」。大人は問題、大人が問題、大人の問題。その最たるものが戦争だ。
そして目的の本屋へ行きデモに行ってきました!と伝えると「ありがとうございます!」と返してくれた。きっと、自分の分まで、という意味だろう。嬉しい。デモのあれこれを話して、用意してもらった本を買って、売り上げがパレスチナに全額寄付されるポストカードも買って、帰った。流石に歩き疲れた。
夕飯にパスタを食べた後、ワインをちびちびやりながら、取り寄せた歌集を捲る。岡野大嗣の歌集3冊のうち先ずはデビュー作「サイレンと犀」。読み始めてすぐに、これは…と衝撃を受ける。まだ半分だが、とんでもない作品に出会ってしまったかもしれない。短歌で泣くのは初めてだ。明日続きを読むのが楽しみ、なような、もったいないような。
今日はそんな感じです。